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ゲオルギー・スヴィリードフ


もう1つライフワークにしたいのが、作曲家のスヴィリードフ。
スヴィリードフの息子さんは、日本文学の研究者で京都に住んでいた。残念ながら、父親より1週間ほど早く1997年12月に京都で亡くなった。息子さんのご遺体がモスクワに到着するかなという1998年1月6日に作曲家のスヴィリードフは亡くなった。息子さんは生前、「日本で父親の曲が広まることを願っていた」という話をスヴィリードフの息子さんと交流のあった日本人から聞いた。その時に、私は、スヴィリードフの楽譜も持っているし、スヴィリードフのことを日本で広めようと思った。

旅行で来ているときも、スヴィリードフの本を探し、一番左の本をペテルブルクで購入し、モスクワに住むようになってから、真ん中の本を見つけた。

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さらに、スヴィリードフの住んでいた家も分かり、その除幕式では、スヴィリードフの音楽学校の先生方と知り合いになった。音楽学校で何かイベントがあると知らせてくださるので、自宅から遠いが、出かけられるときは出かけるようにしている。そして、この音楽学校の先生方が書いた論文集も頂くことができ、ウスペンスキー作品と同様、スヴィリードフに関する資料も日本で広めることをライフワークにしたい。

楽譜屋さんで見つけた古本と義母が作者のサイン入りでプレゼントしてくれた本もある。

音楽学校の先生方の論文集は、参考文献なども載っているため、スヴィリードフに関する参考文献がどんどん増えていっている。

また、2020年12月16日は、スヴィリードフ生誕105周年なので、それに向けて、動画なども今後記事に書いていきたいと思う。

コロナがなければ、スヴィリードフに関するコンサートもいくつも催されていたため、参加する予定だったが、本日のモスクワ市の24時間の感染者数は7918人、ロシア全土では、27543人とどちらも過去最高となっているため、コンサートなどには参加できない。

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チェブラーシカ
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