誘惑の季節
誘惑というのは弱い人が受けるものだと考えがちだけど、そうじゃないよ。
よく考えてみると、イエスキリストも、悪魔に誘惑されているんだね。この石をパンに変えてみろとか、高い建物から飛び降りてみろとかそんなやつだよね。
あのイエス・キリストでも、お腹が減っているという、肉体的な欲望で苦しんでいるときには、こういった誘惑があるんだよ。
そう考えてみると、人生にはやっぱり誘惑される季節というのがあるようだね。
電車なんかでマニキュアを塗った女子高生なんかを見ると、まさに性的な誘惑の真っ只中を歩いている感じがするよね。
肉体的な元気さがいっぱいだから、どうやって男の子を誘惑しようかとか、そんなことで頭がいっぱいなんだろうね。
でも20年ぐらい経ってごらんよ、そんな誘惑はもう過去のものになっているんだよ。
そう考えると、誘惑の季節を通り過ぎるには、どうしても忍耐力というものが必要な感じがするよ。
女の子であれば、やっぱり責任を持って子供を産み育てるぐらいになるまでは、性の誘惑は耐え忍ばなきゃいけないと思うよ。
これよく古臭いとか思っていると、やっぱりどこかで火傷をしたり、痛い目に会って、心の傷というのが深く刻まれてしまうんだよね。
そして、どこかで自分の生き方に対して後ろめたさとか、劣等感とか、人間不信というのが出てきてしまうと、どうしても幸福な人生を歩めなくなってしまうんだよ。
老人の繰り言みたいに思われるかもしれないけれども、人生には誘惑の季節があって、それを乗り切るには忍耐が必要だということは、心のどこかには留めておかなきゃいけないことだと思うよ。
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