【フィギュアスケート】NHK杯でスヴィリードフの音楽が流れた
アナスターシヤ・ミーシナ選手とアレクサンドル・ガッリャーモフ選手が、私が好きな作曲家のスヴィリードフの音楽で日本で開催されたNHK杯のフリープログラムを滑りました。
これは、私にとってはものすごく嬉しいことです。
最近、ロシア連邦のペルヴィー・カナルのビデオを日本から見ることができないという声をちらほら聴くので、もしここから見られなかったら、ごめんなさい。
このビデオの下の方には、あらかたのタイムスケジュールが載っていて、そこへ飛ぶことできます。ミーシナ、ガッリャーモフ組は、1:05:20くらいからです。さらに、表彰式では、ロシア国歌が流れ、ガッリャーモフ選手は泣いています。ストックホルムで行われた世界選手権でもこのペアは優勝していますが、あの時はロシア国歌が流れなかったので、今回は、ロシア国歌とロシア国旗のセレモニーで感動したのだと思います。また、ミーシナ選手は、NHKトロフィーを渡されたときに、「重い」というようなしぐさをしています。
全部を見ていられないという方は、こちらのアナスターシヤ・ミーシナさんとアレクサンドルガッリャーモフさんのフリーのビデオをご覧ください。
さて、スヴィリードフですが、私の過去記事から「吹雪」と「時よ、前進!」について書いたものをいくつか載せます。
全部見ると大変なので、お時間のある時に、気になるところから見てください。
ミーシナ、ガッリャーモフ組がフリープログラムで使用しているスヴィリードフの「吹雪」より「ロマンス」と、「時よ、前進!」です。前半が「吹雪」で、鐘の音が鳴ったあとの後半は「時よ、前進!」です。
なぜ、私がこの音楽が日本で流れたことに感動しているのかということを少し書きます。
スヴィリードフは、1915年12月に生まれて1998年1月に亡くなった、ソビエトではものすごく有名な作曲家でした。しかし、ソビエト国内で有名でも、外国にはあまり知られていませんでした。作曲家のスヴィリードフさんには、息子さんがいます。その息子さんは、日本の古典文学の研究者で、京都に住んでいて、1997年12月に京都で亡くなりました。京都で亡くなり、ご遺体がモスクワに到着するかなという頃、お父さんのスヴィリードフさんがモスクワで亡くなりました。
その息子さんは、「日本で父親の音楽が広まることを願っていた」という話を、息子さんのスヴィリードフさんと交流のあった、I先生がおっしゃっていました。それで、私は、こうやってnoteに書くことで、スヴィリードフのことを日本へお知らせすることしかできませんが、なんとか日本でスヴィリードフの知名度が上がるようにしたいと思っています。
そのため、フィギュアスケート選手がオリンピックの年に、スヴィリードフの音楽で滑るということは、私にとってものすごく嬉しいのです。また、グランプリシリーズの開催地が6か所ある中で、このペアが日本開催に出場することになり、日本人の会場の皆さんや、テレビで見た日本人がスヴィリードフの音楽を聴くことができたというのが嬉しいです。
最近、スヴィリードフに関する記事を書いていませんでしたが、またいろいろ調べて、新しい気づきがあれば、また書きます。
【11月14日の過去記事】
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