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完璧主義の克服 失敗を回避するという失敗に気づく

今たいした仕事も任せてもらってなくて、つまらない人生だと腐っている人っていうのは結構多いよね。

だけど、その自分が、これまで失敗を回避して、安易な道を選択してきた結果、そうなっていると言う気づきもあり得るかもよ。

やはり人間と言うのは、戦うよりも、楽な方向を選ぶと言う習性があるから、どうしても失敗を回避してしまうんだね。

そして、失敗の可能性がこんなにも高いんだということを自分に言い聞かせているんだ。

実はそれが完全主義とか、完璧主義とか言われるものだよ。

でも考えてごらんよ。今、尊敬を集めている過去の偉人たちを見れば、失敗の連続で、非難を山のようにぶつけられた人も多いよ。

その1人が鎌倉時代のお坊さんで、日蓮と言う人だと思うんだ。

別に日蓮宗を信仰しているわけじゃないんだけれども、この人の伝記を読むと、本当にバイタリティーのある人だなと感心するところがいっぱいあるよ。

まず死刑になりかかっているし、佐渡に流されたりしてるし、どんどん仲間は少なくなって、本当に数人しかいない時もあったんだよね。

そこまで迫害されれば、おとなしくなるというのが普通の人だけれども、この人の法華経と言うお経に対する確信の強さと言うのはやはりすごいよ。

仏教のお経と言うのは、阿弥陀経とかいろいろあるけれども、大体あの世の極楽に帰ろうよと言う話だよ。

だけども、この法華経だけは、この汚れた汚い世界を、きれいな世界に変えると言う考えを打ち出しているんだね。

それはこの世界で教えを説いている釈迦牟尼仏、つまり釈尊だね、が本当は昔から悟っていて、この宇宙を作られた根本の仏様だと言うことを明らかにしたお経なんだよ。

それで日蓮は、今風に言えば、社会改革と言うことに自分の使命を感じて、あらゆる非難や批判を跳ね返していくんだよ。

戦い続けることから逃げないと言うのは、本当に難しいけれども、過去に実際やり遂げた人がいると言うのは、本当に勇気になるね。

やっぱり人生は、チャレンジと戦いの連続だと捉えたときに、本当にエキサイティングになっていくんじゃないのかね。

アップルのスティーブ・ジョブズなんかもそうだと思うんだよ。

ウォルターアイザックセンの伝記を読み返してみたんだけれども、失敗の方が実は多いんじゃないかと思うんだ。

特にリサとかMacintosh何かを作った時は、失敗の連続で、ついに会社から追放されてしまうし、その後もネクストと言うコンピューターを作って、たいして成功したわけではないんだよね。

だけど、この人の人間の創造性に対する絶対的な信頼と言うのは、やはり凄まじいよ。

この信念が、結局ルーカスフィルムから買収したピクサーに受け継がれて、トイ・ストーリーの大ヒットにつながっているんだね。

人間の値打ちは、棺桶の蓋が閉じてから決まると言う諺もあるけれども、失敗続きであることを悲しむ必要は全然ないということだろうね。

それよりも、このためだったら、自分の命を捨ててもいいと言う位に打ち込めるような何かを、一生かけて見つけられたらいいんだと思うよ。

それに命をかけてみると言うことが決まったら、人生はもう半分成功したと言っていいんじゃないのかな。

人の評価とか、非難とか、そんなものは所詮、その時々の一時的な時代の風潮でしかないこともあるからね。

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