コピペしか信じれない男
自分のツイッターにはどっかの記事の引用しかない。自分でぽちぽちと打ったコトバはマジでひとこともない。名前以外。
正確を期して正直に白状すると、先日働かされるためにスマホを持たされたせいで手の平からくだらないつぶやきを電波にこぼしてしまった。まあ、ひとつの波紋もなかったけど。
たしか、
みたいなことを言ってた気がする。なんかウマイこと言ってやろう感がハナにつく。
思い直して消した。季節の変わり目の気の迷いだ。
自分は自分の書いた言葉を信用していない。コピペだけがシンジツだ。
よく昔のチラシとかってURLが印刷されてたよね。最近はQRコードになっててるけど。あれって一文字一文字手で入力してた人っておるんかな。誤植しても誰も気づかないことNo,1じゃないか。
たとえ打ち込まれた文字がデータとして1bitとして違わないとしても、やっぱりコピペしたものには書いた人の匂いとか、そういうものが残ってる気ががする。もちろんサーバーやら電波やら液晶やらスクロールして文字が下から上に移動するのだって60fpsごとに新しくできたものでしかないけれど。自分が打ち込んだ文字ってやっぱり自分のものになってしまう気がする。JASRACに怒られる。
そういう情緒的だとか、めんどくささにまつわる記憶だとかはおいておくとして、コピペには便利さというか、自分みたいなめんどくさいことを考える人間のこうあってほしいというくだらない願望をうまくうけとってくれるところがある。
きっと俺は潔癖なんだろう。自分のタイムラインなのに自分の匂いのする言葉がひとつもないのは異常でしかない。自信がないのかもしれない。語るべきことがないのかもしれない。自意識過剰でしかないけど、それだけで片付けていいものじゃないのかもしれない。
システム上、FF0の人間がたとえ何かを喚き散らしたとて、ただ一つの波もおこせないけど、それなのに気にしてる。そんなnoteばかり書いてます。
もうひとつ、抜き書きノートについて。気に入った本の一節とかを書き留めておくノートのこと。今年に始めて、今3冊目。
おそらく、無人島に持っていけるものを聞かれたときに興覚めしない回答をするとしたらこのノートと答えるかな。
この抜き書きノートはもちろん手書きで、句点のひとつさえ間違えないように正確に写すのを心がけるようにしてる。字はちゃら。
自分はずっとメモをとってたおかげで、ちゃら書きだけは一定のクオリティを保ち続けているんすよね。シェア業界一位です。安定感があります。
このノートには愛着がある。むしろ自分そのものまである。もし自分にストーカー的な執着を向ける人がいたとしたらこれを研究してもらうことにしよ。原稿用紙100枚で。
ツイッターと抜き書きノート、やってることは全く同じだし、人間ここまで変わらないかって感じなのに愛着っていう面で見たときにだいぶ差があるような気がする。なぜだろう。
それはきっとツイッターが発信を目的としてるからだ。このワードには自己満足と自己陶酔が感じられて発疹が出てきそうになるが、いま書いてるまさにその行為もソレなんよね。
ツイッターはきっと自分の顔を晒すように発信しないとダメで、そこで他人の仮面ばかりつけているモノは自己を開示しないつまらないやつ、ペアになってもしゃべらないクラスの陰キャみたいだ。だからそんな自分に居心地の悪さを感じているのかもしれない。もしくは自己嫌悪。
一方、紙のノートなんて自分、もしくはストーカーしか興味をもたないし、それでいい、むしろそれしかないから気にならない。陰キャは部屋で踊ってる。
閉じた場所か、開かれた場所か。これはインターネットを使っていく上で意識しておいたほういいよね、そうしよう。
コピペしか信じられない男、それは自分に自信がないゆえに誰かに正しさを押し付け安心したい害悪。