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出先でのアクシデント

出先でのアクシデントは、シュワルツマンさんの葬儀の日に起こった。

シュワルツマンさんの埋葬が終わり、村の唯一のレストラン(水道が通っていないため、手洗いは外で、トイレはないという)で追善供養となった。

レストランの建物はこちら。

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あきらかに、ロシア帝国時代に建てられた建物だ。

窓も木枠。

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中に入ると、ドアも元々の古いものがあった。

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改装しながら営業中のようで、別の部屋には、まだ、電気がなかったが、素敵な木枠の鏡が置いてあった。

追善供養をした部屋のインテリアも素敵だったが、写真はない。

写真が撮れなかった理由は、この後書く。

席について、追善供養が始まった。

ここでも、話したい人が順番に話す。話し終わると、黙って飲む。

それを何回か繰り返しつつ、食べる。

私は、ボルシチも食べて、メインの鶏肉とジャガイモも食べ終わった後、急に、目の前が真っ暗になり、息苦しくなってきた。

座っているが、これは、立ち眩みみたいなことになっていると思い、露西亜語会話帳を鞄から出して見るが、「救急車を呼んでください」くらいしか書いていなくて、「貧血」とか「めまい」みたいな単語は書いていなかった。

これは、だめだと思い、すぐに、夫に電話。夫に症状を話し、隣に座っている朝から一緒の知り合いに話してもらった。

夫がどう伝えたか分からないが、私は座っていられなくなり、その場に横になった。

それを見た周りの人たちが「どうした?どうした?」となった。

私は露西亜語を流ちょうに話せないから、周りの人たちが、余計に大騒ぎ。

私は、少し横になって、寝ていれば大丈夫だと思ったし、医者を呼んだり、病院へ行ったりする必要がないことだけを伝えなければならないと、フラフラな頭で露西亜語を思い出す。そして、伝えたが、みんなが心配してくれて、「どうしたんだ?」と訊かれるから、さらに、頭を使って、「ヘモグロビンが少なくなったと思う。なぜなら、蚊にたくさん刺されたから。」と言った。

次の写真は、虫が苦手な人は、閲覧注意!







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こんな感じで1時間以上刺されまくった。右足だけで100か所以上刺されているから、両足と手や首や顔などを入れると、200か所以上は刺されていたと思う。刺されすぎてどこを数えたか分からなくなるくらいだから、正確な数は分からない。

さらに、トイレが心配で、朝ご飯を家で食べたきり、お昼も食べていなかった。

貧血と伝えると、周りにいた人が「お茶を飲むか?」「砂糖を食べるか?」「チョコレートを食べるか?」「外の空気を吸うか?」と次から次へと訊いてきた。

とりあえず、角砂糖を口に入れ、先ほど飲もうとしていたばかりの紅茶を口に入れる。そして、横になるが、頭を下げないように、膝枕にしてくれたり、私の頭を持ち上げてくれたりしてくれた。

そして、もう一度夫に電話をしようとなり、周りの人が、「旦那さんは、英語を話せるか?」と訊いてくるから、「露西亜人だから、露西亜語を話せる」というと、電話で話していた。何を話したかは伝えてもらえず。

どうしても、外の空気を吸わせるのがいいと思う人がいるようで、次から次へと別の人が、「外に行くか?」と何度も訊いてくる。その度に、「蚊にたくさん刺されて、こうなっていると思うから、外には行きたくない」と答え、さらに、「気分はどうだ?」「よくなったか?」もいろんな人が何度も訊いてくるから、その度に答えた。

そして、そろそろ大丈夫かと思って、起き上がったが、まだくらくらしていた。

それで、もう一度横になった。

お店の店員さんも必死に看病してくれる。食事を何度も運んできてくれた人だ。自分の担当しているテーブルの人が具合が悪くなったからというので、必死だったようだ。

もう少し横になっていれば、治るかなと思っていた矢先に、男性が、私を持ち上げ、気づいたときはお姫様抱っこになっていた。

それで、外の空気を吸うといいと運ばれた。
はあ、蚊に刺されるからあまり行きたくないのだが、どうしても外に連れて行きたいようだ。

そのまま、外までお姫様抱っこだった。外に行くと、ベンチが即席のベッドになっていて、シーツも敷いて、枕も用意されて、分厚い布もある。

分厚い布で顔以外をしっかり覆ってくれた。自分の持っているショールをかけてくれた見知らぬ女性もいた。

顔に蚊が近づくと、近くにいる人たちがはらってくれる。

これなら、蚊の心配はなさそうだ。そして、レストランの店員さんが、貴重な水を私の腕や足にかけて、蚊に刺されたところを冷やしてくれていた。
ここは、水道が通っていなくて、井戸水をくんで生活している。私には、ペットボトルの水を使っていたが、これも相当高いはず。

さらに、聞こえてきたのが、「医者」という言葉。
え!医者と病院は必要ないと言ったはずなのだが。
誰かが、医者に電話をしていて、どういう処置をしたらいいのかを訊いていた。「足を高くした方がいい」と言われたということで、少し高さが高いベンチを足の所に持ってきて、高くなるようにした。

電話で医者の指示を聞いているだけかと思ったら、私の年齢を訊かれた。
なんと!誰かが医者を呼んだようだ。
これから、来るということで、医者の診察を受けて、「モスクワまで帰れる」と医者に言われたら、帰れるとなった。えらいおおごとになってしまった。

その後、雨が降ってきたから、即席の屋外ベッドに寝るのを辞めて、部屋に入った。
この時、すでに立ち眩みはおさまっていて、普通に歩けた。診察の必要はないのだが、医者が来るというから、静かに待つ。

椅子に座って医者を待っているときも、次から次へ「よくなったか?」と訊かれた。

そして、医者が到着した。若い女医さんだった。
私を見るなり、「露西亜人じゃない」と顔をしかめた。周りの人が「日本人だ」と言うと、「なぜここに日本人がいるのか」と訊いている。この若い女医さんは、おそらく初めて日本人を見たと思う。「シュワルツマンさんの埋葬で来たよ。」と言ったところで、この若い女医さんは、シュワルツマンさんを知らないからそっけない。医者が静かな部屋に行きたいというので、電気のない暗い静かな部屋へ誰かが案内した。
すると、医者が「電気は?」と訊く。当然だ。「電気はない。」と誰かが答えると、医者があきれて、「電気がなければ困る」と。そりゃそうだよなあと思う。そして、結局は、入り口付近の通路に椅子を置いて、診察することになった。
私が露西亜語が流ちょうでないと知っている周りの人たちは、我先にと今までの経過を複数でわあわあ話す。それで、医者は「うるさい」とブチ切れた。
「私の夫は露西亜人だから、電話で話してください」というと、やっと医者は落ちついた。それで、夫に私の症状を伝え、それを通訳してもらった。
その後、血圧を測り、血を採った。採血は、薬指の指先に針を刺して、血を少し出して、それを検査薬につけるというやり方だった。
異常なしとすぐに分かり、次は、服を脱ぐように言われた。
しかし、ここは通路だからと、また移動した。
元いた場所に戻って、男性は出ていくように言ったが、女性は残っている。医者は上下とも服を脱ぐように言った。
聴診器だけでないのかと思いつつ、言われるままに服を脱いだら、何やら薬を塗られた。そして、洗濯ばさみみたいなのと吸引が出てきて、もしや?心電図?と思った。心電図をとったのだ。
ただでさえ今までの出来事で心臓が高鳴っているうえに、まさかの心電図の登場に脈が上がるのではないかとドキドキした。手際よく検査をし、グラフを見て、異常なしとなった。
それで、診察が終わり、書類を書く作業になった。

とにかくこの若い女医さんは、日本人を初めて見たと思う。書類を書くのに、「父称は?」と訊いている。だから、「日本人は、苗字と名前だけで父称はありません」と訊くと、納得していた。
それで、医者は帰り、周りの人たちが「どうだった?」とこれまた順番に訊いてきた。

そういうわけで、素敵なインテリアの部屋での追善供養だったのだが、写真を撮る余裕もなく、追善供養がその後どうなったのかも分からない。すでに片づけが終わっていた。

シュワルツマンさんの埋葬に行ったのだが、迷惑をかけてしまった。

帰りは、車に乗ったが、出発したのは夜の9時半くらい。それで、家に着いたのは、12時半くらいだった。


その翌朝、蚊に刺された足は、パンパンに腫れた。
膝から下は熱をもって熱く、かゆいし、痛い。まともに歩けない。翌日は、お土産市場に行きたかったのだが、断念。
仕事帰りの夫に虫刺されの薬を買ってきてもらった。というのも、日本のムヒもあるのだが、日本の薬を塗った時に、私の場合は、逆効果で、ものすごく痛くなって、あとに残ったことがある。それで、日本の虫刺されの薬を塗るよりも、露西亜で売られている虫刺されの方がいいのだ。
制裁中だから、薬局に薬がないかな?とか、値段が高いかな?と心配だったが、いつも使っていた虫刺されの薬があった。値段は、高いような気がしたが、以前の値段を覚えていないからよく分からなかった。スイスの薬だが、制裁中でも医療品と薬品は露西亜に届けるとあったように、届いていることが分かった。
それを塗ってもたいして変わらなかった。
すると、夫が水で冷やすといいという。お風呂場は、義理の妹家族などが頻繁に使っていて、水をかけに行くのが面倒。
「冷たいペットボトルなんかを足に当てて冷やすといいかな?」というと、夫が、「布を濡らして冷やすのでもいい」と言う。
そこで、そういえば、日本手拭いが棚にあることを思い出し、それを濡らして、膝から下の足に巻き付けた。

それで、少しかゆみが楽になった。

さらに、翌日。薬よりも水で濡らして冷やす方が効果があると分かり、かゆいと思ったら、お風呂場に行って、水をかけるようにした。
また、手ぬぐいを濡らしてそれも巻き付けた。
それでも、足首から先はものすごくむくんで、象の足みたいになった。スニーカーがはけないくらいパンパンに腫れていた。

腫れがひくのも時間がかかったが、水で冷やすのを1週間繰り返したら、やっとかゆみと痛みはとれた。

今は、痕がたくさん残っているから、まだ、出かけたくない。

せっかくのいい気候の時期なのに、もう少しおとなしくしておく。


いつもは、村や森に行くときは、ズボンをはいて、虫よけもしていくのだが、今回は、埋葬する村まで行けるかどうかは分からなかったため、虫よけスプレーももっていなくて、黒いスカートに黒いストッキングだから、刺されまくった。
旅行中に、村や森に行く予定がある場合は、虫よけを持参することをおすすめします。

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チェブラーシカ
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