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不安に駆られたときの対処法 心の焦点距離を遠くに合わせるといいよ

人生で何回かは不安に襲われる時ってあるよね。

例えば、がんの宣告をされたりとか、重い病気になってしまったとか。

それから最近は闇バイトも多いけれども、子供が闇バイトにはまって捕まったって聞いたら、目の前は真っ暗になるよ。

それから会社でも、上司と激しく言い争いをしたりした後なんかは、これでもう昇進はなくなったみたいに、目の前が真っ暗になる時もあるしね。

そういう時は心臓もバクバクと激しく動悸するし、こんなふうに不安に襲われる事は、できたら避けたいけれども、どうしても人生で何回はあると思うんだよ。

今は先行きが見通せない時代だから、もしかすると1年に一回ぐらいは不安に襲われるかもね。

突然取引先から契約を切られたりとか、売り上げが突然半分になったりとか、もう何でもありの時代だしね。

そんな時に、どうやってこの不安から逃れるかと言うのは、1つのテクニックとしてとても大事になってきてると思うんだね。

そこで思い出したのが、ローマ時代のシーザーが言っていたことで、「人間は見たいと思うものしか見ない」と言うことだよ。

つまり心には、フォーカスを変えていく力があると言うことなんだね。

だから不安に駆られていると言いつつも、不安であることに心のフォーカスを意図的に合わせているわけだよ。

人間に見たいものを見る自由があるなら、心を不安から引き離して、別のものにフォーカスすることも本当は可能なはずなんだよ。

だけど、人間の特性として、常に目先のことにとらわれると言う傾向も強くあるんだね。

だから突然降りかかってきた不幸がどーんと目の前に置かれると、それしか見えなくなってしまうわけだよ。

やはりそんな時は、一旦深呼吸をして心を落ち着かせることだよね。

ここで焦って手を打つと、ほぼ100%間違えると思うよ。

それよりも、この不安と言うものは、やっぱり一時的なものであって、やがて過ぎ去っていくと言う、ちょっと俯瞰的に見ることがどうしても必要だよ。

例えば今自動車メーカーでは、中国に進出したのはいいけれども、中国政府がEV車ばっかり補助金を出すから、ガソリン車の売り上げが半分になって、本田なんかはものすごい苦境に陥っているそうだよ。

こんなことが突然起きたら、不安に駆られるのは仕方ないけれども、やっぱりこれも過渡的なものだからね。

やがてはEV車のデメリットもはっきりしてきて、ガソリン車も復帰してくる可能性もあると考えれば、いいんだよ。

そもそも、経済的なメリットだけに目を奪われて、独裁的な全体主義国家に進出してしまったと言うことの反省は、トップの人たちはしないといけないとは思うけどね。

要は中長期的なもののほうに目を移すと言うことが大事だと思うよ。

それから、今、苦境に陥っていたとしても、その苦境を招き寄せている自分の中に、動機としてやましいものがないというか、本当に世の中や人々のために良かれと思ってやったことであれば、あえて引き受けて、耐え忍ぶと言うことも大事だよね。

例えば上司と言い争いをして、もうお前は左遷だみたいなことを言われたとしようか。

だけど、言い争いの原因は、少しでも会社を良いものにしようと言う思いであったのであれば、その非難は甘んじて受け入れなきゃいけないよね。

そしてその「動機の純粋性」と言う事は大切にして、磨いていかなきゃいけないものだと思うよ。

そう考えてみると、不安と言うのは1つの選択を迫っているのかもしれないよ。

それは自分中心に生きるか、それとも他人の幸福中心に考えるかと言う選択だよ。

やっぱり不安と言うのは、自分中心にしていることの表れだからね。

誰しもが不安に駆られるような時でも、人の幸福のことを優先して考えている人は、いつも新しい道を見つけ出して、不安から逃れて、明るい希望の方へと歩いていけると思うよ。

結論的には、心の焦点距離を遠くすることだし、遠くすると言う事は、多くの人々のことを考えることだからね。

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