シュワルツマンさんの100歳の誕生日
チェブラーシカをこのようなかわいい姿に作り上げたレオニード・シュワルツマンさん。
シュワルツマンさんは、1920年8月30日に生まれたため、今年でちょうど100歳。
ロシア人男性の平均寿命の短さやコロナのパンデミックの中、この日を迎えることができたのは本当に嬉しい。
そして、何かしらイベントがあるだろうとアンテナを高くしていた私は、しっかりとイベント情報をつかみ、イベントに行ってきた。
ただ、行くだけでなく、シュワルツマンさんに伝えたいことがあったので、ロシア語で手紙を書き、プレゼントを持って行った。
コロナの中、シュワルツマンさんがイベントに参加することはないだろうということだったため、直接渡すのは難しく、渡せてもらえそうな人を探す必要があった。
テレビカメラなどの報道関係もたくさん来ている中、人間観察。
その後、偶然声をかけた人が、夜、シュワルツマンさんの家にお祝いに行くという人だったため、手紙を預けた。
「チェブラーシカが好き」とか「チェブラーシカを見た」という日本人はたくさんいるが、私はそれだけではない。
私の母が小学生の頃の1957年に、母は学校で授業の一環としてシュワルツマンさんのアニメ「黄金のカモシカ」を見ていた。70歳を過ぎた母は今でも印象に残っているらしい。「黄金のカモシカ」は1954年にソビエトで完成しているため、3年で日本で見ることができたことになる。このことをぜひロシア人に伝えたかったのである。
偶然声をかけた人にこの話をしたら非常に驚いていた。それだけで終わらないのが私。観客もステージにのぼって、カラオケなどができると前日のニュースに書いてあったため、一夜漬けでチェブラーシカの日本語バージョンの歌詞を書いて行った。せっかくだからと、この人たちの前で少し歌ってみた。もちろん、日本語になっていることを知らないから、これまた驚き、一緒にステージで歌おうということになった。
それで、司会者に話をつけてくれて一緒にステージで歌った。あらかじめロシア語で私の自己紹介や言いたいことなどを紙に書いていたから、それを司会者が読み上げてくれた。
その後もこの人たちと行動を一緒にしていたら、宴会が始まり、その途中で1人がシュワルツマンさんに電話をかけた。そして、日本からお祝いに来てくれているとシュワルツマンさんに話し、私と電話を替わった。電話でのロシア語は難しいが、シュワルツマンさんがゆっくり話してくれたため、話をすることができた。100歳の誕生日に会うことはできなかったが、電話で話しができて本当にいい1日だった。
シュワルツマンさんが作ったチェブラーシカの人形をサユーズムリトフィルムのスタジオで見ることができる。
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