大好きなおじいちゃんの元気な歯
『自分、歯並びに自信ありませんから』
小さな頃は虫歯で歯医者さんにお世話になることもしばしば、腫れてパンパンになった歯茎が痛くて、でも歯医者さんも怖くてという永久機関を過ごしておりました。
物心がついた頃には歯医者さんがすっかり苦手になっていて、顎が小さいだかなんだかで歯が1本生えてくることが出来ずに上顎に眠っているらしいです。しかもその場所が前歯だということはコンプレックス以外の何物でもありません。今は義歯で過ごしておりますが本物とは違うため大きな口で笑うのは苦手です。
食べることが唯一の生きる喜びと認識している以上、美味しくご飯を食べるということに一番直結しているのは“健康な歯”であることは常識中の常識。そのことに気がつかせてくれたのは忘れもしない“親知らずの抜歯”をしたときのことでした。
私の親知らずは左右の一番奥に綺麗に上下1本ずつ計4本生えておりました。それはそれは綺麗にまっすぐ生えてきたため何の問題もなく元の歯達と仲良く共存するものだと思っていたのですが、ある日を境にめちゃくちゃに大暴れをし始めたのです。
最初はちょっと痛いくらいだったのですが、日に日にその痛みが増していき歯茎もほっぺたも腫れているようでした。それでも痛み止めを飲めばなんとか我慢できたので放置していたのですが、その腫れたほっぺたが咀嚼のたびにムニッとはみ出してきて必ず噛んでしまうという事態に発展していきました。何かを食べるたびに噛んで痛い他、何を食べても血の味が混ざるという事に心が病んでいきました。兄が高校時代に親知らずを抜いたのですが、泣くことのなかった兄が抜歯の後に涙目で自室に引きこもった記憶があったので怖くて歯医者さんに行くことが出来ませんでした。
その兄が食欲がなく元気のない私を見て
『親知らずを抜いて数日経てばその痛みとおさらばなんだよ。
そのいっときを我慢すれば素晴らしい未来が待っているんだぞ』
私は勇気を振り絞って歯医者の予約をしました。
抜歯当日、緊張で名前を呼ばれ一歩踏み出した瞬間スリッパがスポーンと飛んでい行きました。苦笑いの受付を通り抜け案内された椅子に座ろうとした瞬間、施術用の器具を置いている台に足をぶつけました。
いつもの先生では無く外科の先生が抜歯を担当してくださいました。
こちらの歯医者さんでは施術中に目の上にタオルをかけてくれる為何をされて居るのか全くわからないのですが、顎が小さいからか大きく開けることのできない口に何かを突っ込んでなんかすっごい力で押されてメキメキメキメキってされること数分で親知らずは抜けていました。
幸い綺麗にまっすぐ生えていたため、そんなに時間はかからずに終えることが出来ました。ここからは兄が泣いていたゾーンに入るのですが、麻酔が効いているのか思ったよりも痛みはなく、何よりもめちゃくちゃ痛かったほっぺたを噛まなくなったことによるストレスの解消と痛みからの開放の喜びが何よりも強かったです。
歯があった所に何も無いという違和感はありましたが、数日で慣れ一週間ほどで縫い合わせていた糸も取れ親知らずが痛くなかった日常に戻ることが出来ました。その後当たり前のように次々と別の親知らずも病んでしまったためすべての親知らずを抜くことになったのですが、あの時兄がかけてくれた言葉のお陰で最初の頃のように最悪な状態になる前に歯医者さんに向かうことができました。
そしていよいよ表題の件についてなのですが、祖父は今年で99歳の白寿を迎えます。その祖父の大好物というのが酒とお肉なのですが、そのお肉というのも霜降りの柔らかいお肉と言うよりは噛み応えのある部位を好んでいます。焼き肉で言うとカルビよりハラミといった具合でしょうか。
そして驚くのがそのお肉を食べている歯というのが未だに現役すべて自分の歯というところなのです。
健康的な食生活を心がけているか?と言われると少し不安なところがあるのですが、99歳になっても大好きな日本酒と大好きなお肉で嬉しそうに晩酌をする姿が元気を物語っているような気がします。
もちろんバランスを考えた食事も大事ですが、好きなものを美味しく食べるということが一番心の栄養になっていると思います。
そんな祖父のようにできるだけ自分の歯でこれからも美味しいものを噛み締めて行けるよう毎日の歯磨きと時間に余裕があれば歯間ブラシも行っています。そして一番大事なのは過信せず歯が痛い痛くない関係なく定期的に歯医者さんに行くことです。鏡越しの自分の目ではわからない歯茎の状態や歯の間の汚れ具合なども診てもらえ、口内を専門的な機材で綺麗にしてもらえます。この掃除が口の中がさっぱりしてとても気持ちが良いんです。
どこまで自分の歯で行けるだろうか。
年老いても自分の歯で笑ってご飯を食べられるように、祖父の背中とお口を目標に生きていきたいと思います。