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士魂戦車隊
北海道の政経中枢都市の道央、道南等を担当する第十一旅団隷下の戦車部隊である第十一戦車隊は通称「士魂戦車隊」と呼ばれている。
士魂とは「十一」で「士」として旧軍の陸軍戦車十一聯隊からの伝統を引き継ぎ、砲塔に「士魂」のマーキングを描いている。
私が居た頃は士魂戦車大隊で戦車6個中隊に本管中隊と7個中隊という世界最大の戦車大隊であった。
今は戦車削減で大隊から隊へ降格となって戦車隊となってしまった。
戦車十一聯隊は終戦直後に北千島列島北端にある占守島へ火事場泥棒的に侵攻してきたソ連軍と交戦した戦車部隊で、聯隊長池田末男大佐が陣頭指揮を執り戦死するなど激戦を行ったことでも知られている。
私の祖父もこの占守島で戦った一人である。
そういう縁もあって士魂のマーキングの描かれた戦車の乗員となるのは戦車乗りとなった以上必然であったのかも知れない。
私は士魂戦車大隊へは機甲師団の戦車連隊から来ていたため同期もいない部隊であったが、戦史研究会などや尊敬する戦車大隊長の指揮の下で充実した戦車乗りとして勤務した。
当時は戦車部隊としては珍しい札幌の都会にある戦車部隊で地下鉄1本でススキノへ行ける真駒内駐屯地にあった。
今は戦車部隊のメッカ北恵庭駐屯地に駐屯している。
戦車の数もかなり減りかつての戦車大隊を思うと寂しい限りだ。