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小説紹介「葬送のエデン」
はじめに
こちらはいるかネットブックスより販売中の小説
「葬送のエデン」の紹介ページです。
販売後、販売サイトを随時更新していきます。
あらすじ
大好きな姉の事故死により、精神を病んでしまった絵菜。そんな彼女を支えるうちに恋人になった少年、藤太との関係に悩んでいた。強い執着心をもって行動を制限されるたび、絵菜は文芸部の園崎先輩に会いに行き、彼女の美しく優しい言動に胸を高鳴らせていく。けれど、彼女には秘密があったーー。
販売サイト紹介
いつも販売してくださる電子書籍店様に感謝を込めて、ありがとうございます( *´꒳`* )
試し読み
葬送のエデン
手をつないだ恋人は、世界で一番嫌いな人。
彼には口癖がある。
「絵菜だけはいなくならないで」
彼の目はどこか淀んでいて、陰気で私に執着している。
いつだって彼は腐っているのだ。心が。
彼と私の奇妙な関係のきっかけは、姉の死。
姉がいた頃の幸せだった思い出は、いつも花の匂いがする。小さな女の子の姉の記憶がよぎると、ふわりとれんげの花が芳香し、たちまちあたりを柔らかな光で包んでしまうのだ。
彼女の凛とした雰囲気と、私を見た時のふわりと柔和に笑う笑顔だけが消えずに残っている。私より背の高い姉は、少しかがんで私と目線を合わせ、まるで音を立てて花開くようにパッと笑顔が咲く。
「可愛い絵菜、大好き」と抱きしめてくれる。
祖父の畑は春先にれんげを植える。同じ土で同じ食物を植えると作物の育ちが悪くなるそうで、一度れんげを植えてからまた畑を作るのだ。
姉と私はれんげ畑でよく冠を作っては遊んでいた。
かがんで目を合わせるとき、少し赤らむ頬が、優しく緩む口元が、抱きしめられたときに香る柔い肌の匂いがひたすらに優しい。私は姉が好きだった。
今はもう過去になってしまった話だ。
姉は十七歳のころ、不幸としか言いようがない事故で亡くなった。実の父が起こした酒気帯び運転が起因した事故。酒を飲み、酩酊をしながら車に乗り込んで、玄関横にある駐車場に車をいれようと猛スピードで玄関に突っ込んだ。
父が死ぬことになんら葛藤はなかった。もとより育児は母にまるなげで、愛着一つもてない親だったから。
けれど、巻き込まれた姉は違う。
車の陰になった姉の遺体は見なかった。ただ地面に広がっていく血だまりだけが私から熱を奪っていった。血の気が引く、どんどんと指先が熱を失い、悪寒のような寒さで震えが止まらない。
叫ぶように「見ちゃダメ」と母の手のひらが視界を奪う。ふいに同じだと思った。異常なほど冷たい母の手は、私の肌と同じ。
悲しみで冷たく震えていた。
彼、藤太はうちに預けられた母の親友の息子だった。もちろん、姉とも仲が良くみんなで仲良く姉弟をしていた。
だからこそ、姉の死は藤太の心に傷を負わせてしまったのだ。
藤太は姉の姿を見てしまっていた。うっ、と膝をついて吐いている藤太が目に映る。
母の指の隙間から広がっていく血だまりを、脳裏であれを姉だと思ってはいけないのだと、ブレーキがかかり、思考停止した脳が体を止める。
いろんな考えで頭が混沌として、動けない。
うわ言のように姉の前に立ち、唇を必死に動かす藤太が何を言っているのかわからない。
その日のことを、私たちは生涯忘れることはないだろう。
途端に母が聞いたこともない悲鳴を上げた。母の悲痛な嘆きの声は唸りのように低く、動物園で聞いたライオンの声より獰猛で、低く怖かった。
呆然とする私の手を藤太は握った。その手は力なく震えている。
「俺が……姉ちゃんの手をこっちに引いてたら、こんなことにはならなかったのに」
震えは止まらず、藤太は焦点の合わない目を私に向ける。
きっと彼は否定してほしかったのだろう。私に救いを求めていたのだろう。けれど、その当時の私には気持ちをおもんばかることなどできるはずもない。
詭弁なのだ。そんなのできるはずがない。わかっている。そんなのできっこない。だから誰も悪くない。誰も悪くないのに。
誰かのせいにしないと自分を保てないほど、私は姉を愛していた。その瞬間、私の口から滑り落ちた言葉の残酷さを、生涯責め続けることになる。
「人殺し」
彼の目からこぼれた涙が血のように見えた。
藤太は人殺しではない。もし誰かが殺したと決めるというなら、父が殺した。藤太は人殺しじゃない。
「違う、違う」
何度も、うわ言のように呟く。わかっているのに、わかっているから、余計に自分の心が持たなかった。お姉ちゃんは死んだのだ。目を向けられないほど残酷な姿になって、もうあの手は私を撫ぜることはない。もうあの目は私を映さない。
あの肌の匂いは生臭い死臭に代わり、私の鼻をついて離れない。
こんな残酷なことがあるだろうか。初めての人の死が、大好きな姉の死であることが、誰を恨むことができないことが、こんなに心を壊すなんて、私は知らなかったのだ。
わななく唇が、「違う」と「人殺し」を相殺して震えることしかできない。たくさんの考えが理性と自制心とひどい嘆きで、声も出せない。
息が、うまくできない。
叫ぶこともできない。
それからしばらく、私は精神病院で生活していたらしい。その頃のことは覚えていない。
退院してから藤太くんは私に烏瓜を見せた。
季節は巡って冬から春になり、夏になり秋になっていた。新しい家の垣根は大きく、車いすの私では垣根の半分にも満たない。藤太くんは熱に浮かされたようにやや早口で話し出す。表情が夕焼けに焦げ付いて、薄暗がりで表情が見えなくて怖い。
精神的に弱っていたせいか、この頃の記憶は朧気で、夢のような曖昧さが付きまとう。
ただ私は藤太に何か言われ、怯えて口ごもる。
藤太は私に向かって手を伸ばす。指先が髪に触れると思わず体が震えた。彼の髪は短く刈り上げた髪型で顔はさらけだされている。だから顔が見えないはずなどないのに、彼の表情がみえない。ただ感じるのは滾るような熱量の感情。
背筋が震え上がるほど見知らぬ感情にあてられ、頬は熟れたように赤く染まって、身じろいで怯える。冷たい汗が首元を伝い、思わず生唾を飲み込む。
曖昧な記憶でも焼き付いて離れない。藤太から感じるのは欲情。怯える震えが止まらないほどの、劣情。
正体不明の感情がわからず、恐怖しかない。それなのに吸い寄せられる。震える腕を押さえつけるように自分でつかむ。
爪の痕が付きそうなほど恐怖を押さえつける。
幼い藤太は、家の壁を伝う烏瓜をちぎって私に見せる。自慢げに語る彼のでたらめは、私の心を傷つけた。
「違う」
何度も口にする。けれど、彼は私を否定する。