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おにぎりの話
最近は異例のお米の流通不足により、スーパーではお米コーナーの消失、単身者の味方のパックご飯ですら買うことが出来ないという異常事態となっている。かつて無い気温上昇の影響だの農家の方々に対しての国の体制の不備などいろいろな理由が飛び交っているがそんなものはどうでもいい。問題は今どこに行ってもお米が買えないという事だ。
親戚が米の卸業を営んでいたおかげで小さな頃から当たり前のように美味しいご飯を食べていた。一人暮らしを始めた際、実家で食べていたそのお米がスーパーで適当に買ったお米とは全然違う大層良いお米だったということに気付かされた。私はお米に関してはとりわけ舌が肥えてしまっていた。
その親戚の米屋のおばさんというのが母方の祖母の妹さんなのだが子どもの頃は理解が出来なかった、子どもからすれば大人は一括りで全員【大人】というジャンルに居て年齢などの区別がつかず皆同じに感じていたのもそうだが、大きな理由の一つがいつも優しくおっとりとした祖母とは違いキリッとした表情でハキハキと喋る人だったからだ。今思えば確かに顔が似ているのだが小さかった自分にとっては『ちょっと怖い親戚のおばさん』だった。ご飯をひと粒でも残そうものならどこかはわからないが閉じ込められるのでは無いかと怯えていた。
今は関東で友人とルームシェアをしているのだが、先日そのおばさんの訃報が届いた。確か春先に会ったときは以前と変わらずとても元気だったのを覚えていたので青天の霹靂という状態だった。霹靂といえば稲妻という言葉に『妻』という女性を表す言葉が使われているのは『雷が多いと豊作になる事が多い』と、『雷があたった穂は妊娠する』ということから来てるらしい。
夫婦で米屋を営んでおり、数年前に亡くなったおじさんはよくお米をブレンドしていた。おにぎりに合うようにブレンドしたというお米で鮭と昆布のおにぎりをよく差し入れてくれたことを思い出した。冷めて巻かれた海苔もシナシナだったが(パリッとが好きだったため)塩加減がちょうどよくモチモチとした食感がしてとても美味しかったことを今でも覚えている。
もうあのおにぎりは食べられないんだな。
そう思うと自分のなかに小さな穴が空いたような気持ちになった。
いい歳になってわからないわけではないが、自分が歳をとったのと同じだけ周りも歳をとるということ。地元で人気だった居酒屋さんやラーメン屋さんも後継者がいないため閉店となる場所がある、小さな頃からテレビでよく見ていたタレントさんや俳優さんも気がつけば亡くなってた、20代の頃「こんなに若いのに亡くなってしまったんだね」と言っていた歳を自分がとっくに越してしまっていること。
残酷なことに【無くなる(亡くなる)】ということは、どれだけ医療技術やテクノロジーだなんだがが発達した世界でも不可避ということに大きな不安と寂しさを感じている。
新米の登場で米騒動は解消される見込みだとテレビでどこかの専門家が言っていた、その一方で台風の影響で稲が倒れてしまった、水が濁ってしまって田んぼに流せないなど頭を抱える姿を放送する番組もあった。お米の栽培について詳しい訳では無いが、今年の残暑は長すぎたとおもうが大丈夫だろうか。
だとしても、米屋のお二人のおかげで白いご飯大好きに育った私は新米が楽しみで仕方ない。もし新米が手に入ったら炊きたてを塩だけでおにぎりにして食べたい、そして卵かけご飯にして食べたい。でもまずはSNSで見かける「明日食べるお米が買えない」という方々に早く行き渡ってほしい。
そんな偽善なことを考えながら実家から送られてきた新米ではないけれどその米屋で買ってくれたお米を今日も食べている。
おにぎり用のお米のブレンドなどはもうしていないけど、今もその米屋は娘さん夫婦とお孫さんに引き継がれています。
おじさんおばさんのお陰で米粒一つ残さない人間になれました。
これは私の宝物です。
美味しいお米を本当にありがとうございました。