哲学とは?(若造、決死の自己肯定)
全ての今を生きる皆さんこんばんは
大人気哲学者の柳悠歩(やなぎ ゆうほ)です。
え?何が大人気だって?
君は知らないかもしれないが、誰が知っていることを否定は出来まい
ツイッターのフォロワー69人のくせに?
ハハハ、みんなリストに入れて隠れてチェックしているんだよう (恥ずかしがり屋さんめ)
そもそも哲学者て笑
"哲学者"を名乗るのは果たして愚直な行動か
否、私はそうは思わない
哲学者の定義を語る前にまず、"哲学"について述べよう
私にとって"哲学"とは、
「なにか事柄に対して、考え抜き、自分なりの解を持つこと」である
oh… ざっくりとした定義だな
そんなんで哲学者気取るなよ…
まあそう言いなさんな
話を聞いてみようじゃないか
みなさんはなにか夜通し語り続けられるほど好きなものはあるだろうか
そしてその好きについてとことん考えたことはあるだろうか
例えば、ドーナツ好きすぎマンがいたとする
ドーナツマンはひたすらドーナツを食べる
あの店のドーナツを食べよう
新作のドーナツを食べよう
そいつは年がら年中ドーナツのことを考えていた
そして月日は流れ数十年
彼はパンケーキマンになっていた
ドーナツマン!どうして君はパンケーキを食べているんだい?
知れたこと。パンケーキは美味しいからね
ドーナツマンはドーナツについて考え抜き、自分は究極に甘い小麦粉を摂取することが好きであるということに気づく
そこを認識したが故に、彼はパンケーキでも自分の欲を満たせるということを知った
ドーナツマンの嘘つき!
信じられない!
誰がなんと言おうと構わない。
私にとってドーナツとは、大量に甘いものを摂取出来る小麦粉なんだ
これが彼のドーナツに対する答え
数十年考え抜いた結論はドーナツマンをパンケーキマンに変えた
ここでのポイントは彼は自分なりにドーナツを考え抜き、一つの解を導き出したということである
その解については賛否両論あるだろう
しかして"哲学"とはその解を導くというプロセス自体を指すのではないか、と私は思う
話を一般的にいう哲学に当てはめてみよう
「人間とはなにか」というテーマに対してひたすら考え抜き、結論として「人間とは知を欲する生き物だ」という解を出した哲学者
「生き方」に対して考え抜き、「宗教に従うのではなく自分で導くべきだ」という解を出した哲学者
「我々が見ているもの」について、それは「神の世界で学んだ理想像を通して認識しているにすぎない」といった哲学者
どれもスケールが異なるだけでドーナツマンと変わらない
要は何かテーマについて考え抜き、自分なりの答えを持つこと
それが受け入れられるかどうかは別問題で
"哲学"をするとは誰にでも、何にでも出来るのではないか
というのが私の"哲学"に対する"哲学"である
この前提を正とすれば、私にだって哲学者を名乗る権利はあるのだはないか
(人によっては職業としての"哲学者"という像を持ち、それでお金を稼いでいないから権利はないというかも知れないが、それはいずれ記述する「人による理想像の相違」で説明しよう)
以上の前提から、私、柳悠歩は哲学者を名乗るものとする
今後は私なりに考えている「世界とは」という"哲学"について記述していこうと思う
ご静読ありがとう
読んでくれた貴方に良き因果があらんことを
語り 柳悠歩(https://mobile.twitter.com/tauqlue42)
#tigerfibel #哲学 #柳悠歩
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