海のはじまり 第11話感想
子どもの感性はやわらかい。大人の言葉で簡単に傷が付き、永遠に治らなくなってしまう可能性すらある。
第1話、海を見て「可哀想」だと陰口を叩く大人から海を守った夏が、今、何気ない言葉で海を傷付けてしまった。
第11話、病気で疲弊した水季はベッドで休んでおり、そこに海が駆け寄ってきた。「さみしいの?」海は訊く。『ママ』がそういう顔をしていたから。
「海と離れるのさみしい。」海の声に触発され、水季は海を抱き締め、本音をこぼす。「海も……。」
寂しそうに悲しさに飲み込まれる海に、水季は贈り物を差し出した。『くまとやまねこ』。作中に何度も出てきた、海が大事にしていた絵本だった。
「これ、海にプレゼント。海に言っておきたいことあってね、それだけ説明すると難しけど、絵本で読むとわかるかなって。」なぁに? 甘く寂しそうな声で訊く海に、水季は苦しみながらもはっきりと言った。
「ママね、もうすぐ死んじゃうの。いなくなっちゃうの。」
その声を合図に、画は現実へ戻る。ふたりでくっついていたベッドの映像から、ひとり水色のイルカのぬいぐるみを抱き締めて寝転がる海へと変わる。
悲しいほどの現実だった。
イルカさんも連れて行こうね。寝転がる海に寄り添う祖母、朱音に訊く海の声は自信なさげだった。「ママ、ここいたよね? 」「いたよ。」朱音の言い方は毅然としていて、現実に対する自信があった。
そこから朱音は昔の子どもだった水季の話に花を咲かせ、ふたりは楽しく破顔していた。ママの話を楽しくする海の表情は、第11話が始まって初めて明るく太陽のように晴れ渡っていた。
場面は、部屋の整理をする夏と大和に移り変わる。「困ったことあったら、なんでも言ってね。」優しく手を差し伸べる大和に対し、夏は頑なだった。「大丈夫。ふたりで頑張る。」
やっぱり水季がそうしてきたからだろうか。水季がふたりで暮らしてきて寂しさを感じさせずに海を育ててきたから、自分もそうしなければ、そうすることが責任だと信じているのだろうか。だからこそ、意固地になってしまっているのだろうか。
「先生、ママ海のことなにかいってた?」海は転校する日、担任の先生にそう訊いた。水季がいたかけらを、必死に拾い集めているようだった。「いつも海ちゃんが1番大切って言ってた。」そしてその返事に、海はいつも愛らしく笑う。海にとって水季は、大切な愛だった。
海の愛は分かりやすい。夏の家に引っ越した際、『くまとやまねこ』の絵本を忘れちゃったと寂しがりながらも、祖父母の翔平と朱音に駆け寄って思い切り全身で抱き着いた。「ぎゅーっ! 」
それはふたりが帰宅した後、覚悟を決めたような表情の夏に対してもそうで。「ぎゅーってしようか? 」大好き、大好き、大好き。そう言うようにふたりはかたく抱き締め合い、けらけらと笑った。
持って来た荷物を整理しながら、海はひとつひと夏に見せる。これママにもらったの、これママとおそろいなの。その流れで訊く。「夏くんは? ママになにかもらった?」
「あぁ……たぶん、別れたとき捨てたと思う。」何気ない言葉。息をするように言ったその言葉は、海に『お別れしたら貰ったものは捨てなきゃいけないのか』という疑問を抱かせた。
「弥生ちゃんにもらったやつ、捨てた方がいい?」海が弥生からもらったピンク色のイルカのぬいぐるみは彼女にとってお気に入りで、海は寂しそうにそれを抱き抱えた。
「はい、これも弥生さんから。持ってていいんだよ。」そんな海に、夏は弥生からのイルカのパペットを渡す。捨てたくないという、お別れしたくないという海の思いを尊重した瞬間だった。
できるだけいろんなものとお別れしたくない海。愛がわかりやすい海。そんな海にとっての宝物のひとつが、おじいちゃんが作ってくれた、水季と海の写真だった。「ここに置いておくね。」夏は海の視線の高さにそれを置いたが、夏の家にそれが来てから海が水季の写真に「ただいま」を言うことはなかった。
海は別に、ひとりで寝られる。でも夏の家に住み始めた初日、中々寝付けなかった。
「ねえ、ママここにいた?」それはきっと、水季のいた空気を感じられなかったからだろう。「来たことあるよ。水季がどうかした?」「……いたのかなぁって。」
やっぱり夏は鈍感だよなぁと思う。水季の話をしまい、水季の面影を求めたい海に、イマイチ寄り添えない。「思い出しちゃっただけ? 慣れない場所だから『寂しくなる』よね。明日お出かけしよう、どこ行きたい? 」水季が海とそうしたように、夏は海と図書館と新しい小学校までの道を一緒に覚える約束をした。
翌朝、ベッドでひとりて寝ていたはずの海は、床に敷いてある夏の布団に下りててきて、隣で眠っていた。
海はずっと寂しさを抱えていた。
図書館に夏と一緒に行っても、ママがいないことを感じて寂しくなる海。学校まで夏と一緒に行っても、寂しさを隠せない海。海自身、どうして寂しいのかわからないような表情だった。
「次の学校は、俺が一緒だから。大丈夫だからね。」夏はそれを見かねて、何度も言う。大丈夫、大丈夫。「ママいないけど? 」「いない分、頑張るから。」それはきっと、海の欲しい言葉ではなかった。
そんな海の表情がぱあっと華やぐのは、夏の言葉じゃなかった。「絵本取りに帰っていい? ママがくれた絵本。おばあちゃん家に取りに帰りたい! 」夏は気付いている。海が「帰る」と言うのは夏の家ではなく、おばあちゃんの家なのだ。その事実に夏の表情はやや暗くなるが、「うん、いいよ。」なにもなかったかのように、柔らかく微笑んだ。
海も水季もいない生活を過ごす翔平と朱音夫妻の寂しさは、言葉にできないほど寂しさに溢れていた。「水季が家出たときもさ、ご飯が余っちゃうとか牛乳が飲みきらないとかぶつぶつ文句言ってたよね、寂しそうに。」「帰ってきたら帰ってきたで、あのひとり分の調整が難しいの。」夏の家を出たときも、ふたりは文句を言うように愚痴をこぼしていた。
「そっか、そうだね。海はまた帰ってきたりするもんね。」
消費期限が切れそうなオレンジジュース。水季が落書きした鍋。翔平と朱音の家には、あまりにも水季と海のにおいが残りすぎていて、だからこそ寂しかった。それは「いなくなった人のにおい」がないからこそ不安になる海との対比のようですらあった。
朱音が鍋に描かれた水季の落書きを撫でていると、眼前に水季と海の姿が広がった。思わず顔がほころぶ朱音。けらけらと笑いながら、日常的な会話を織り成す水季と海。でも現実は誰もいない。ひとりきり。
朱音は思わず、寂しくてうずくまり、泣いてしまった。
ちょうどそのタイミングで海が『帰ってくる』。「……おばあちゃん? 」嬉しそうに帰ってきたのに、朱音の姿を見たとたん不安そうな顔になり、泣いてる朱音にそわそわと歩み寄った。「おかえり。」朱音も、なにも引っかかることなくすんなりと『おかえり』と言った。
「海いなくて寂しかった? 」海は寂しい人に寄り添える、優しい人だ。「海ちゃんいなくなって、水季がいないことまで思い出しちゃった。ふたりぶん寂しくなっちゃったの。」朱音は縋るように海の手を取った。優しく繋がれるふたりの手が、ようやく朱音に笑顔をもたらした。「でも大丈夫。今海に会えたから、もう平気。」
でも海は、笑顔になれない。「ママは……もう会えないよ。」ママに会いたい。なんか夏に触発されたっぽい言葉だなと思った。ママがいた場所にもいたい。海の寂しさも、同じくらい溢れていた。「ねぇ、困っちゃうね。」隣に座って、頭をこてんと寄りかからせる海が、とても愛らしかった。
海はその日、水色のイルカだけじゃなく、ピンク色のイルカふたつ並べて寝る準備をした。水色は水季から、そしてピンク色は弥生から。海は翌日、弥生と遊びに行った。
ここで嬉しかったのがさ、『いちばん好きな花』の今田美桜ちゃん演じる夜々ちゃんが出てきたことだよね。残念ながら私はこのドラマ観れていないんだけど、海の髪の毛をセットしてくれた美容師の夜々ちゃん、不用意に『お母さん』という単語を使わなかったり、「どっかお出かけ行くの? 」という問いに「友だちと! 」と言われても「楽しんでね、また来てね。」と笑顔で手を振ったりできるのは、バイアスの少ないキャラクターらしくて最高に好きだった。
海と弥生はこの後、海の希望通り甘いもの食べに行く。「弥生ちゃん、海に会えなくなるの寂しい?」海自身が寂しいからか、海は殊更他人の『寂しさ』を気にするようになっていた。「寂しいよ。だから電話くれてすっごい嬉しかった。」弥生は朱音のように泣くことはないが、寂しさを否定することはなかった。その言葉は、海にどう映ったのだろう。
ここで海は、お気に入りのかばんを見せ、不自然なほどたくさんママの話をした。
「ママの話してていい?」「いいよ、ママのこと教えてを会ったことないけど、海ちゃんのママのこと好きだから。」
これには弥生も、心配を抱き、夏に話している。「海ちゃん、『ママの話していいの? 』ってわざわざ聞いてきて。」夏の懸念はやっぱり少しズレているようだったが。
「ここ(夏と弥生)別れたの、自分のせいって気にしてるみたいだから。」もちろん気にしてるとは思うけど、ママの話をしたいのはそこだけじゃないと思うよ……。
「ママのこと忘れた方がいいとか言ってないよね? 」「うん、そんなこと言わないよ。」うん、夏はたしかにそんなことは言わない。夏は誰よりも言葉に気をつけている。真摯に誠実に言葉を紡いでいる。だからこそその言葉は強いんだけど……。
「元気は元気なんだけど、水季さんのこと前以上にわーって話す感じあったから、ちょっと気になって。」こうやって配慮できるのはやっぱり弥生なんだよな……と、何度目かの『別れ』を悲しむ時間になってしまった。
海がひとりで学校へ行く日が来た。夏は髪の毛を結びながら、ご飯食べさせ、背中越しに何度も言葉を紡いだ。「何か不安なことある?」でも海が首を縦に振ることはなかった。「大丈夫。」
「ただいまー。」誰もいない家に、海は帰ってきた。ママの写真を眺めて、イルカを抱いて絵本を読む。……ってちょっと待て、鍵っ子なのか!? 私含め、XのTLは騒然とした。小学生で、まだ登下校になれていなくて、シングルで……。水季のときはたしか、図書館まで帰ってきて水季の退勤時間を待ってふたりで帰っていたはずだ。祖父母と暮らしているときは言わすがな。
つまり海は、ひとりの家に帰ってくるのはほぼ初めてのことになる。なのに最初から鍵っ子。学童に預けるなどの選択肢はなかったのか……? そうじゃなくても最初の方は登下校一緒にするとか……心もとないだろ、ただでさえ不安定な時期なのに……。と、そわそわしてしまった。そういうところやぞ月岡夏……信用しすぎなんだよ、海ちゃんという『子ども』を。
帰ってきたとき寂しがっていた海も、夏が帰ってきたら色々話した。あとは? あとは? 夏は海の話を楽しそうに訊き、優しく相槌を打った。
「あとは……『ママいないの?』って聞かれた。」夏の表情がかたまる。「なんて答えればいい? 」海の表情は、不安そうだった。期待も込められていた。
「『ママいないけど、パパがいる』って言えばいいんだよ。俺がいるから。」
それはきっと、海が欲した言葉じゃなかった。「……うん。」海の後ろ姿が映った。
純粋な子どもたちに無情な声掛けをされたとき、海は違う答え方をした。「海ちゃんて、お母さんいないの?」
「いたよ。ママいたよ。」
ママはいた。ママはいないわけじゃない。ママは、『いた』。海はきっと、夏にもそう言ってほしかった。
「ママは? ママいたのに、いた感じしなくなっちゃった。」言いたいことが伝わらない、欲しい言葉が返ってこない。そのもどかしさは、子どもなら尚更だろう。
「海ちゃん、水季が亡くなったことはわかるんだよね?」「うん、死んじゃったのはわかってる。」そうなんだよ、死んじゃったのはわかってるんだよ。寂しさもあるけど、その寂しさに『あるね』って肯定して、寄り添ってほしいだけなんだよ。
「おばあちゃん家よりひとりでいる時間長いから、寂しいよね。ごめんね。」思い出して『寂しくなる』なら、無理に水季の話しなくてもいいからね。
ちがう、そうじゃない、ちがうんだよ夏。思い出して記憶と隣にいたくて寂しくなって、あのときのママこうだったよねって笑って泣いて、心の中で一緒にいたいんだよ。そういう時間が欲しいんだよ。
夏の言葉に、海は不安になる。「ママはいない人なの?」その言葉を、夏はまた違う意味で受け取る。「俺はいなくならないから。ふたりで頑張ろう。」
夏が100%間違っているわけじゃない。夏からしたら、海の「ママいないの? 」を、昔大和が言っていたように「この人が居なくなったら終わり」という意味で捉えているのは、夏の過去を思えば仕方がないことだ。ただ言ってしまえば夏の実父は生きていて、水季は亡くなっている。そして夏は大人だ。本人でも気付かぬ間に、『会える・会えない』が『いた・いない』になってしまっているのだろう。
翌日だろうか。海は失踪する。
帰宅途中、「海! 」水季の声が聞こえて、1度家に帰るも、やはり寂しさがぬぐえなかった。ママの写真を見ても「ただいま」が言えず、お守り握った。そしてそのまま、夏に何も言わず、ママのカバン持ってママがいた図書館へと走ったのだった。
当然、夏は慌てる。帰っても海がいない。思いつく限りの場所に電話して、最終的に津野に連絡して、海が図書館にいることを知る。「よかった……。」へたり、夏は座り込んだ。予告にもあった、魂が抜けたような座り方だった。
「もしかして家出でした?」津野の質問に対しても、安心感が勝つような声しか漏れ出ず、「よかったです、いるなら。」「大丈夫です、いるなら。」ただただ安堵の声に肩を落とした。
この騒動は、南雲家や月岡家も巻き込んだ。
夏の両親は、安心しながらも過去を思い出していた。「大和もママのとこ行くって勝手に出かけようとしたことあったわ。」「夏も行きたがった。前の夫と一緒に住んでた家とか、遊んだ公園とか。」
「なんで? 俺結構ママが死んじゃったの理解できてた気がするけど。」海と似た境遇の大和が、言う。大人が思うよりもずっと、子どもは死を理解しているのだろう。
「一緒にいた場所に行きたがるんだよね。いないのはわかってても。」「なんだろね、あれ。『いた』って実感したいのかな。」でもまさにそうなんだろうな。
海は水季のいた空気が欲しい。いたことを感じたい。それは骨や写真だけじゃ得られない。
「夏くんから電話来たよ。お迎え来るって。」津野は図書館で、海に伝えた。海は海で、弥生にも夏にも言えない感情が、津野に言えるのだろう。唇を尖らせて寂しそうに本音をこぼした。
「ママがいた場所、行けなくなっちゃった。」うん。そうだね。津野の優しい相槌が、本音を促す。
「ママがいた話すると、夏くん『ママいない』って言うの。海もいないのはわかってる。」そうだね。
「津野くん、ママいたのわかるよね? 」わかるよ、一緒にいたから。
「夏くん、わかんないみたい。水季はもういないから、ふたりで頑張ろうって。水季の話しなくていいよって。」
ママのこと忘れた方がいいの? もう『いない』から?
津野は、なにも言えなかった。津野でさえも、海の言葉に比較的全部答えてくれる津野でさえも、なにも言えなかった。
いるのに、水季は、いたのに。
夏は急いで海のいる図書館に駆けつけるも、もう既に海は朱音たちの家に『帰った』後だった。津野とふたり。ここぞとばかりに、津野は夏に言葉をぶつける。
「もうふたりなんだから、今こそ前みたいに水季水季ってうるさくていいんですよ。」夏はぽかん、としたような、よくわかっていない表情だったが。「海ちゃん、いるいないの話してないですよ。」津野の言い方は、子どもに言い聞かせるような、それでいて怒りを押し殺せない大人に対する言い方だった。
「わかります? いるとかいないって話してるの月岡さんだけです。いたとかいなくなったって話してるんです。」
わかんないですよね、南雲さんいたときもいなくなったときもお前いなかったもんな。
『海のはじまり』の感想で他のドラマの話をするのはマナー違反なのかもしれないけれど、私はここであえて『ウソ婚』の話をしたいと思う。
私はこのドラマが大好きで、事ある毎に観ているのだけれど、この第5話で『幼い頃に母を亡くした』と告白するヒロイン八重に、進藤将暉というキャラクター(目黒蓮と同じくSnow Manの渡辺翔太が演じている)がひと言言う。
「それは、寂しいね。」過去形じゃなく、現在進行形で言うのだ。
彼が言うに、「寂しいとかいう感情って過去形にはならないじゃん、ずっと箱に入れてあるだけで、変わらないじゃん」。
海もそうなのだ。母を亡くしたことで生まれる悲しみは過去形にならない。『寂しくなっちゃう』んじゃなくて『ずっと寂しい』。それを抱えながら生きていかなければならない。そういう話をしているのに、夏だけが『いた、いない』と過去形の箱に収めようとしてきている。
「海ちゃんが自分で、おばあちゃん家行きたいって。」海が夏を待たずに朱音たちの家に帰ったのは、海の希望だった。夏はまた悲しそうな表情を浮かべる。夏自身、わかっているようでわかっていないのだろう。
祖父母の家に帰ってから、海はママの写真に『ただいま』を言った。それはひどく自然な流れで、彼女はそのまま、水季とそうしたように縁側で寝転がって本を読み始めた。棺でことりが眠っているシーンだった。
ここで海は、冒頭のシーンを思い出す。
「ママね、もうすぐ死んじゃうの。」泣きそうな声で現実を教える水季だった。「死んじゃったらママどこ行くの?」「わかんない。でもここからいなくなっちゃう。」
海はより一層強く水季に抱き着いた。「やぁだ……。」水季も、その声に耐えられなくなるようだった。「ママもやだ。やだけど、死んじゃうんだって。」やだ……、やだね。ママもすんごいやだ。
「だから、海がさみしくならないように、これあげる。」そう言って差し出したのが、『くまとやまねこ』の絵本だった。
「まぁ、さみしくなるときは絶対あるんだけど、でも海はママがいなくても、他の誰かと生きていくの。」いくらなんても早すぎる別れ。海が理解し、納得できるはずもない。「ママじゃなきゃやだ。」駄々をこねるような言い方だった。海はべったりと水季のくっつき、離れたがらなかった。
「今度これ読んであげる。大きくなるまでに何回も読んで、ちょっとずつわかって、それからママが居なくなっても大丈夫になるから。」
「いなくならないって言った! 」そうだ、そもそもこの物語は、海辺にいる海と水季が約束するように『いなくならないよ』と言っていたシーンから始まったのだ。
「いなくなるの。」でも、現実は無情で非情だった。「でも、一緒にいたことはなかったことにならないよ。」ぎゅーっ! ふたりはきつく強く、抱き締めあった。
『くまとやまねこ』は、くまが最愛の友だちことりを亡くしたことから始まる物語である。そんなくまは、ことりを喪った寂しさから立ち直れず、ことりを入れた箱を棺のように大切に持って歩く。それによって奇異の目で見られるが、そんなある日やまねこに出会い、新しい1歩を踏み出していく。
この物語が『くまとことり』ではなく『くまとやまねこ』というタイトルであることと、『海のはじまり』が海と水季の物語ではなく海と夏の物語であることは、きっと根っこは同じ意味を持つ。
『海はママがいなくても、他の誰かと生きていくの。』
急いで朱音と翔平の家に海を迎えに行った夏は、案外快く受け入れられた。「どうぞ。会いたくないのかって聞いたら違うって。だから、どうぞ。」そう言う朱音は、孫娘をなにか傷付けたのかというような猜疑心や敵意を抱いているようにも見えたが、それでも海の意思を尊重しようと心がけているようだった。
ノックして水季の部屋に入る夏。海は水季の寝ていたベッドで、寝転がって絵本を読んでいた。
「その絵本、好きだね。」ベッドに寄りかかって、夏は声をかけた。「何回も読んでって、ママが。」寂しくならないようにくれた絵本を、何度も何度も読む海がいじらしかった。そしてその上で言う。「何回も読んだけど、まだ大丈夫じゃない。」まだ寂しい。ずっとずっと、ずっとずっと寂しい。
「わかんないもこあるの? 教えるよ? 」「違う。」ちがう、そう、違うんだよ、夏。
「図書館、なんでひとりで行ったの? ひとりで行くのやめて、心配だから。家で待ってるの、寂しかった? 」
夏の言葉は心配だった。親だった。理由の話す前に注意をしてしまうような、親だった。
でも海にとってもそんな夏は心地よくて、好きなのだ。だから真摯に答える。「ママとふたりだったとき、保育園の子に言われた。『パパいなくて寂しくないの?』って。」
海ね、夏くんいなくて寂しかったことないの。
夏から、悲しそうな音がした。「おうちにいるの、ママだけで大丈夫だった。パパ要らなかった。」子どもの言葉は、まっすぐすぎて時に残酷だ。「だから夏くんとふたりも大丈夫だと思ったの。ママいなくても、夏くんがいるからさみしくないって。」
「……でも、さみしかったの?」海は頷く。「夏くんとふたり、さみしかった。」『夏くんがいない』は当たり前だったけど、『ママがいない』は当たり前じゃないもんね。これは水季がどうこうじゃなくて、そういう順番だったものね。
「ママいなくて『さみしい』から、図書館行ってここに『帰ってきた』。」海の言う言葉は、無垢でさらっと残酷だった。
「図書館もここも、水季『いない』よ? 水季が『いなくなって』から時間が経って、ほんとに水季が亡くなったこと実感してきただけじゃないかな? だから大丈夫だったのに、急に『寂しくなって』……。」……いや、夏も夏で残酷なんだな……。夏は夏で真摯に海の不安定な心境を言語化しようと言葉を重ねるけど、ひとつひとつがどこか引っかかる。
そしてそれを言葉にするのか、海の素直さである。
「なんで大人は、死んじゃうこと『なくなる』って言うの? 『いなくなる』から? だから死んじゃった人の事『いないいない』って言うの?」
いるとかいないじゃなくて、いたとかいなくなったの話。そりゃあ最近の夏の人生に、水季はいなかったもんな……。海の人生には、生まれたときからずっといて、なのにいなくなった。
「ごめん。俺がいっぱいいっぱいで、ちゃんと話聞いてあげてなかったから。帰っていっぱい話そう。」『帰ろう』、そうだよな、夏にとっては夏の家が帰る場所なんだよな。でも海にとっては……。
海は何も言えず、ふとんに潜り込む。ひと言「水季いたね」って言えば、少しは救われるのに、言ってくれないことがもどかしくて。そう言ってくれないと、海はいつまで経っても夏のいる場所の水季に『ただいま』って言えない。
そして言えない『ただいま』の代わりに、海は残酷な傷を表出させた。「海のせいでみんな寂しいって。海がいるからお別れしたんでしょ?」「海ちゃんが悪いわけじゃないよ。」
「でも海がいるからでしょ? おばあちゃんとおじいちゃん、海が夏くんのとこ行くって言ったせいで寂しくしてる。津野くんも言ってた。家も学校も遠くなるし会えなくなっちゃうねって。」
「海、夏くんといない方が良かった? みんなそう思ってる?」
「思ってないよ。」思ってないよ。夏と一緒に、視聴者としての自分の感情が重なった。
「みんなが寂しいの、海のせい? 」「ちがうよ。」
海、最初からいなければよかった?
頭が、がくん、と殴られた気分だった。フラッシュバックだった。私は以前同じことを言ったことがある。そのときに殴られたんだ、それを思い出した。目の前が真っ暗になった。
「そういうこと言わないで。」耳の奥で、夏の言葉が聞こえた。「いなければよかったとか、そんなのないから。もう、絶対言わないで。」画面の中で、夏は海の手を握っていた。殴っていなかった。私の親とは、あいつらとはちがった。泣きそうになった。
でも、でもね、夏。夏は、「ママいないの? 」「俺がいるから」とか、「海いなかった方がよかった? 」「そんなこといわないで」とか、本質を答えてくれない無責任さがあるよな……それは優しさじゃないんだよ……。でもありがとう。海ちゃんの手を取ってくれてありがとう、あの日の私が救われたよ。海ちゃんの存在を肯定しながら、感情を否定してくれてありがとう。
「ママも、寂しそうだった。」でも、海はその手を離した。その目にあったのは、猜疑心だった。
「ママいたのに、なんで一緒にいてくれなかったの? まだパパじゃなかったから? 」
無情に流れる主題歌とともに回想されるのは、海を堕ろすために産婦人科に向かう夏と水季だった。
「ついてこなくていいって。産婦人科だよ? 」不安そうな顔をする夏を慰めるのは、水季の役目だった。「大丈夫だって、責任感じないでよ。夏くん、『まだ親じゃないんだから』。」
無情、無情だ。今回何回その言葉を言っているだろう。でもそう感じてしまう。だってこの直後、水季は海を産み、『親になった』のだから。
子どもを産み育てたら親? じゃあ父親はいつ親になるの? 産まれる過程を一緒に過ごしたり、一緒に育てたら親? じゃあ……夏は? 血の繋がりはあって親なのに、親になれないの?
「なんでママいたとき、パパになってくれなかったの? なんでふたりでって言うの? なんでママいないって言うの? 」
『ママいないの? 』『おれがいるよ』ときたら、『ならなんでママがいる時にいてくれなかったの? 』になるよな……。
「海、ママとずっと一緒にいたもん! いなかったの夏くんじゃん!! 」
夏の頬に、涙が流れた。中々泣けていなかった、親になる覚悟を決めて突っ走ってきた夏が、久しぶりに泣いた瞬間だった。
これだけ言っておいてなんなんだよ、と言われそうだけど、夏には100%同情している。夏も水季も言わなかった、知らなかった責任があって、でも親になることを決めたから全部背負って海と向き合わなきゃいけない。それは辛く、水季と同じようにしてひとつの寂しさも味わわさないようにすることこそが誠実な愛なんじゃないかと思ってしまうだろう。
でも違うんだよ、夏には夏の向き合い方がきっとあるはずで。
次回最終回なことが、もどかしい。でも予告で、「行きたいとこ行って、会いたい人と会えばいいよ。」と言う夏の言葉があるから、きっと『大丈夫』なところに落ち着いてくれるんじゃないかとも思う。
その上で、海の言葉が寂しく響く。