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むすめの問題が自分の問題になっちゃった話

こんにちは。
mint green*不登校児とその家族の平日昼間の居場所の千絵です。

むすめがね、宿泊学習に行ってるんですよ。
今。

その準備のための買い物中に小学校が一緒だった子のお母さんと会って、チラッと宿泊学習のことを言ったんです。

そうしたら、
「あー!〇中の移動教室も一緒だよ!時期も同じ!
向こうで会っちゃうかもねー!」
って言われて、胸中のざわめきが止まらなくなったわけです。

でも、学校のホームページって安全上の理由等から、そういう予定は公表していないため、行事が終わらないと出てこない。

何日かおきにホームページを見てたんです。笑
(ストーカーか!)

そうしたら、やっとやっと情報が出てきて、もう終わったことを知って、胸を撫でおろしました。

むすめも少し氣にしていたようなので、
「もう終わったらしい。同じ牧場にも行ったみたいだよ。会うこともないね」
と伝えると、
「別に会っても問題ないけど」
と返されました。
むしろ、会ってみたくて被るのか被らないのかを氣にしていたようです。

その時に、
あー、わたしが不安だったんだ。
地元の同級生に会ったら、またむすめの心が不安定になって、今の中学に行けなくなるかもしれないって思ってたんだ。
と氣づきました。

わたしの不安からむすめに余計なことをしなくてよかったなと思ったのですが、日常的に子どもの問題が自分の問題になっていると、余計なことをついついしてしまいがち。

どこまでが子どもの問題で、どこからが自分の問題なのかという線引きは、どんな家庭でも重要ですね。

たとえばですけど、
教科書やノートを忘れる

学校の勉強が遅れる

困るのは子ども

本来はこうなのに、

教科書やノートを忘れる

学校の勉強が遅れる

子どもが困るのはかわいそう

準備を親がする

準備をするのが大変になる

子どもに準備しなさいと言う

子どもは準備の仕方がわからない

いつまでもできない

いつまでも親が準備する

になっちゃうんですよね。
実際にこういう親子を見ましたが、本当に子どもは何もできない。
カバンから教科書等を出すこともできませんでした。
最初に見たときは、おったまげましたけど。

今、自分がやっていることは
「子どものため」
と言いながら
「自分のため」
になっていないか、再度振り返りながら日々を過ごしたいものです。

2024.09.26

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