7月20日は、スヴィリードフという作曲家を初めて知った日
2013年7月20日に、夫がお土産としてくれたスヴィリードフの楽譜。この他にプロコフィエフのピアノソナタの楽譜とチャイコフスキーの「四季」の楽譜が描かれているマグカップをもらった。
夫の育ての父親の現在の妻が、音楽大学を出ているから、お土産を相談したのか?と思ったが、そうではなく、夫が自分で考えたらしい。
ナイスなお土産だった。
その中で、気になったのが、スヴィリードフの楽譜。
スヴィリードフという作曲家の名前を初めてきいた。楽譜を見て弾いてみたが、知っている曲は1つもなかった。弾いてみたら、露西亜らしい旋律に惹かれ、一気に好きになった。
好きになれば、当然調べる私。
すぐに、国会図書館へ行った。
国会図書館で検索して出てきたのは、日本の古典文学研究家のスヴィリードフで作曲家のスヴィリードフの文献はなかった。あとで、日本古典文学の研究家のスヴィリードフは、作曲家のスヴィリードフの息子さんということを知った。
文献がないのならと、音源を探した。国会図書館にあったのは、「悲愴オラトリオ」のレコード。
ジャケットは、赤く、ソビエトらしい絵が描かれていた。
どんな曲かと思って聴くと、これまた、ソビエトらしいすさまじい曲だった。
私がもらった楽譜の中にあった曲と違い過ぎて、いったいスヴィリードフとはどんな作曲家なのか?と気になり始めた。
その後は、ロシア旅行をするたびに、スヴィリードフの書籍やCDを探して見つければ買った。
そうしているうちに、どんどん好きになっていくし、ソビエト国内で有名な作曲家で外国にはあまり知られていない作曲家ということが分かった。
夫がくれた楽譜の中に「吹雪」があり、この曲が気に入り、練習を始め、発表会で弾いた。
「吹雪」については、こちらからどうぞ。
8年前にこの楽譜を夫がプレゼントしてくれなければ、スヴィリードフのことを一生知らなかったと思う。
今も毎日スヴィリードフの作品を弾き、文献を読み、日々発見している。
日本古典文学研究家の息子さんのねがいは、「日本で父親の曲が広がること」だったという話を息子さんと交流のあった方からきいているので、できるだけ日本でスヴィリードフのことが知られるようにしたい。