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海のはじまり 第6話感想

他人に優しくなり過ぎず、物分りのいい人間を演じず、ちょっとズルをしてでも自分で決めてください。
どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願います。


第6話、南雲家にてお泊まり練習を始めた夏は、子育ての何たるかを目の当たりにする。食事の際いかにそそっかしいか、ちょっとしたことがいかにできないのか、じっとしていることがいかにできないのか。そこら中に転がっている危険を前もって阻止しようとする朱音・翔平夫妻に対し、夏はなにもできなかった。

そんな中、夏と海は、水季と海が以前住んでいた家に行く。当然既に解約されていたが、大家さんの懇意で中に入ることができた。
「図書館と小学校が近くて、海が近くにあればそれでいい。」狭い……と思わず口に出した夏に対し、過去の水季が答えた。そして同時に、大家さんから「水季はしっかりしていた」と聴き、驚く。「僕が知っている水季はもっと……自由で、マイペースって感じだったので……。」「じゃあもっと大変だっただろうね。」大家さんは言う。
「そういう人が『しっかりしている』ように見せていたんだから。」私自身、『しっかりしていない』人間で、うまく1人で暮らせていないと思っているから、この台詞はどこかぞっとした。

水季は再三、朱音から「子育てに向いていない」と言われていた。マイペースで自由で、そんな子が赤ちゃんとふたりで暮らしていくなんて無理だと言われていた。
でもギリギリまで暮らしていたのだ。体調が悪化して朱音たちに実家へと連れ戻されるまで、ずっと、親として、家族として。「『もう長くはない』って最初から聞いていました。でも連れ帰っちゃったからそれで……って、お母さん後悔してしましたよ。」
海の小学校へ立ち寄り、海の担任の『夏美先生』と話していたとき、彼女はそう言っていた。夏はただ、知らない時間に臆病に触れることしかできなかった。

でも、知っている時間もあったのだ。海の靴紐がほどける。靴紐のある靴を履きたいと出かけるときに言ったのは海だが、朱音が言うに結ぶのに時間がかかるらしい。だからこそ出かけるとき朱音は海に『靴紐のない』靴を薦めていたが、海は聞く耳を持たなかった。
だから靴紐がほどけたとき、夏は言う。「危ないよ。」てっきりその場でうずくまって結び直すのか、その時間を夏は待つのかと思ったのも束の間。海はぱたぱたと走り出した。
「ねぇ! 危ないよ! 」珍しく夏が声を張る。怒っているわけではないが、心配一色だった。親に近づいていた。
だがぱたぱたと忙しなく走っていた海は、数メートル先で立ち止まったかと思うと屈みこみ、靴紐を結び出したのだ。そしてその背中は、大きさこそ違えど水季とそっくりで。思わず、夏の足は止まった。
「ゆっくり、ゆっくり来てね! 」必死に、急いで靴紐を結びながら、ゆるゆると歩く夏の心地よい足音を背に、くすくすと笑いながら言う。そんな明るい声は、水季のものか、海のものか。夏のまなじりは愛おしさにふにゃりと下がり、「うん、ゆっくりね」とでも言うように、ゆるゆると歩いた。

海と水季は似ている。やっぱり同じ時間を過ごした人を家族と呼ぶのだろう。

そしてそういう意味でも、月岡家の絆は強く、家族であった。
「大丈夫だよ、私の心配までしなくて。」夏の弟、大和は弥生と会い、弥生の気持ちを想っていた。それに対し、弥生は微笑んで「大丈夫」と慣れたように繰り返す。「しますよ、もう家族みたいなもんだし。」大和の言葉は、随分とナチュラルに出てきた。
弥生が家族に対してあまりいい思い出がないことを、大和は知っている。だからこそあえてその単語を使ったのだろう。そして弥生は、表情を固くした。きっと、泣きそうになってしまったからだと思う。
でも、夏と大和の母ゆき子は違う意味でも心配していた。まだ結婚していなくてよかった。未婚のカップルだからこそ、まだ別れのハードルも低いから、と。
弥生を想っているからこその言葉だ。そしてその上で、月岡家は口を揃えて言う。

弥生ちゃんは、弥生ちゃんの意思だけで決めたらいいって。

でも大丈夫、いまはほんとにいたいからいるだけ。

大丈夫、大丈夫。弥生の言う「大丈夫」は、随分と形がはっきりしている。言うのに慣れてしまった人の「大丈夫」だ。でもこのときの「大丈夫」は、まだ自然体だったと思う。そう、思いたい。


一方で、夏は津野と会っていた。と言うより、図書館に行きたがった海に着いていき、図書館が休館日であることを受け止めきれなかった海が津野を呼び出して図書館を貸切にしたことによって、会う羽目に遭っていたのだ。
海は、津野と会えたこと、普段制約ばかりの図書館を貸し切って大声を出したり走り回ったりできることにはしゃいでいたが、夏は津野に水季のことばかりを訊いた。変な温度差だった。
「南雲さん、検診とかしてなくて。時間とお金なくて、時間とお金出来たら子供に使うって生活してたら。」どき、とした。私自身、貯金は誇張抜きで本当に空っぽで、多少体調が悪くても病院は行かなくていいか、と考えるような生活をしているからだ。実際、行くような時間もないし……と思っていたところでこの津野の台詞は、痛く心を突き刺した。まぁ私は水季と違って、居なくなったからといって困る人なんかいやしないのだが。
それでも、水季がどれだけ海を大切に想っていたのかはわかる。ひと1人健康に生きることすら難しい子の世の中で、水季は大学中退やシングルというハンデを抱えながら必死に育てたのだ。それを責められはしない。

責められないし、そんな水季の生き様を夏が知りたがるのもわかる。だが、その『知りたい』は、津野を容赦なく傷付けた。

「海ちゃんと向き合うのはわかるけど、今更南雲さんと向き合うのは綺麗事ですよね。死んだんだから。今更掘り返さないでください。」夏に対して、津野は意地が悪かった。というより、意地悪をカバーするほど余裕がなかった。それくらい、彼自身深く深く傷付いていた。
「嫌です、知りたいです。すみません、ごめんなさい。」謝りながらも夏はかたくなで、だからこそ津野ははっきりと傷を伝えるわけだが。

比べるもんじゃないとかよく言いますけど、月岡さんより僕の方が悲しい自信あります。

日常が崩れたのだ。夏は水季の日常を知らなかったから、一変しただけ。でも津野や海にとっては、日常が崩れたのだ。その悲しみは筆舌に尽くし難い。そういう意味で、海が本当の意味で悲しみを共有できるのは津野だけなのかもしれない。
夏は、そういうところよね。言葉にしないとはっきり感情が分からない。相手に合わせる力はあるのに、責任感に駆られて行動しなきゃならないとなると、どうしたらいいかわからなくなって、相手を無邪気に傷付けてしまう。
そして現実は残酷に、夏が必死に練習して三つ編みした海の髪が、津野によってほどかれる。もちろん先に確認はされたし、海は戸惑ったように夏の顔を見ていたが、津野の家で見つかったお気に入りの髪ゴムに結ばれることに喜んでもいた。
「ふわふわ! 夏くんの三つ編みのおかげで、ふわふわになったよ! 」まぁ、海の明るさのおかげで救われたのだけれど。海ちゃんは太陽だよ、本当に。

夏と大和の両親、ゆき子と和哉は話していた。心配だと、どこまでも、誰もが心配だと。
「娘さん亡くすのも、急に恋人に子どもがいるって発覚するのも、大丈夫なわけないじゃない。」「急に7歳の子の親になるのもね。」
親心だけで行動できるものでも、ないのである。

その点、夏は案外上手く親をやっていた。スキルはないが、性格と合っていたのだ。
「子どものペースに合わせたり待ったりするの、イライラしないのね。」朱音が言う。それに対し、夏はまた謝った。
「……すみません。人に合わせちゃうんです。自分で決めるの苦手で。昔からずっとそうで。」夏は気まずそうだった。
「待つのも、待ってないで自分から動けって仕事でもよく怒られたり。あと自由すぎるのも苦手で。ある程度やること決められてる方が楽に思っちゃうというか。」社会では生きづらいだろうが、親としては向いているのかもしれない。子どものテンポに合わせて小さな歩幅に合わせて、それに安心できる人なら、たしかに向いているのかもしれない。
そしてそれは、子育てを経験した朱音にも伝わったらしい。「子育てに向いてるのかもね。いいことよ、人に合わせられるのってすごいことよ。」その言葉は、初対面時に夏が水季に言われた言葉だった。

マイペースすぎる水季は、子育てに向かない。冒頭で水季に朱音が言っていた言葉だ。それでも育てていたわけだけれど。

場面は、弥生と夏のシーンへと移る。ふたりは柔らかく雑談でもするように、大切なお話をしていた。
「水季の妊娠を隠したのは、恥ずかしいとか悪いことだってどこかで思ってたからだと思う。」夏がひた隠しにしていた、自分すら気付いていなかった感情だった。
すかさず優しい弥生がフォローを入れるように、本音を話す。このふたりがようやく本音に近い場所で話せるようになったのかと思うと、なんだか感慨深い。「私も、母親と相手にしか言わなかったよ。会社は仮病で休んで、バレるの怖いからちょっと離れた病院行ったの。」この『病院』が、後から響くわけだけれど。
水季さんはすごいよ。そういう決断全部ひとりでして。私にはできなかった。」弥生が話したのは、当時の傷の話で、今も抱えている罪悪感の話だった。
「あのとき産まなかったのは、後悔ともちょっと違う。結果自滅していきそうじゃん、私って。」「……弥生さん、抱え込むから。」弥生の自己否定を、夏は優しく言い直した。そういう小さな優しさに、弥生は救われてきたのだろう。
やんわりと微笑むと、弥生は続けた。「だから、産まなかったのが間違いとは思ってないの。正解とも言えないけど。今の生活を否定したくない。

弥生は、今幸せなんだと思う。

だからこそ、夏と付き合って仕事も順調で月岡家からも歓迎されて、海からも懐かれている。そんな生活を愛している。それを否定してしまいたくはない。
「月岡くんとも付き合ってないと思う、子供いて24.5の男の子と恋愛しなかったと思う。」この言葉には、夏はかりやすく拗ねていたが。
「好きにはなってたと思うよ。」やっぱり、弥生の方が一枚上手だが。今回のキュンキュンシーンはこちらです。

キュンキュンシーンを終えたあと、夏と弥生は海に会いに行く。海のプールのお迎えだ。そこでふたりよ会話は時間を戻し、『水季はひとりで決断できてすごい』という話になる。
本当に、本当にそうだったのだろうか。
たしかに水季は他人の影響を受けない。マイペースで自由気まま。自分ひとりで勝手に決めてしまう、自分の時間を泳ぐように生きている人だ。夏のように1歩1歩着実に道を歩くように生きている人とは違う。
前回水季は、朱音の母子手帳を読んで産むに至ったようたったが、じゃあどうして読むに至ったのか。素直じゃなかった水季が、なぜ翔平から受け取った母子手帳を読んだのか。

それは、1冊のノートの言葉が原因だった。中絶しようと病院の待合室で待っている間、とあるノートが水季の目に入った。歴代の患者がコメントを書き綴るノート。「産めて良かった」「先生ありがとう」。愛や幸せで溢れたノート、水季は閉じようとした。自分は読んではいけない、ふさわしくないとすら思ったのだろう。
だがその手が止まる。1ページ丸々埋められた、誠実で真摯な文字があったからだ。

「強い罪悪感に襲われています。」弥生のものだった。

「彼がああしてくれたら、母がこういってくれたらと、罪悪感を他人のせいにしてしまい、そんな自分にまた落ち込みます。」罪悪感に自己否定が上塗りされる。小さくて、でもしっかりと芯の強い文字だった。
「まるで自分が望んだように振舞っていただけで、実際は他人に全てを委ねていました。人に与えられたものを欲しかったものだと思い込むのが私は得意すぎました。後悔とは少し違う、でも同じ状況の人に同じ気持ちになってほしくありません。」

もらったものを幸せだと思い込むか、欲しいものを幸せと呼んで手を伸ばすか。

生き方は人によって違う。ただ弥生は前者が上手すぎた。それこそ、周りからしたら後者に見えてしまうほどに。

「他人に優しくなり過ぎず、物分りのいい人間を演じず、ちょっとズルをしてでも自分で決めてください。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願います。」


弥生の、言葉だった。産みたいのに産めなくて、でも産んでも上手く育てられないという賢さがあった敏くて幸せに臆病だった弥生の、言葉だった。
弥生の選択は、幸せのためのものだった。これは彼女自身に向けた言葉でもあり、そして迷っているつもりはなかったのにたしかに迷っていた水季にも重く響く言葉だった。

水季が、看護師に呼ばれる。中絶の準備に入るところだった。でも、水季は止めた。そして翔平から貰った朱音の母子手帳を手に取ったのだった。
「読んだら下ろすの無理ってなる気がして、まだ中見てないんですけど、でも読んでそれで決めます。人のせいにしたくない。」自分の幸せのために選択する準備をする。覚悟の決まった声だった。

あんまりないんだけどな、人に影響されること。

水季が、あのマイペースな水季が、人生の選択の岐路を前に背中を押された瞬間だった。

「この人が来たら、伝えてもらってもいいですか? 」


結局、その言葉が弥生に伝えられることはなかった。弥生はその後病院へ行っていないし、水季も亡くなってしまったから。でも今、弥生と夏は海のために南雲家へ行き、そこに水季の命の名残がある。海のはじまりだった。

「向いてるわけないでしょ、短気でせっかちなんだから。」お母さんは? 子育て向いてると思うの? 冒頭で訊いた水季の質問に、最後のシーンで朱音が答える。「でも続けるしかないわよ、産んだら最後、子どもに振り回される人生が続くんだから。」怖い言葉だ。身体の芯が冷えるのがわかった。
「いつ終わるの? 結婚したら? 死んだら? 」

「死んでも終わらないわよ。お母さんどうせ先に死ぬけど、それでも水季のお母さん続けなきゃいけないんだもん。」

雑談のように、おしゃべりのような言葉が、怖かった。それはきっと私が毒親育ちだからで、いくら全身の血を抜こうともあの人から生まれたという事実は変わらないからでもあった。でもそれは、受け入れなければならない現実である。だからこそ、親子は根強く、恐ろしいのである。そして、複雑で美しい。


TVerスピンオフドラマ『兄とのはじまり』第4話は『海』だった。大和と海のおしゃべり。ふたりは「ママ」を亡くした者同士で、人見知りしない人好きなふたりということを差し引いてもなにかしらのシンパシーがあった。
海はまだ7歳で、水季のことを忘れてしまう瞬間が日常の中にあることにも怯えていて、忘れたくなくて、でも。明るさの中にそんな寂しさを抱えていた海に、大和は言う。「俺がママを亡くしたとき、まだ5歳でさ。海ちゃんより小さかったんだ。でも覚えてるよ。」海の表情が、安堵に綻んだ。

「ママのこと、思い出せないことも増えていくけど、全部忘れることはないよ。」

「それに、忘れちゃう瞬間があってもいいんだよ。」


このドラマは、やっぱり丁寧だなと思った。海は『かわいそうな子』だと周りから言われるべき子どもではないけれど、母親を亡くした子でもある。ドラマ内でも片親育ちの環境で過ごす子どもの心境を「この人が居なくなったら終わり」と表している。そんな不安を感じることができるだけないようにしようと水季が心がけていた生活が突如終わり、日常が一変して終わるかと思い、全部が変わっていってママの影が薄れていく。そんな恐ろしさに、大和は寄り添い、肯定してくれた。そこを丁寧に描いてくれるのだ。

有名な映画に、「1度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」という台詞がある。海が水季に愛された毎日も、大和がママに愛された日常も消えはしない。いくら忘れても、それ以外のたくさんの愛によって見えなくなっているだけで、たしかにあるのだ。それは変わりようのない絶対的な事実なのだ。

幸せは怖い。だから人は臆病になる。

でもそのためにした選択は、たしかに強くて美しい。どんな結果を生んだとしても、幸せを追った事実は変わらないのだから。


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