チェーホフの家探しをしているときに、偶然発見!
こちらの記事のように、
私は、チェーホフがモスクワ市内で住んだ家を探して、写真に撮っていた。
そんな時に、「これは、スターリン建築だよなあ。チェーホフはロシア帝国に生きていたんだから、この建物は当時はなく、住所がそこだけだったということだな。」と思った。
また、スターリン時代に、現在のトヴェルスカヤ通りの道幅に広げ、その時に、建物ごと50m動かしたという話を夫から聞いたことがあったから、チェーホフが生きたロシア帝国時代は、トヴェルスカヤ通りは、現在よりも道幅が狭かったはず、それなら、もしかしたら、スターリン建築の中庭にある建物がチェーホフが住んだ建物とかなのかな?と思い、思い切って中庭に入ってみた。
普通に住人がいる建物だから、普段は、知り合いが住んでいない限り、中庭に入らないが、この時は、入ってみた。
そこで、見たものは…
こちら。
教会を含んだ革命前の建築物だった。
おお!これが、チェーホフが住んだ家なのか?と、心躍った。
しかし、建物をよく見ていると、1907年に建築されたとプレートがあった。
チェーホフは、1904年にドイツで亡くなっている。どう考えてもこの家に住んでいない。物理的に不可能だ。
チェーホフは住んでいなかったが、ロシアの建築らしい造り。
タイルもある。
窓枠や、屋根の下の壁画も素敵。
中庭に入ったことで、このような素晴らしい建築を見ることができてよかった。
日本からの観光客で、ここにたどり着く人は少ないと思うが、地元のモスクワっ子は、この建物のことを知っていて、私が訪れた日も、ポーズを決めて、写真を撮りあっている数名の女性たちがいた。
ロシア語だが、建物の説明はこちらのサイトにある。
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