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喜びとさみしさと
結局母が選んだのは猫だったので、その時は捨てられた気持ちが強くとんでもなく悲しかった。
捨てられたんだ、母は私を捨てたんだ、ってずっと自分を傷つけていたから、鬱々して涙もぼろぼろ出てくるし。
一区切りつけるために、ネコのエサをやめてくれるまで帰らないこと、片付けてもひどいこと言われるからもう片付けないこと、このままだと壊れちゃうから距離を置くこと、サポートは続けるから大丈夫という内容の手紙を書いて、現金書留の封筒にお金と一緒に入れて母に送った。ケアマネさんにも母に送っのと同じ手紙と説明の手紙を一緒にして送った。これでしばらくはそっとしておいてくれたらいいな。
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手紙だねと旦那に言われた。
そう、ものすごくさびしい。
月1定期便で食料や生活備品を詰めた荷物も送った。レトルトパックの常温保存のごはんと缶詰、レトルトパウチの惣菜を冷凍庫にしまっていたのは、想像の斜め上過ぎたよ。これは初めてのパターンだった。前はちゃんと外に置いて保存してくれてたんだけどね。缶詰、どうなるんやろ。
どんどんこういうことが増えていくんだろうね。
悲しいしつらいから、躁鬱なのは続いてる。続いているけれど立ち上がってこれた。さあ、進まなくては!
こういう時は自然の中でいると落ち着くので、ハイキングへ出かけて山をゆっくり歩きました。山歩き瞑想と名付けてやっています。
辺りを一望できるポイントで休憩。ふーっとお腹の奥から息を吐き出して、またいっぱいになるまで息を吸って、深く深く深呼吸。
太陽は雲に隠れたり出てきたり、忙しい。風は強くて冷たくてびゅーびゅー吹いてる。いろんな風の音が聞こえてきて、面白かった。
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結局母は私のことなんて一度も見たことなくて、捨てるもなにもはじめから手にも持っていなかったのだろう。使い捨ての都合のいい便利な道具、それが女の子の私だったってだけ。
下手に握りしめられて離してくれないなんてことになってたら、それこそとんでもなく悲惨だった。兄ちゃんやね。
兄夫婦にはなかなか子どもが生まれなかったから母が子どもが2人いる私に少しすり寄ってきていたけど、兄に内孫が誕生した瞬間にさっと手の平を返してくれたから良かったんだ。
母は、痴呆が少し入ってきてるんだろうな。いろんな人からしっかりしてるからお母さんは大丈夫って言われるけど、そう思ってたほうが気持ちが楽でいられる。
まあでも、まるで初めてみたいに何度も何度も捨てられるのはやっぱり結構きつい。大人になってこの歳での喪失感はこたえるわ。
捨てるなら私からって思ってたから、きっと悔しいのもあるんだろう。思い上がってはいけないということだね。
次にばたばた動くのは、亡くなる前と亡くなった後かな。お葬式かぁ。もう先にお金払い込んで予約しておいたらいいと思う。相続放棄するなら、絶対にそのほうがいい。
これが冷静に考えられるようになったということは、やっと母の死をリアルに受け止められたってことだね。道具でしかなかったけど、ちゃんと手放してもらえて良かった。
もう少し長生きしてくれて、お金を貯めていけたらいいな。
心にはでっかい穴があいちゃって血が滲んじゃってるけど、かさぶたにして少しずつ埋めていこう。