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東近江市長の発言について【長文】

こんにちは。
mint greenの千絵です。
久しぶりに名乗った氣がします。笑

さて、ご存知の方も多い東近江市の小椋市長の発言問題。
インスタのストーリーズでアップしたら
ものすごい反響をいただいたので、
わたしの思うところをまとめたいと思います。

全貌がわからない方もいらっしゃると思うので
リンク貼っておきます。
ネットニュースなのですぐに消えることもあるため
リンク先の記事の転記もしておきます。

①日テレニュース「良かれと思ってやることが…」不登校めぐりフリースクール“否定“発言か 釈明も
②毎日新聞 「フリースクールは国家の根幹崩す」「不登校の責任は親」

滋賀県東近江市の市長が、17日に行われた子どもの不登校について話し合う会議の中で、「フリースクール」の存在を否定するかのような発言をしていたことが分かりました。

東近江市・小椋正清市長「フリースクール、フリースクールといって、良かれと思ってやることが、本当に国家の根幹を崩してしまうことになりかねないくらいの危機感を持っている」

これは、17日に行われた滋賀県の自治体のトップが集まる会議での、東近江市・小椋市長の発言です。会議は、滋賀県内の小中学校の不登校の児童数が10年連続で増加し、過去最多となっていることを受け、県独自の対応策について話し合うための場でした。

発言で、フリースクールを推進する国の立場を批判する形となった小椋市長。18日、発言の真意について改めて記者団に語りました。

東近江市・小椋市長「“言葉足らず”になってしまうときがあるし、“アグレッシブな言葉”を使ってしまう。極端に言いすぎたかもしれない。不適切発言と言われることに非常に心外な気持ち」

市長はその上で、「公立学校の教職員の増員など、まずは学校の現場で支援するべき課題があることを指摘したかった」などと釈明しました。

日テレニュース 2023/10/18(水)19:08配信

滋賀県内の不登校問題を話し合う会議が17日あり、東近江市の小椋正清(おぐら・まさきよ)市長(72)が「文部科学省がフリースクールの存在を認めたことにがくぜんとしている。国家の根幹を崩してしまう」などと発言した。

 会議は同県愛荘町で開かれ、知事や市町長が出席。多様な学習活動を認めた教育機会確保法を受け、自治体によるフリースクールの支援方針などを話し合った。小椋市長は「多くの親は子どもを学校に行かせる努力をしている」「(フリースクールに頼れば)不登校の雪崩現象が起きる」などと言及した。

 発言内容が一部で報道されると、フリースクール関係者らから批判の声が上がった。小椋市長は18日に改めて記者会見を開き、「フリースクールや生徒を否定したわけではない」と釈明した上で、フリースクールへの安易な財政支援は問題があるとして「支援の基準や枠組みを整えるよう、国や県に求めたつもりだった」と話した。「不登校の大半の責任が親にあることは否定できない」とも訴え、PTAを再構築して不登校対策に取り組むべきだとの持論を展開した。

 小椋市長は元警察官で、県警生活安全部参事官などを歴任。2013年に初当選し、現在3期目。【伊藤信司】

毎日新聞2023/10/18(水)17:36配信


以下、わたしの考えです。
黒太字はニュースからの抜粋です。

そして最初に1番言いたいことをお伝えしておきます。

フリースクールへの財政支援は子どもを守るためにできた流れなのに、これを聞いた子どもがどう思うか、そこを考えられずにこんな発言することが1番許せない!

不登校の子どもや支える親への支援にはいろいろな形があっていいはず。
障がいや介護福祉には十分ではないにしろ支援の和が広がっているのに、不登校は精神論で語られることが多く、それゆえにサポートと呼ばれるものが本当に少ない。
戦後の時代遅れの考えが蔓延っていることが原因のひとつだと思っていますが、大人の中にその時代の教育を受けてきた世代が多い現在では流れを変えていくのは本当に大変なこと。

やっとできた流れを堰き止める行為はやめていただきたい!

「不登校の大半の責任が親にある」

不登校の大半の責任が親にある?ほんとに?
もし、親に責任があるのだとしたら、
親はどこで間違ってしまったのだろう。

まずはじめに、
子どもは小さければ小さいほど
自然のままの姿に近い状態で生きていると
わたしは思っています。
それが就園・就学前までは
人と違うことを何も恐れず
ほぼ何の問題もなく生きているのに対して、
就学したとたんに何かしらの不具合が出てくるのは、学校という枠組みの中でみんなと同じように振る舞うように教えられ、世間体というものを教え込まれるからではないでしょうか。
わたしがそう考えていることを踏まえて読んでくださると、よりわたしの言いたいことが伝わると思います。

さて、話を戻します。
親の手の離れる小学校あたりで世間体(=世間の多数の人に共通のふるまい方)を氣にしながら生きていくようになると思うのですが、
世間体って
「みんなと同じじゃないといけない」
という思い込みから始まっていると思うんです。
だから周りを氣にしたり、人と一緒であろうとするわけですよね。

で、その世間体をしっかり刷り込まれた親が
世間体に合うように子育てしてきて、
ある日突然子どもが不登校になる。
親は、お上が従えと言ってきた世間体教育に
きちんと従ってきたわけですよ。
それなのに子どもが不登校になってしまったこの状況のどこに、大半の責任が親にあるって言えるの?

「多くの親が学校に行かせる努力をしている」

学校に行けてる子の親たちも努力していると思いますが、不登校児の親が誰よりも学校に行かせる努力をしています。

わたしだってなだめすかしてご機嫌取ったり
ご褒美で釣ったり
腕を引っ張って連れて行ったり
脅したり
学校に行けなくなる原因が一つでもあると思えばそれを潰したし
回せる根っこはありとあらゆるところから回したし。
(ちょっともう、思い出すとしんどいのでこの辺でやめます。)

これは居場所に来る親たちもみんな同じ。
壮絶な努力をしてきています。
それ、知ってんの?
ていうか、
行かせる努力をしなくちゃならない学校ってなんなの?って思わないの?

安易な財政支援は問題があるとして
支援の基準や枠組みを整える

不登校はポッと出てきたのではありません。
2012年ごろからいまだに増加傾向にあります。
その前から今よりは少なかったけど一定数の人が苦しんでいたんです。
そのことについてずっと話し合いがされ続けてきて、やっとやっと財政支援の動きが出てきたところなんです。
先人たちが苦しんで、今も苦しんでる人たちがいる。
それを安易と言うのはどうなんでしょう。

そして、フリースクールに通うには月額4〜5万円かかることもザラです。
フリースクールには行政からの支援がないため、私立の小中学校並みの月謝が必要なのです。
だから、フリースクールに通える子は不登校児の全体の2%しかいない、とも言われています。
通いたくても通えない、という、世間からの疎外感を子どもは意外と感じ取っていたりするものです。

極端に言いすぎたかもしれない。
不適切発言と言われることに非常に心外

ご自分の発言をすぐに釈明されているとのこと。
不適切発言と言われて当然だとわたしは思うのですがそこはさておき、
こうやって世間から自分の発言が注目されたり
影響を与える立場であることを想像してないんでしょうね。
勉強不足・現場を知らないのは明白であるとして、
そんな想像力のない人を作り上げてきた学校制度や戦後からほぼ変わらない学校教育は一体なんなんでしょうね?
戦後すぐの時代に有効だったものが80年近く経った今、本当に有効なのか疑問に思わないのかな?
自分の子ども時代と今の子どもたち、環境が全然違うと思うんだけど同じに見えてるのかな?

と言うことで、
こんな人が市長になれてしまう日本の国家の根幹ってなんなんでしょうね?

2023.10.19

お米、買いに行かなきゃー笑

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