『創作を上手くするためのたった1つの方法』web小説創作日記《サクソウ》#01
ようこそ当ブログへ、そしてさようなら。
さようならから始めましょう。あなたにはブログを読む時間などないはずです。
まずは手を、そして頭を動かしてください。
そうは言っても「創作の悩みがあってそれどころじゃない!」という方であればこの先へお進み下さい。
当ブログでは、細々とweb小説を書いている実績もない私が、創作について考えていることを見やすくまとめたものになります。
ときおり強火なメッセージを投げかけますが、受け取るか避けるかはあなた次第です。
しかし、巷に溢れているような内容の薄い創作論(個人の感想)などではなく、私個人が本気で考えていることを書いていきます。期待してもらっても大いに結構ですが、人によっては方向性にズレを感じるかもしれません。
ここに書かれることは、「手も動かない、頭も動かない…………」と、そうやって原稿を前にして死体になった方々に向けたものになります。そうなると、ここは天国か地獄かですね。
「あなた方に救いはありません。せいぜい心を入れ換えて生き返ってください」ということです。
何を語るのか、の前にちょっとした小話
雑談余談なので飛ばしてください。
私事ですがつい最近、『読書について 他二編』(岩波文庫、1983年、A. ショウペンハウエル著、斎藤 忍随訳)という書籍を読んだものでして、これに触発されて筆を執った次第でございます。
タイトルの通り「読書すること」についてはもちろん、読み手の目線を通して書き手をチクリと刺す金言が満載です。様々な問題を「破廉恥行為」と切り捨てる内容は痛快なのですが、web小説を書く者のはしくれとしてその刃がこちらにも向くのではないか、と背筋が伸びたものです。ご興味があれば読んでみてください。
また、物書きの世界からは少しだけ離れますが『桜井政博のゲーム作るには』が完結しましたね。
さようならを冒頭に持ってきたのは「とにかくやれ!! 【仕事の姿勢】」の回を意識しています。
私はとても桜井政博氏のような実績もなければ経験もありませんが、自分の悩みや苦労について思索していきながら、このブログを訪れる皆様の力になれたらなと思っています。
当ブログで何を語るか
さて、いよいよ本題です。列挙するときは箇条書きにしましょう。
執筆する前のこと
創作を上手くするためのたった1つの方法
面白いもの、読まれるもの
ちゃんと考えてる?
夢を見通してみる
執筆時のこと
考えながら書くのはやめろ
プロットは慎重に、執筆は大胆に
ドレミファソラシドの術
小手先のお城
執筆した後のこと
投稿とは
No More 改稿
宣伝するな、宣伝されろ
その先のこと
と、このような構成で、それぞれのトピックに1記事3000文字前後で書いていこうかなと思います。全部で36,000文字程度ですか。
創作を上手くするためのたった1つの方法
こんなん読めるかァ!!
……と、これは“Art is long, life is short.”とも訳される名言のギリシャ語です。日本では「芸術は長く、人生は短し」という言葉で親しまれています。
「芸術作品は人の一生よりも長い」という解釈もありますが、ここではより元の言葉の意味に近い「少年老い易く学成り難し」的な側面を取り上げて『創作を上手くするためのたった1つの方法』を少々語っていきます。
今更ながら自己紹介
泣かず飛ばずでweb小説を書いております「らのまち」と申します。これとは別の名義で投稿をしておりますため、google検索をしても作品は出てきません。あしからず。
さて、あなたは創作をしていて楽しいですか?
楽しいという方、それは結構。
楽しくないという方、共に頑張っていきましょう。
巷ではイラストの世界でも「〇〇上達法」や「絵が上手くなる方法」といったような動画があったりしますね。ときたまそういったものを視聴するのですが、「上手くなるためには楽しめ!」ということを言われるとゲンナリします。
身も蓋もないと言いますか、そらそうだろでしかないと言いますか。
まぁ究極的にはそれが真理なワケでございます。好きであれば、おのずと上手くなることもあるでしょう。「好きこそ物の上手なれ」という言葉もあります。
――しかし色々と見ていくと、作者自身が下す評価はめちゃくちゃ高いのに、いざその作品を読んでみると内容にガッカリしてしまう……ということは多々あります。感想は人それぞれではありますが。
つまり、「好きこそ物の上手なれ」という言葉には不足があると考えられませんでしょうか?
「上達」の必要条件
好きなだけじゃダメなんですね。作者が楽しんでいるだけでは、作者の目標が達成されることは稀でしょう。この記事のタイトルを『たった1つの方法』としているので、1つしか答えを示さないワケですが。
それは「書きたいものを明確にして書く」ということです。
「書きたいものを明確にして書く」は「上達」の必要十分条件です。
「書きたいものを明確にして書く」以外に「上達」の道はないし、「上達」の道とは即ち「書きたいものを明確にして書く」ということです。
……でも待って? さっき上で「上手くなるためには楽しめ!」って言葉を肯定してたよね?
その問いにお答えするために、まずは「書きたいものを明確にして書く」ということは何であるかを語りましょう。
書きたいものとは即ち「目的」であり、その人自身の「好き」のことでもあります。また、今の自分が抱えている「伝えたいこと」でもありますよね。
「楽しむ」ということの中でも、目標と好きが一致して、そこに向かって進んでいる「楽しさ」――言い換えれば達成感にも近い感情だけが味方なんですね。そのため、「上手くなるためには楽しめ!」という言葉には一理あります。
ゴールを定めることなくして上達がありえましょうか。
まぁ、あったとしてもなかなか難しいです。
創作人生という道に迷っていれば、それはもう上達どころの話ではありません。しっかりと自分の進むべき道を見つけて、迷子になることなく歩んでいってください。
自分が「伝えたいこと」は何なのか、しっかりと考え直してみてください。
とまぁ……これだけだと単なるお気持ち表明に毛が生えた程度のものなので、今度は「上達」のほうから話を進めましょうか。
繰り返して練習しても巧みにならないことがあるでしょう。
よく、「頭を使わない努力は無意味」みたいな話がありますが、これは「方向性を違えた努力は無意味」と「頭を使わないと努力の方向性がわからない」という2つの教えに分解できます。
繰り返して練習して巧みになるためには――上達するためには、「正しい方向性の努力をすること」が大事で相違ないはずです。
さすがに丁寧すぎたでしょうか。「正しい方向性」を見つけるためには「書きたいものを明確」にするのです。そして「書く」。
より具体的に説明すると、「書きたいものを書くために書く」ということです。
ここで自らの立ち位置を確認してみてください。
現時点で形にした自作に目を通して、自分が書きたかったものとどう異なるか。どう改善すれば書きたいものに近づけるか。それを考えてまとめてみてください。
上達の本質は、自己分析によって明らかになった課題をひとつずつクリアしていくことです。
ただひとつ注意事項があるとすれば、直接的に人と比べて課題を設定しないことです。
他人を観察することは大事な作業です。そこは否定しませんが、人と比べて見つけた気付きでも「書きたいもの」という大目標を通過させて考えてください。そうなることが本当に必要なのか、と。
もう何度も言っていますが、ここでいう彼とは「書きたいもの」です。これをしっかりと考え、文章にまとめるなどして明確化し、その上で執筆に取り組んでみてください。
過去作を見返すまでもなく、書きながらでも気付く課題は多いはずです。
もしも、何の課題も浮かんでこない……ということであれば、「書きたいもの」になるべく近い作品を探してみて、受け手の目線で鑑賞し、作り手の目線で分析してみてください。
まとめ
というワケで、今回は『創作を上手くするためのたった1つの方法』ということについてお話させていただきました。
「書きたいものを明確にして書く」
なかなかぶっきらぼうな結論だったかもしれません。
しかし、やっぱりまあ、そういうことなんだなぁと実感することが何度もあり、私自身はこう信じて疑わないわけでございます。
今回は「書く」ということについてあまり詳しく触れていませんが、ここは後々、「執筆時のこと」に入ってから色々と見ていきますね。
では、良き執筆の〝アフターライフ〟をお過ごしください。さようなら。