Синий трактор
義理の妹家族が泊りに来た時に、6歳の甥が見ていたアニメです。
私を呼んで、「日本からのトラクターだよ。」と言いました。
初めて見るアニメだったので、まず、タイトルを訊き出し、その後、ネットで検索をしました。
甥が見ていたアニメは、上に貼り付けたもので、右側にある黄色いロードローラーが、日本人が作ったとアニメの中で言っていました。
このアニメのシリーズはたくさんあり、こちらのYouTubeから見ることができます。
ソビエト末期の80年代、日本からコマツなどが展示会をしていました。
2人目の義父は、その展示会へ行き、夫が子供の時は日本のカレンダーが部屋にかかっていたようです。夫は、それを見ていて、「日月火水木金土」という漢字を8歳の時に覚えたようです。その時、漢字に興味をもち、のちに日本語を独学して、日本語を話します。ダジャレも言うほどです。
私の父は、80年代にソビエトへ何か部品を作って送っていました。それは、会社からの極秘事項だったので、30年以上して、初めて父が話し、80年代のソビエトへ日本の物が入り始めていたんだなあと、あとで知りました。
そして、ロードローラーもソビエト時代に古くからありましたが、日本の物が優れていたのか、現在もコマツなどの重機を見かけます。
アニメの中でも、親日でこうやって、わざわざ「日本人が作った」というようなセリフもあるわけです。
6歳の甥は、生まれた時から、私が家にいて、甥が生まれたばかりの時は、日本語で話しかけたり、日本の子守歌も歌ったりし、遠く離れた国だけれども、日本という国に親しみをもっています。
公園で遊ぶときも、ロシア国旗が遊具にあるのを見つけたら、「ラッシーヤ(ロシア)、イポーニヤ(日本)」と、団地の谷間の音響効果がいい場所で、よく響く声で叫んでから、ボールを投げます。
今はこんな国際情勢なので、日本と言わないでと思いつつ、甥にとっては、自分の国とおばちゃんの国という認識です。
そのうち、「ラッシーア、イポーニヤ、ベラルーシヤ(ベラルーシ)」と、叫び始めました。
甥の父親(私にとっては、義理の弟)は、ソビエト連邦の中のベラルーシ共和国で生まれています。
6歳の甥は、父親のルーツもしっかり認識しています。
現在の日本では、外国にルーツがある人が増えているので、未就学児のうちから、外国というものに興味をもつかもしれないけれども、ロシアは諸外国と陸続きで接し、他民族国家だから、余計に興味をもてる環境にあります。
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