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全人類、「祭GALA」の『三武将』を観て

歴史オタクが「祭GALA」の「三武将」に狂っている件について

※このnoteは「祭GALA」の「三武将」のネタバレを大いに含みます。

みんなGALA観た!?!? 観ていない人もうすぐに観て! 今すぐに観て! オタクの夢叶えたろかSPだから!

『オープニング』、『Dancing Floor』、『お化け屋敷』、『祭』、『変面』、『演舞』、『風』……全部全部オタクが見たかったものを最高級の形で演出してくれている。3人の総合演出のみならず、それぞれのソロの『新世界(岩本照)』、『あの日の少年(深澤辰哉)』、『Moon(宮舘涼太)』、『Reincarnation
(宮舘涼太)』最高に『らしく』て、毎秒尊さに唸っていたほどだ。
その中で、なぜ私が今回『三武将』を選んで語ろうと思ったか。理由は簡単、私が元々歴史オタクだからである。特に彼らが演じた信長・秀吉・家康が席巻する戦国時代は、最近映画『首』や大河ドラマ『どうする家康』を観たからこそ、熱としては最上級に昂っているのである。

「己の本当の敵は、己の内に潜んでいる。この物語は、眼、耳、鼻、下、身、意、六つの根源から導かれる百八つの煩悩が姿を変えた、亡霊との戦いである。
「……時は戦国、ここに、三人の天下人がいた。

「祭GALA」『三武将』より

縦横無尽に戦う亡霊たち。そこに差し込む3つの光。だが亡霊はその光を斬れない。その光から浮かび上がる3人の名前。『信長』『秀吉』『家康』。
倒れ込む亡霊に対して、天下の権化のように美しく舞う女性が映ると、ようやく3人の武将が舞台に現れる。

まず、その配役から見てほしい。

織田信長→岩本照
豊臣秀吉→深澤辰哉
徳川家康→宮舘涼太

いや最高すぎんか!?!? 解釈の大一致!

そもそも出てくる順番としては家康(舘様)、秀吉(ふっかさん)、信長(岩本さん)なんだけど、個人的には簾で『家康』『秀吉』『信長』と出てきたときから叫びそうになるほど喜んだ。そう、当人たちが出てくる前から歓喜に湧いていたのである。
だってしょうがなくないか? ジュニアくんたちが戦場の侍たちのように戦々恐々と猛々しく刀を交えている中、三武将の名前が書かれた簾が垂れ下がる。この時点で決定したわけだ、「岩本照、深澤辰哉、宮舘涼太の3人がこの3人の武将を演じる」ということが。
武者震いした。これから最高のものが待っているのだと確信めいたものを感じていた。

そして出てくる家康(宮舘涼太)。

この家康、たぶん冒頭は松平時代。臆病で戦嫌いで血を見ることを恐れるような『兎年に生まれた』心優しき武将。戦乱の時代に揉まれ、あくせくと振り乱れる戦意の中で生き抜く彼の眉は恐怖に垂れ下がり、逃げ動くたびに飛び散る汗には冷や汗も混じ入っていた。
怒涛に動く戦乱の世は、で表現される。舞台を這う布に巻き込まれる家康は、次第にその布に乗りこなし刀を武器とする。だがこのときはまだ鞘は抜けない。刀から鞘を抜く勇気を持てず、「戦いたくない」とでも言うようにあの手この手で逃げ惑う家康。でもむくむくと大きくなる守るものの存在に気付いた彼は、意を決して鞘を抜く。
そして戦うと強いのだ、この男。家康の命を狙う縦横無尽に入り乱れる刀筋の中、舞うように躱したかと思えば、一寸の迷いも無い太刀筋で相手を斬り捨てる。その美しさたるや。
家康の戦い方は、3人の中でも特に美麗であった。それは彼の由緒正しき血筋ゆえなのだろう。勇猛で精悍で、怯えていたあの日の柔い少年ではない、剛の者とも言える戦略に満ち満ちた歴戦の狸が、舞台の上に立っていた。
そんな彼が、黒い闇を追いかけて舞台は一変する。

次に出てくるのが、秀吉(深澤辰哉)。

降りてきた鳥居を我がものにするかのごとく、金色の似合う覇者であった。
天下人となって巨万の富を手に入れた秀吉は、誰が刃向かって来ようとも恐るることはない。飄々とひらりひらりと刃を躱し、神すらも味方につけたかのように振る舞う。さらに彼には躊躇がない。彼の太刀筋には迷いがなく、容赦なく無慈悲に敵を倒していく。もはや日ノ本に彼の敵はいない。どんな強い武将の刃も、彼の前では赤子のようなもの。刀を使う必要すらないとでも言うように、嘲笑うみたく白旗で刃を躱す。足軽から天下統一を成し遂げるまで大成長した秀吉にとっては、まさにこの世は天国。芸妓と遊ぶかのように殺陣をこなし、癇癪のままに椅子を蹴飛ばし、その頬には微笑すら浮かんでいる。嘲り、指で軽く煽るような所作には、色香すら感じた。彼にとって戦は命を懸けるものではなく、能や狂言を観て楽しむような娯楽の一種ですらあるのだろう。そんな仕草で、秀吉は振り乱れる刃の数々を嘲笑うようにゆるく戦乱に興じる。
だが、徐々にそんな享楽な空間に影が落ちる。たしかに天下人となってこの世の全てを手に入れたかに思われた秀吉だったが、それ故に自分の血筋を遺すことに固執し、心血を注いだ。一代で築いた地位がどれだけ脆いか、彼は知っていたのだろう。だからこそ自分の血筋を遺すことに躍起になるが、老いには勝てず、まだ幼い秀頼を残してこの世を去ることになる。
猿と呼ばれた身軽さで、戦乱の世を上手く生き抜いてきた秀吉だったが、最後は徐々に余裕がなくなっていき、白旗を投げて舞台を逃げ去る。その様が儚く目に焼き付いた。

最後に信長(岩本照)。

筋骨隆々とした体躯に恵まれ、血筋も申し分なし。信長は言うまでもなく、天下統一目前まで大局を動かした名将である。だが彼はずっと大きな影に怯えていた。父、信秀である。
信長の父、信秀は「尾張の虎」と称され恐れられるほど、戦国時代において勢力を拡大していた。その権威は主君であった尾張守護すら上回るほどであり、外交力と軍事力どちらにも長けた信秀は、信長にとって脅威であった。実母にも愛されなかった信長は、大きな背中を持つ父に反発するみたく粗暴さに磨きをかけ、治安の悪い仲間たちと町を練り歩くことで「うつけ者」と呼ばれていたが、父に刃向かうことはできなかった。
舞台の上で、信長は何度も大きな影に殴られる。その影は恐らく父、信秀であり、どれだけ世に逆らおうと奔走しても父の脅威からは逃れられなかった信長を表していたのだろう。強靭な身体を持ち、優れた知能を持ちながらも、父に振り回されて父に一矢報いることすらできなかった信長の姿は、どこまでも痛ましかった。
だがそんな彼が最後、何者かの首を手にし、不満そうに投げる。誰の首か。言うまでもなく、信秀だろう。
こんな逸話がある。信長は信秀の葬儀に、袴すら履かずに突如やって来た。そして焼香の際、彼は父の仏前に向かって抹香を杜撰に投げつけ、そのまま立ち去って行った。どこまでも非常識な行動ではあるが、これはきっと彼にとって初めて父に一矢報いた瞬間であったのだろう。
現実では、彼は父の首を引っ捕えて高々と掲げることはできなかった。だが何度も殴られて乱暴に育て上げられた彼はきっと、ずっと鬱屈とした思いを抱えていたのだろう。そんな暗雲立ちこめる思いが、まさに多くの『首』となり、彼を天下人へと押し上げたのである。
信長の太刀筋は、美麗や迷いがないと言うよりは繊細ですらあった。常に真一文字を描くように刀を振る。そんな彼が最後に斬ったのは、炎に焼き尽くされる自分自身の首だったのかもしれない。

この3人は、まさに数奇な運命で繋がれている。

秀吉は信長の奉公人から大成し、家康は織田氏の人質から清洲同盟によって対等に近い存在となった。その3人が、舞台の上で刃を交える。
実際には叶わなかった夢だ。戦国三英傑と呼ばれた信長、秀吉、家康が戦う。
現実では信長に刃を向けることすら叶わなかったふたりが戦々恐々と弱肉強食の世を楽しみ、信長もそんなふたりに触発されたかのように楽しみながら刀を振るう。違う場所にいた、出生もまるで異なる3人が、大舞台へと集うのである。まさに圧巻の景色。
信長が浮かべるのは、対等な戦友の存在に喜ぶような恍惚とした表情。秀吉の頬には、動乱の世を命を懸けて戦える喜び。家康の目には、これまで隠してきた闘志が燻るように燃えたぎっていた。
そしてわらわらと群がる亡霊たち。背中合わせになって奴らに刃を向ける三武将。そう、三武将が背中合わせとなって巨大な敵と戦うのである。なんだそのオタクが好きな展開。腹のうちを明かして背中を任せる味方にも、闘志を燃やして刃を交わす好敵手にもなれなかった戦国三英傑が今、どちらもしてくれる。それぞれがそれぞれの苦しみに懊悩しながらも、「天下統一」という同じ目的を目指してきたからこそ、同じ敵に向かって闘魂を剥き出しにする。

そして最後、3人はまた渇きに満たされないかのように苦しそうに、それでいて満足気に刀を振るう。天下を治めようとも、付き纏う闇は消えないのだろう。
そんな舞台も、信長と秀吉が斬った傷が花のように舞い、天下布武をなし得て時代を築いた家康が奈落へと堕ちていくことで、幕を閉じる。

「戦国の世を統治した織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、天下人故の三者三様、内なる煩悩に喘ぎ、苦悩し、それぞれ死を迎えたが、彼らの死によって僕たちは今を生かされているのだろう。」

「祭GALA」『三武将』


三武将の『苦悩』とは、なんだったのか。

家康にとっては内なる弱さ、秀吉にとっては栄華、信長にとっては父。言葉にするならそうだが、あえて言うなら『人の心』であると、私は思う。
信長の命令で妻と子を殺さなければいけなかったにも関わらず、15代まで血を繋いだ家康。一代の栄華の弱さに気付いていたからこそ、血の繋がりに固執し家族を愛した秀吉。両親に愛されなかったからこそ、家臣にも心を明け渡すことができず謀反を起こされた信長。

天下統一に手をかけた三武将が、人の心に振り回され、天下を治めようともそのしがらみからは逃れられなかった切なさとやるせなさと美しさを描いている。それが「祭GALA」の『三武将』であり、それぞれの憂いと強さを演じた3人には、ただひたすらに感嘆する。


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