責任回避をしない 無意識のうちにやっているから要注意だよ
よく無意識のうちに、言い訳がさっと出てくる人っているよね。
本人は自覚してはいないと思うんだけれども、常に責任回避をすることが習い性になっちゃってるんだよね。
こういう人は、端から見ると、ごまかしが上手だと言うふうに見られているし、あまり信用もされないから、長い目で見たらやっぱり損なんだよね。
そこでこれに気がついたら、やっぱり自覚して、責任回避回避をしないようにしようとする事は、人間の成長としては大事だと思うんだよ。
そこでまず最初に「潔さ」と言うことに値打ちがあると言うことを、改めて自覚する必要があると思うんだよ。
これは日本的な素晴らしい伝統だと思うんだよね。よくお侍さんは切腹と言うことをしたけれども、これは腹の中に何もやましいものはないぞと言うことの意思表示だったんだろうね。
やっぱりいろんな批判を受けたとしても、潔い人と言うのは後から評価が高くなることもあるしね。
そこで考えたいのが、「動機の純粋さ」と言うことの値打ちだよ。
やっぱりいろんな失敗をしたときに、細かいところをついて揚げ足を取る人もいるし、今の世の中ではマスコミも含めて、あら探しというのがすごく多いからね。
こういうもので心が折れてしまう人もたくさんいるしね。
だけど、自分が心の中で、「良かれと思ってやった」と言う信念が強ければ、意外に非難や批判に耐え続けることができるんだよ。
最近では兵庫県の知事さんが、たくさんの非難を受けて失職になっちゃったけれども、また選挙に出てるしね。
あれだけ信念が強いと言う事は、何か「自分にはやましいところがない」と言うものもあるんだろうね。
それは動機の純粋さと言うことを自分が強く信じているからこそできることだと思うよ。
そして責任回避をしないためにも、「失敗の中に教訓と言う宝が埋まっている」と言う発想はどうしても必要だよね。
やっぱり人間は、失敗することからしか成長できないところがあると思うんだよ。
だから失敗と言うのは宝の山だし、それを繰り返し繰り返し分析することで、得られる教訓も深まってもいくからね。
そういえば大学ラグビーで10連覇を達成した帝京大学の監督さんも、失敗については何度も何度も繰り返し分析することが次の勝利の王道だと言ってたしね。
やっぱり責任回避をする人には、人間としての成長と言うのは限られたものしかないと言う事は知らないといけないね。
結局、責任回避と言うのも無意識のうちにやってしまうからね。
だから、いわゆる潜在意識の中に、「私は逃げない」と言うことを刷り込まないといけないよ。
やっぱり「私は何があっても逃げない」とか、「動機が純粋であれば勇気を持ってやり抜く」とか、そういった自分の信念を紙に書いてどこかに貼っておいて、繰り返し口に出すと言うのもいいかもしれないね。