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医療の世界はギリシア語でできている…No.3:「フィリア」と「フォビア」が示す心の世界

タイトル:『医療の世界はギリシア語でできている…No.3:「フィリア」と「フォビア」が示す心の世界』

日常でもときどき耳にする“-philia(フィリア)”と“-phobia(フォウビア)”という英語の接尾辞は、実はギリシア語に由来し、人間の「好き」と「嫌い」という感情を表すために用いられてきました。“-philia”は“φιλία(philíā:フィリアー)”というギリシア語の名詞に由来し、「愛」や「愛着」「好み」という意味を持ちます。一方で“-phobia”はギリシア語の名詞“φόβος(phóbos:フォボス)”に由来し、「恐れ」や「嫌悪」を意味します。これらのギリシア語由来の接尾辞は現代でも多くのヨーロッパ言語の中に息づいており、私たちの心の状態や性格、嗜好を表現する際に用いられています。

まず、“-philia”の例として“hydrophilia(ハイドロフィリア)”を提示します。語源分析すれば「水」を意味する“hydro-(ハイドゥロ)”と「愛」を意味する“-philia(フィリア)”を組み合わせた単語が“hydrophilia”です。“hydro-”はギリシア語で「水」を意味する“ὕδωρ(hýdōr:ヒュドール)”の連結形“ὑδρο-(hydro-;ヒュドゥロ:「水」の意)”に直接由来しています。また「愛」を意味するギリシア語“φιλία(philíā;フィリアー)”が英語の接尾辞“-philia”になりました。“hydrophilia”→“hydro-”+ “philia”→「水を好むこと」→「親水性」という意味になることが理解できます。これは化学や生物学の世界で、水に親和性のある物質や細胞の性質を表現する単語です。

さらに、「哲学」を意味する“philosophy(フィロソフィー)”も“philo-(フィロ:愛する)”と“-sophy(ソフィ:知、知恵)”が組み合わさり「知恵を愛すること」に由来します。古代ギリシア語として紀元前4〜5世紀のアテナイにおいて“φιλοσοφία(ピロソピアー / フィロソフィアー”という言葉をすでにソクラテスは使っていたと思われます。直訳なら「愛知」ですが、「知を探求すること」の意を漢字の伝統をも鑑みて明治時代の初期(1874年頃)に西周(にし あまね)という人物が英語のphilosophyを「哲学」と和訳したことが知られています。

対照的に、“-phobia”は「恐怖症」を表す際に使われています。例えば、“acrophobia(アクロフォウビア)”はギリシア語の“ἄκρος(ácros;アクロス:高い)”と“φόβος(phóbos;フォボス:恐怖)”が組み合わさったもので、「高所恐怖症」を意味します。また、“claustrophobia(クローストロフォウビア)”はラテン語の“claustrum(クラウストゥルム:囲い、閉ざされた空間)”とギリシア語由来の接尾辞“-phobia(恐怖)”が合わさり「閉所恐怖症」という意味になります。

このようにラテン語とギリシア語の組み合わせの如く異なった言語由来の造語要素が結びついて作られた単語を「ハイブリッド語(hybrid word)」といいます。新しい概念を表示すべく何か新しい言葉を造語する場合、同じ言語同士、例えばギリシア語にはギリシア語、ラテン語にはラテン語の造語要素を用いることが原則とされていますが、実際には前出のラテン語とギリシア語の組み合わせの如く「ハイブリッド語」として医学用語や専門用語が造語されていることが少なくありません。

何かに対する強い「嫌悪」や「恐れ」を表現する際に接尾辞“-phobia”が用いられ、現代医学でも各種「恐怖症」の診断名として使われています。

医療の世界で“-philia”と“-phobia”は単に「好き」と「嫌い」の感情だけでなく、患者の心理状態や性格特性、さらには病気の症状や特異性までをも表す場合があります。例えば、“hemophilia(ヒーモフィリア)”はギリシア語で「血液」を意味する“αἷμα(haima;ハイマ)”と“-philia”からできており、直訳は「血液と親しいこと」です。凝固因子が足りないために血液が固まりにくくなり易出血性の「血友病」のことを指します。この場合、“-philia(フィリア)”は好むというよりも「親和性がある」という意味で使われています。ちなみにギリシア語の“αἷμα(haima;ハイマ)”をラテン語に転写するときギリシア語の「 αἷ 」→「 ae 」となるので“αἷμα”は“haema”と

一方で、“phobia”が接尾辞ではなく単独の単語として使われるケースとして“social phobia(ソウシャル・フォウビア)”があります。“social(社会的な)”と“phobia(恐怖)”の組み合わせで「社会的な恐怖」→「対人恐怖症」と和訳されたりします。これは、他者との接触や対人関係において強い恐怖や不安を感じる心理的な状態を指しており、心理療法やカウンセリングの対象となることがあります。

こうしてみると、ギリシア語由来の接尾辞“-philia”と“-phobia”は、私たちの感情に関わる「愛」や「嫌悪」を意味しながらも、医学や心理学の世界で重要な概念を表現する造語パーツとして位置づけられていることが分かります。

次回は、ギリシア語“λόγος(lógos;ロゴス: 言葉、論理)”に由来する接尾辞“-logy(ロジィ:学問)”を取り上げ、その医療分野への広がりについて考えていきます。

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