海のはじまり 第3話感想
大切な人をうしなうということ
この世に、言うほどでもない感情は山のようにある。それは「大人だから」「言っても仕方ないから」など、様々な理由によって形にならないままでいるけれど、消えるわけではない。濡れた足から中々落ちない砂のように、ざらつきとして心臓に残り続ける。
第3話、やっぱり水季と海の回想シーンから始まる。ふたりで暮らしているアパートの柱に身長を刻み、和やかな会話を交わす。すくすく、と子どもならではのあどけない語彙で成長を喜びながらも、その表情は離れていく水季の背中によって、寂しげな表情へと移り変わっていく。
「どこ行くの? 」おしゃまで利発そうに見える海は、実はとても寂しがり屋なのかもしれない。今にも涙がこぼれ落ちそうな大きな目で母水季を見上げ、縋る姿はどうしようもなく庇護欲を掻き立てた。
「いなくならないよ。」きっとふたりにとって、この会話はよくある応酬だったのだろう。水季は優しく微笑みながら海を抱き締めた。「いなくならない。」言い直す水季に対し、海が覚えたのは安心だったのか。背中で握る彼女の手は、小さく震えていた。
今回で確信したことがある。「海のはじまり」というドラマは、水季と海の母娘のおしゃべりに始まり、夏と海のなんとも言えない関係性による会話で終わる。と、冒頭で確信したのもつかの間、物語は夏と海のたどたどしい会話へと移り変わった。
そう、夏と海のそれは、おしゃべりと言うにはあまりにもたどたどしい。そしてそれは主に、夏のせいである。話すことが楽しい、夏くんに会えて嬉しい、と全身で表すようにきゃぴきゃぴと話す海に対し、夏は「うん」と曖昧に返すことしかできないの。でも、海はそれすらも嬉しいらしく、ひとりで爛々と目を輝かせていた。
「見て! 」海は夏に、自分のランドセルを見せた。深い寒色のランドセル。可愛らしいキーホルダーもついていなければ、色合いも温かくはない。この表現は嫌いだが、いわゆる“女の子らしくはない”。それを見て、夏も同じように感じたのか、静かにこぼすように訊いた。
「水季が、これにしたの? 」「海に選ばせてくれた! 」
あぁ、そうだ。水季はそういう人だ。第2話で「海に接するとき、海に選ばせてやって」と朱音に話した人と、同じ人だ。それを知っていながら、夏がわざわざ質問を言葉にしたのは、「水季の時間を考えている」からこそだろう。彼は彼なりに、水季の時間を追いかけているのだと思う。
やがて海は話し疲れて眠ってしまった。夏は帰ろうとするが、朱音が引き止める。「目が覚めて、まだいたら喜ぶから。」夏に懐く海がわからずとも、そんな海を受け入れている言葉だった。
それなのに、当の本人である夏はまだ疑問の沼から抜け出せていないようだった。「ほんとに、わからないんです。」夏はこう、素直だからこそ、知りたいことを1番訊いちゃいけない人に訊く節がある気がする。訊いちゃいけない、というのは、視聴者目線で「この人にはこういう過去がある」とわかっているからこその概念だけれど、裏を返せば「物語を進めるためにはその人に訊くのが1番理解できる」という意味でもある。夏はそれをどこかで理解している、ある種の図々しさがあるのだろう。本人はそんなこと、思っちゃいないだろうけど。だからこそ、誰よりも懐かれたくて血の繋がりに縋っている朱音に、こんなことが訊けるのだ。
「なんで好かれてるのか? 」「なにも、してあげられてないし。」夏は俯きながら、朱音の夕食の準備を手伝っていた。
「月岡さん、ご両親はご健在? ご家族は仲がいいの? 」朱音の言い方には、月岡夏という人間を受け入れ始めたゆえのあたたかさがあった。
「仲がいいことに理由なんてないでしょ、なくていいのよ。」
スピンオフドラマやこの後に語られるが、夏は父や弟と血の繋がりがない。彼自身はとっくにそれを受け入れ、その上で仲のいい家族の中で笑って過ごしているが、一方でこの言葉は「月岡家への受容」にも映ったかもしれない。
「私は、今年70。42歳のときに、水季を産んだの。」母の話から、朱音は過去の話を始める。それはきっと、夏が初めて聴く水季の起源の話だった。
不妊治療してやっとできた子なの。水季は真逆になっちゃったけどね。……なんの相談もしてくれなかった。
どこか寂しそうに言う朱音は、まだ傷が癒えていないのだろう。ようやく授かった水季は、自分に相談すらしてくれないほどに自立して、そしてまたどこかへ行ってしまった。
寂しそうに訥々と語る朱音は、夏に取ってもらった鍋を見て、側面に描かれたらくがきを愛おしげに撫でる。「5歳の水季にやられたの。」その表情は、やっぱり娘を愛おしく思う母のもので。でもやっぱり、夏はその感情の機微をうまく察せられないようだった。
「どうして産むことにしたんですか? 」夏の質問の主語は、水季だった。
「さぁ。やっぱり産むからって、それだけ。」大好きで、愛おしくて、大切で。当然のように自分より長く生きてくれるんだろうと思っていた子どもが、いつの間にか自立して、人生を左右する洗濯すら全部自分で決めてしまっていた。その選択に、口を出すことすらできなかった。
「父親に知らせないのは、選べないからって。その人、私が産むって決めたら、じゃあ父親になるって絶対言うから。他の選択肢を奪いたくないって。」
朱音は、だんだん、確実に、夏に対して優しさを見せるようになったと思う。夏が言った通り、「水季の生きた時間」を真摯に考えていることがわかるからこそ、朱音も朱音なりに朱音が知っている中で、「水季はこう生きていたんだ」と教えてくれているのだ。
「だから頼りなかったとか、他に誰かいたから、そういうんでは無いんですよ。」
水季は、夏の選択肢を奪いたくなかったのだ。自分の選択が夏の選択肢を奪うことをわかっていたから、言わなかった。人の想い方がどこまでも不器用なふたりだと、そう思った。
水季が夏に「子どもを産む」と言えば、それは「選択肢が増えた」ではなく「選択肢を絞る」ことになるとわかっていた。それくらい水季は夏のことがわかっていて、でも夏は自由奔放な水季のことがわからなくて、想像してはわからなくなり、朱音に訊く。
と同時に、海に対しては否定することも肯定することもできなくて、それでも水季の時間を知りたくて。だからランドセルひとつに対しても「水季が選んだの……? 」と不器用に問う。
どこまでも、不器用で誠実で、言葉をひとつ発するだけでも気合を入れてしまう人、それが月岡夏だった。
ただ、1話に比べて確実に、夏は「わからない感情を訊く」ようになっている。純粋無垢な海と接するようになったからか、責任を目の当たりにするようになったからか。少なくとも、海に会うまでの夏だったら、弥生に「子どもを殺した」なんて言葉は使わなかったと思う。
弥生と夏の関係性は、なおも穏やかではあった。また、弥生は月岡家にも受け入れられているらしく、夏の両親も、弟である大和も、「弥生と夏が結婚するかもしれない」と浮き足立っていた。
だが弥生が夏の両親に聴きたかったことは、そこではなかった。「ご両親再婚したときってさ、すぐに受け入れられた? 」本編ではここで初めて、夏の家族関係が明言される。
第3話放送後、TVerにてスピンオフドラマが放送開始された。『兄とのはじまり』、弟大和を主人公に置いた、月岡家の物語である。
まだ年端もいかない少年大和が、選ぶこともできずに父の選択を認め、再婚を受け入れる。実母を喪った大和は、父が母以外の人と恋をしている姿に戸惑いながらも、諦めたように現実を受け入れていた。
今では快活で人見知りなんて言葉すら知らなさそうな大和だが、当時はうまく交流することもできず、人と人との間にある壁を壊せずにいた。そんな大和に静かに寄り添い、背中を押してくれたのが夏だった。当の本人は忘れているようだったが。
夏は弥生の問いにこう答える。「大和もお父さんもああだったから、抵抗あったの最初だけで、時間たって自然と。俺は何もしてなくて、あのふたりがあのふたりだったからよかったってだけ。」
そんなことはないのにね。スピンオフドラマ第1話を観ればわかる。むしろ救われたのは大和の方で、でもそういう過去の優しさを忘れているからこそ、夏は夏なのだ。
「向こうもそう思ってると思うけどね。」過去を覗いたわけでもないのに、弥生にはお見通しだったが。「月岡くんとあのお母さんだったからって。思ってるよ。」やっぱり弥生はいつだって優しい。下がりそうになった夏の自己肯定感を、やんわりと救ってくれる。
「素敵な家族だなって思うんだよ、月岡くんち。だから産んだからとか関係なく、私もお母さんにっていうのはおこがましいけどさ。」
夏と弥生は、海に会いに行く。弥生はわくわくと海に会うことを心待ちにしながら、誕生日プレゼントまで買っていた。
そのかわいらしいピンク色のイルカを、海はいたく気に入り、その一方で朱音は訝しげに弥生を見ていた。
そんな朱音は夏個人を呼び出し、保険証を渡したり緊急連絡先を教えたりアレルギーの有無を伝えたり、「なにかあったら、私に連絡してください。」みるみるうちに夏の表情は不安に曇っていった。
「不安になるでしょ、何かあったらって言われちゃうと。」夏の、誠実なのに行動が追いつかない本質が、やんわりと傷付く瞬間だった。「練習って言うのは、嫌だけど。でも練習してください。親って子供の何を持ってて、何を知らないといけないのか。」
朱音は夏を認めたわけではない。でも、海が自分よりも夏に懐いていることがわかるからこそ、夏が想像以上に真摯に対応しようとしているとわかったからこそ、彼女の言葉は変わったのだ。第1話の「『想像』してください」から、「『練習』してください」へと。
海と夏と弥生は、水季が働いていた図書館へ行く。海の希望だ。バスを降りた3人は、海を真ん中にして手を繋ぎ、図書館までの道を歩く。
「これ写真撮ってほしいやつだ。『外野』から。3人のこの感じ、絶対憧れのやつになってる。」
夏に言う弥生の声は、喜びで踊っていた。弥生だって、母になりたくなかったわけじゃない。海の命が宿った時期と同じ頃に中絶を決めた弥生にとって、海の存在は救いでもあった。
「あの子、私お母さんやれますって顔してた。」
だが、朱音にとっても海は救いだったのだ。
朱音は不妊治療の末、42歳で水季を産んだ。水季が授かるまではベビーカーを見るだけでイライラしており、欲しくてたまらないのに自分のもとには来てくれない不条理にジレンマを抱え、その分他人が幸せそうに子どもと暮らしている姿に、やっぱりイライラしていた。「なんで私じゃないのって。」
「いいじゃないか。その結果、水季が来てくれたんだから。」朱音の夫、翔平はそう返す。それでも朱音の表情が晴れることはなかった。
またどっか行っちゃったけどね。
朱音の翳りに反芻するように、ここからどんどん弥生の喜びが翳っていく。
一方で、水季のいない図書館に来た海は、早速スタッフと水季を見間違えてしまう。その間違いをきっかけに、海は母がいないことをじわじわと実感していき、そしてその悲しみを打ち消すように津野へと走り寄った。
しかしそんな津野も、まだ悲しみをわだかまりとして抱え続けている。
「(弥生を見て)彼女さんですか? 南雲さんとタイプ違いますね。おふたりで育てるんですか? 大丈夫ですか? 無責任とかいわれません? 」津野の言葉は、夏の柔らかい心に容赦なく響いた。
「すみません。」そして夏は、いつも通りすぐに、息をするように謝る。夏は、「相手が傷付いているからこその容赦ない他責」に寛大な男である。
「すぐ謝らないでください、いじわるしている気になって、気分悪いんで。」「すみません……。あ。」「……もういいです。ずっと謝っていてください。」
津野は決して性根の悪い男であるわけではない。むしろ優しいのだろう。そうじゃないと、水季を思ってシフトに融通をきかせたり、水季の葬式で朱音や海を気にかけたりはしない。ただ、感情がぐちゃぐちゃになってしまっているだけなのだ。そして人はそういうとき、大切な人以外には粗野になってしまう。
「……すみません。感じ悪くて。」実際、津野は夏に謝ってもいた。「そちらもそうだと思いますけど、まだ感情がぐちゃぐちゃで。別に怒ってないんですけど、いらいらした感じになっちゃって。」
いくら傷付いたときでも、子どもや大切な人相手なら、仕事相手なら、どうにか平常心を保とうと努めるだろう。でも相手が初対面の、なにを言っても「すみません」と謝ってくれる人だったら? 傷が他責として露呈してしまう。そんな自分が嫌だと、そう誰よりも思っているのは、他ならぬ津野だろう。
「海ちゃんが望むなら、なんでもいいです。誰と暮らしても、誰が親やっても。」
津野と水季は、別に恋人関係でもなかった。それでもたしかに津野は水季に対して親愛に似た情を覚えていて、だからこそ津野は海の幸せも深く願っていた。
「水季がそう言ったんですか? 」返ってきた夏の言葉は、「水季の時間を追いかけている」が故の少々的はずれなものだったが。「知りません。」津野、シンプルに夏と馬が合わなさそうだな、とも思った。
場面は移り、夏は図書館の片隅で預かった母子手帳を読んでいた。そこへ海が来る。「何呼んでるの? 」「母子手帳。……子どもの成長の記録、みたいな。」「すくすく? 」水季と海の時間が表す『すくすく』という独特のキーワードに戸惑いながらも、夏は海の気持ちを想う。
「いつもここ(図書館)で水季を待ってたの? だから今日、ここ来たかったの? 」「ん〜、うん。」珍しく、海の返事は曖昧だった。海は、水季がいるんじゃないかという、微かな希望をかけて来たがったのかもしれない。
「大丈夫? 」そんな気持ちを悟ったのか、夏は質問を重ねる。「水季がいないここ来たの、初めてでしょ? いないって、ほんとにもう、水季がいないってこと……」「読んで。」海は、夏に全てを言わせなかった。悲しみに向き合うことは、言葉では言い表せないほどのエネルギーを要するから、まだ幼い彼女は本能的にそれを避けているのだろう。たとえ夏が感情に敏くなくとも、海の「生き方」が見えた。
そんな海に寄り添い、身体をくっつけて母子手帳を読むふたりを、遠くから眺める人がいた。弥生と津野だ。
「疎外感すごいですよね。」津野が言う。
「自分は『外野』なんだって自覚しますよね。」「……確かに、『外野』ですね。」
バスを降りたときに自分が言った言葉が、弥生に跳ね返ってきた瞬間だった。あのときの弥生は、“そんなつもりじゃなかった”。ただ、家族のように3人で手を繋ぐ画に、憧れを覚えただけだった。それなのに。
弥生の手に抱えられた「母親になるためには」の本が、ぐしゃりとゆがんだ。
弥生は命に対して真摯だ。それは間違いない。仮にも毒親育ちとして、軽率に命を軽視して産むよりも、自分の立ち位置を考えて産まない方が結果的には愛かもしれないと思うから。でも、そう考えられるのも、私が“産まれた側の人間だから”だろうけれど。
「大丈夫でした? 」帰宅する頃、海は疲れて眠ってしまっていた。動けない海を預け、朱音は弥生と夏に、玄関で訊ねる。「はい、楽しかったです。」答えたのは、弥生だった。
「……楽しかった? ……そう。」朱音の表情が、敵意に揺らめいた。
「子ども産んだことないでしょ? 」
目を見開きながらも、弥生がその言葉を否定できるはずもなかった。「ありません。」夏は、その応酬を見ていることしかできなかった。
「大変なの、産むのも育てるのも。大変だろうなって覚悟して挑むけど、その何倍も。……尊敬しろなんて言ってないけど、産みたくて産んだし、当然のことなんだけど。水季もそう。もっと育てたかったの。」
産みたくて産んで、それでも大変で、それでも幸せで、なのにいなくなっちゃって。そんな娘の遺した孫は、たとえ1番に懐かれなくても育てたい、そうすることで水季との絆も切れないと信じていたのに。そんな朱音にとって弥生の存在は、横槍を入れてくるようなものだったのだろう。「悔しいの、水季がいたはずなのに。」
出産の、子育ての大変さを知っている朱音にとって、手放しに子どもとの時間を『楽しい』と言える弥生は、無責任に他ならなかった。「血の繋がりが絶対なんて思わないけど、でもこっちは繋がろうと必死になって、やっと繋がれたの。だから悔しい。」
いなくなってしまった水季と、海のおかげでまた繋がれたのに、血の繋がりもない人に家族の座を奪われる。そう思うと、朱音の焦燥も否定はできないの。
「でも……ほんとに楽しかったです。ありがとうございました、私まで一緒に。」返す弥生の言葉は、ただまっすぐだった。楽しかったことは本当だったし、否定したくない感情だった。そして弥生の言う『私まで一緒に』は、彼女が『自分は外野だ』と自覚した故の言葉だったのだろう。
「楽しかったね。」そして夏は、弥生の本音を知らずとも、その楽しさを一緒に肯定してくれた。朱音と弥生の会話に口を挟むことはできなかったけれど、不器用だけれど、優しい人なんだよな……。
そしてそんな優しくて不器用な夏は、ずっとひとつのわだかまりを抱えていた。後日、朱音は海を連れて夏の家を訪れる。例によって、海が会いたがったからだ。夏に懐き、弥生にも懐き、天真爛漫に笑っている海は、明るく眩しかった。
でも、その違和を夏や朱音は感じ取っている。「大人だってまただめでしょ、思い出すと気持ちがぐちゃぐちゃするでしょ。」「海ちゃんは? 家でも元気なんですか? 泣いたりとか、ご飯食べないとか。」
夏は色々考えている。想像して、考えている。海の気持ちも、考えている。でもそれは朱音も抱えていた『心配』で、朱音は夏のその声に「……ねっ。」やるせなく微笑むだけで、目の奥で小さく泣くだけだった。
海が「悲しい」という感情を表に出さないのは、人を信用しきっていないからなのだろうか。だとしたら、それはあまりにも寂しい。
でも夏は、朱音と違ってまだ海と家族ではない。ときにはそういう人が不躾に領域に立ち入ることが、人を救う。
「学校もおばあちゃん家も楽しいよ! 」「なんで元気なふりするの? 」夏が静かに問い詰める。海の目が、夏から離れなくなった。
「やめなよ。」弥生の制止も聞かず、夏は続けた。「水季死んで、悲しいでしょ。何してても思い出してきついと思うし。なんで?泣いたりすればいいのに。水季だって、元気でいて欲しいって思ってると思うけど、でも、元気ぶっても意味ないし。」夏の優しさは、容赦がなかった。
「そんなことないよね。みんなが優しくてしてくれるから、海ちゃんも元気でいられるんだもんね。」そして弥生も弥生で優しいのだ。悲しむことがどれだけエネルギーを使うか、悲しむことを押さえ込んで今も生きている弥生は、海が気丈に生きようとしている選択を肯定しているのだ。
「水季の代わりは、いないだろうし。」
「大丈夫だよ、みんな『ママの代わりに』海ちゃんのこと助けてくれるから。」
弥生は、なんというか、何気ない言葉がかさぶたをつついてくるようなところがあるよな。もちろん意地が悪いわけじゃないんだけれど、自分が傷を隠して強く生きているからこそ、強く生きようとする人の背中を押してしまうきらいがある。そしてそれは、弱音を吐き出したい人にとっては逆効果となり得てしまう。
「水季が死んだってことから、気を逸らしたって仕方ないし。
悲しいものは悲しいって吐き出さないと。」
途端、海の大きな目から、ぼろりと大粒がこぼれた。太陽のように眩しかった海の表情に、初めて悲しみが落とされた瞬間だった。
「頑張って元気にしてたんだもんね、えらいよ。」弥生はその涙を、『夏の言葉で傷付けられた』と受け取り、海にハンカチを手渡したが、そのハンカチが受け取られることはなかった。海は弾けたように立ち上がり、夏の大きな背中に抱きつき、声を上げて泣いたのだった。
この瞬間、海は本当の居場所を見つけ、弥生の疎外感はより一層浮き彫りになった。このときの弥生の、感情が抜け落ちたような表情が忘れられない。
『自分の中にある感情を肯定すること』。
夏の想いによって救われた海は、学校でも気丈に振る舞うことをやめる。「今日は元気ないけど、大丈夫。今、ママのこと考える時間。元気ないけど、大丈夫。」
たどたどしく、でも着実に、海との距離を縮める夏は、朱音に「できるだけ海ちゃんの望みを叶えてあげたい」と伝える。そんな夏に対し、朱音はずっと言葉にできなかったことを言った。
気持ち固まったってこと? 海の父親やるって。
一方で、夏と弥生の間に埋まらない溝が、じわりじわりと深まっていた。気丈に振る舞うことをやめ、感情に素直になった海。気丈に振る舞うことしかできず、泣くことすらひとりじゃないとできない弥生。そして夏は、わかりやすい感情に対して責任感で対応する人だった。
場面は変わり、夏と海は海へ行く。そこは海と水季がふたりでよく行っていた場所であり、視聴者に第1話の冒頭を想起させた。
子どもが苦手だった夏が、海に目線の高さを合わせて話し、触ることすら嫌がっていたカメラの使い方を教える。「これはフィルムだから、すぐには見れないの。今度見せるね。」「今度? 」約束めいた言葉に、海の語尾が上がる。「うん、今度。」
「パパいつ始まるのって聞いてくれたけど、始めてほしいってこと? パパになってほしいってこと? 」海辺で仲睦まじく話しながら、夏は海に本題を切り出す。返ってきた海の返事は、意外なものだった。
「ううん。夏くん、パパやらなくていいよ。……でも、いなくならないで。」
ママとパパ、ひとりずつしかいないから、だからいなくならないで。
1度では理解できなかった夏が、何度も何度も咀嚼して、自分の中のフィルターを通し、必死に理解しようとする。「……パパだからいなくならないでほしいけど、パパやらなくていいってこと? 」「ごめん、パパやるってなに? 」海自身、『パパやる』の意味はわからなかったらしいが。
『よくわからない』は、夏の中で『無責任』ということだけれど、想像には限界がある。7年間、水季と過ごさなかった夏が彼女の時間を本当の意味で理解することは、土台無理な話だ。それでも、彼は海には真摯で誠実でいたいと思っている。
「いなくならないで、はわかる? 」不安げに、海が訊く。その目は第1話の冒頭で、後ろにいる水季に問うていたときと、同じものだった。「それはわかる。わかるし、そうしたい。」
家族の線引きはわからないけれど、これは愛だよ。私はそう思った。
水季の代わりにはなれないけど、一緒にいれる。
じゃあ、いて。わかった。
海本人すらわからない『パパやらなくていいからいなくならないで』の細かい意味を、いち視聴者に過ぎない私がわかるはずもなかったが、個人的には『ママをやってママがいなくなったから、パパをやってパパがいなくなるくらいなら、パパをやらなくていいよってことなのかな』と思った。だとしたら、海は血の繋がりや感情の繋がりと、紙の上での繋がりに対してどうしようもなく臆病になっているということだろう。それくらい、彼女にとって水季を喪った傷は大きいのだ。
血の繋がりが、愛だろうか。だとしたら、この世に生まれた人は全員愛されているし、虐待や毒親なんて言葉は生まれないだろう。
紙切れの契約が、家族だろうか。だとしたら、虐待に心を疲弊して親との縁を切った私に、家族はいない。
血の繋がりは愛の証明にならないが、血の繋がりほど濃いものもない。
私自身、どれだけ人格を否定されるようなことを言われた過去があっても、毎日のように「私さえ我慢していればあれは愛だったのに」と後悔している。
結局は、ひとりの人間として尊重し合えるかの問題なのだ。そしてそれは命を尊ぶことでもあり、子どもがほしかった朱音も、未来を思って諦めて中絶した子どもを想い続ける弥生も、授かった命を大切にしたくて海を産んだ水季も、海の命や生活に真摯に向き合う夏も、全員命に向き合っているのである。
海はどこから始まるのか。海が始まった瞬間はどこなのか。
海が生まれた瞬間ではない、水季と夏が出会った瞬間でもない、朱音が水季を産んだ瞬間でもない。きっとずっともっと前。だからこそ今、夏や弥生が必死に選択をしようとしている姿こそが、『海のはじまり』なのだろう。
私、殺したことある。
次回予告の、弥生の言葉である。第2話で中絶を「殺す」と表現した夏相手に告白するからこそ、弥生はこの言葉を使ったのだろう。それに対し、夏がどう返したのかは4話を観ないとわからない。でもその後、弥生は風呂場でシャワーを浴びながら、滂沱の涙を誤魔化すように泣きじゃくっていた。
私自身鬱がひどい人間だから、同じ泣き方をしたことがあって。泣いていることを認めたくなくてシャワーを使い、浴槽に閉じこもるように膝を曲げ、誰かの前で泣けない自分が嫌になるあの瞬間。あの一瞬の映像を観ただけで、どうか弥生が救われてほしいと強く願ってしまった。
みんなの想いはわかるんだよ。どう足掻いても、この物語の中で1番尊重されるべき存在は海だ。スピンオフドラマで描かれた夏の弟大和は、結果的にいい環境で過ごせたけれど、選べなかった。対して海は、水季に『選んでいいよ』という愛され方をしている。
ただでさえひとりで生きられない、まだどこまでも純粋無垢な海は、守られなければならない存在だ。だからと言って誰かを蔑ろにしていいわけではないが、傷付いても傷を見せず、周りに優しく手を差し伸べる弥生のような人はどうしても優先順位が後ろへ行く。
だからこそ、どうか、登場人物みんなが感情のざらつきに向き合って、海のような清らかな笑顔で笑ってほしいと、願うばかりである。