しぐれうい2ndアルバム「fiction」レビュー
先日、イラストレーターであり、国内トップクラスのチャンネル登録者を持つ個人勢VTuberしぐれういさんの2ndアルバム『fiction』が発売された。
すでにMVが公開されており、2,000万回近く再生されている『うい麦畑でつかまえて』が収録されているほか、DECO*27氏、いよわ氏などといったボカロPの大御所が手掛けた楽曲もあり、発売前からファンの間で話題となっていた。
私も初回限定盤を予約して購入しましたので楽曲レビューをしていく。
△しぐれういさんの個展「雨を手繰る」のレビュー
△ライブレビュー
01. ハッピーヒプノシズム 作詞・作曲・編曲:堀江晶太
一曲目は「VTuberとは何か?」といった哲学的な問いに答えていくものである。先日刊行された「VTuber学」では、哲学の領域からVTuberの存在論を定義しようと試みている山野弘樹氏による論考が掲載されている。当記事は、あくまで『fiction』のレビューであるので彼の理論を簡潔にまとめるだけにするが、大まかにVTuberはアニメ的キャラクター(モデル)と配信者の重ね合わせによって現出する存在であり、その重ね合わせ(結びつき)によって生じる身体的、倫理的、物語的アイデンティティが重要となってくる。
さて『ハッピーヒプノシズム』において、作詞を手がけた堀江晶太氏は「しぐれうい」を通じてどのように、VTuberを定義しているのだろうか?
「これから錯覚しようよ」としぐれういさんからの提案で曲は始まる。
「本当も嘘も分からないね」と虚実曖昧となるVTuberの本質が簡潔に語られる。VTuberの配信は視聴者とのインタラクティブなコミュニケーションによって成立するので、配信者の性格や私生活がありのままに反映される。一方で、VTuberとしての設定や他のVTuberとの関係によって生まれるフィクショナルな文脈もあったりするので、どこまでが配信者の事実なのかは完全に特定することはできないし、それをすることはタブーだったりする。そういった不鮮明な事実に考察の魅力があり、ファンの中には自分の中で考察し解釈したその人なりの「真実」が紡がれ、時として二次創作物としてSNSで発信される。
ただ、この熱心な考察ものめり込みすぎると、疲弊やトラブルなどを引き起こす可能性がある。『ハッピーヒプノシズム』では、やんわりと助言を提示している。
推し活における、幸福な催眠効果へ浸る視聴者へ歩み寄りつつも、沼へ溺れかけた者へ手を差し伸べる曲となっているのである。
Instrumental版では、雨上がりの晴天の中「しぐれうい」が駆け抜けるようなヴィジョンが浮かぶ、リズミカルなギターの旋律が特徴的となっている。
02. うい麦畑でつかまえて 作詞・編曲:ナナホシ管弦楽団 作曲:岩見 陸
2024年上半期のYouTube界で最もShorts動画で踊られた楽曲なのではないだろうか?昨年の『粛聖!! ロリ神レクイエム☆』に引き続き、中毒性のある旋律、ういミームを存分に盛り込み、彼女の配信で繰り広げられる視聴者(ゴミ)と彼女との掛け合いのイメージが再現されている楽しい楽曲へと仕上がっている。
内なる天宮こころさんを召喚して放つ「I hate you♡」から始まる。曲名から分かる通り、J・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」の英題”The Catcher in the Rye”のオマージュとなっており、ある意味、我々視聴者はホールデン・コールフィールドのような存在として定義され、「phony」or「無垢」な存在として「しぐれうい」を定義しているように思える。一見、彼女は、無垢なイメージで視聴者とじゃれているように見える。しかし、主導権は彼女が握っており、視聴者は「しぐれうい」の手のひらで転がされる。
たとえば、
我々は、まるで学校の屋上に呼ばれ、彼女から愛の告白を受けるようなイメージを思い浮かべるであろう。しかし、次には「お前らにはもったいないよね」と叙述トリックによってぶった斬られる。
別の場面で我々は「うい、夢に見るよ 新婚旅行」と語りかける。しかし、彼女は辛辣に「そっかそれなら 空き缶はお前らだね しっかりくくるね」と新婚旅行を受けた上で華麗に受け流す。まるで、トムとジェリーのジェリーのように、永遠に彼女へ届かない追いかけっこが表現されているのだ。
また、『うい麦畑でつかまえて』は、彼女の配信の雰囲気が再現されており、彼女の息遣いが癖になる特徴を持っている。
顕著になのは、この2行だろう。ドン引きしながらも煽り散らす、彼女の吐息が生々しいものとなっている。
ラップパートでは、彼女が生み出したミームが炸裂しており、視聴者にとっては心惹きこまれるものがあるだろう。
・お前の愛はシャボン玉→しぐれういさんはお出かけポーチにシャボン玉を入れている。
・一生待ってろ納品日→全く完成しないLINEスタンプ(物理的なスタンプは完成した)。
・文句を言ったら同人誌→しぐれうい語録に「同人誌にするぞ」がある。
Instrumental版は、どこかゲームサウンドっぽさ(序盤は「星のカービィ」あたりで聴いたことあるような空気感があった)と、波をスクラッチさせるような感覚が印象的なものへと仕上がっていた。
03. ひっひっふー 作詞・作曲:じん 編曲:じん、緩斗
アルバムのタイトルが発表された時、X(旧:Twitter)は騒然とした。
《ひっひっふー》ってどういうことだ?と。
発売の直前に、ホロライブ所属の大空スバルさんが「ホロARK」配信で妊娠・出産する大掛かりなネタを披露した。それに伴い、「しぐれういに孫ができた」とTLで話題となっていたのだ。実は、しぐれういさんは大空スバルさんの産みの親と知られており、「ういママ」とも呼ばれている。そんな出産イベントの直後に楽曲『ひっひっふー』が発表されたもんだから、どんな楽曲に仕上がっているか気にならない訳がないのだ。
彼女の楽曲には『粛聖!! ロリ神レクイエム☆』『うい麦畑でつかまえて』とゴリゴリにネットミームへ寄せた作品があり、本作もその系譜を行くのじかと思い、聴いて観たら2つの意味で驚かされた。1つ目は、テクニックの楽曲に仕上がっていた点。2つ目は、初回限定版の2枚目に付属しているInstrumental版も含めて、本アルバム最高のクオリティであったことにある。
陽気なサンバのリズムでビートを刻むイントロ、「ひっひっふー」とテンポを取り、高速ラップで「産み落とす イカしてる some body」と主題が語られる。なるほど、イラストレーターとして、納期目指して、人物を描写していく混沌、苦悩、そして高揚を捉えた楽曲なのかと思い、耳を澄ます。
ただ、クリエイターの苦悩を描いた楽曲は、その血染みる努力や、表には見えない翳りが明るい曲調との対位法によって紡がれることが多い。例えば、サカナクションの『新宝島』では、「丁寧」をビートとして執拗に歌詞へと挿入していくことで膨大な努力の跡を刻み込む。ピーナッツくん『Drippin' Life』の場合、死を意識するほどに血反吐はくほどの努力によってマイスタイルを確立させていく様を歌っている。
しかし、彼女の場合は「つよつよイラストレーター」としての自負、大変でありながらも高揚感の中生み出される存在の快感へ寄せている印象を受ける。
腱鞘炎になりそうな程、大変ではあるが長年かけて磨き上げたセンスによって紡がれていく点と線の唯一無二性に誇りを持っている彼女をたった3行で表現している。しかも、しぐれうい(9歳)を「齢九」として引用するギミックまで隠しているのだ。
とはいえ、疲労との闘いもあり、「『私が私やっちゃう』はNO」と寝落ちしてしまいそうになる自分を鞭打っている場面もある。そして、息をつく暇もない火の車から追い立てられるように異端児として自分を奮い立たせながらサビへとなだれ込む。既にアップテンポな楽曲であるにもかかわらず、加速しながらなだれ込むのだ。ここから、曲調は夏の音楽フェスで流れるような上げのロックへと転調し、盛り上がっていく。クリエイターにとって追い込まれた時ほど華であり、高揚感に包まれる。その感覚を擬似体験することとなる。
そして、次なるビートへと繋がるのだが、ここでのラップがこれまた超絶技巧となっていて、個人的にこの部分に胸元を掴まれた感触を抱く。
このラップパートでは、VTuberとしての「しぐれうい」が描写されている。イラストレーターの仕事とは違い、インタラクティブに視聴者(YOU)と「しぐれうい」(ME)がコミュニケーションを取り生まれる瞬間芸術である。ビビるな、自尊心の壁を破って想像/創造していくU&I(うい)の世界の魅力を語っている。VTuberの世界も、誹謗中傷をはじめとするトラブルや混沌に満ちているのだが、その中でもメンタルを壊すことなく、颯爽と、ホロライブやにじさんじといった企業勢企画に参加し、実績を作り続けている、最強のクリエイター「しぐれうい」の世界に満ち溢れた一曲であった。
ちなみに『ひっひっふー』のInstrumental版では、サンバのリズムに和ロックや、民族音楽的要素が加わってくるから、様々な経験値が作品へ反映されていくイラストレーターの仕事観が普遍的な形となって浮かび上がってくる。執筆時のBGMにしたいものがある。
04. 微炭酸SWIMMER 作詞・作曲・編曲:Q-MHz
私はアイドルソングを聴かないので雑感になってしまうのだが、『微炭酸SWIMMER』は夏のビーチで、美少女たちがビーチバレーをしたり、ビーチベッドでグラサンをかけながらメロンソーダやアイスクリームを嗜んでいるMVの情景が浮かぶまさしく「アイドルソング」に相応しい一曲といえよう。
しぐれういさんの翳りひとつない爽やかで甘酸っぱい誘いによって、我々は世界という名の海へと飛び込むこととなる。
スタッカートを利かせるようにフレーズを切っていくことで、微炭酸の「シュワシュワ感」を表現していく。短い言葉で、区切っていくギミックは対話と相性が良い。
このように、ファンが掛け合いをできるようになっておりライブで盛り上がる一曲へと仕上がっているのである。Instrumental版では、他の楽曲と比べてクセの少ないものとなっており、ライトに爽快な音を聴きたい場合に癒しとなるオアシスである。
05. Paint it delight! 作詞:松井洋平 作曲・編曲:睦月周平
しぐれういさんの配信はオープニングから引き込まれるものがある。PCを起動するとCPUなどの情報が表示され、しばらくするとパスワードの入力が求められる。ログインすれば、個人の作業画面となる。そんなPC起動にオマージュを捧げたオープニング動画は視聴者を世界へと誘うのに十分なインパクトがある。BGMも軽やかで柔らかいものとなっており心地良い。そんなオープニングの質感を意識した楽曲が『Paint it delight!』といえる。
まさしく、4行目「自分の解像度が変わっていく瞬間」から「Now On Air」へ入る溜めの演出は、黒画面から「Uindow OS」のアイコンが表示される時の溜めの演出を彷彿とさせるものがある。
また、モニター越しに「しぐれうい」の何気ない日常の1ページへ触れる我々を、フィルター越しに語られる彼女の語りによって再現されていく。
さらにイラストレーターから2次元に生まれなおした"わたし"(=VTuber)を通して、ホロライブなどといった企業勢VTuberのコラボ配信へ呼ばれ新しい関係性や物語が紡がれていく人生の面白さについて語るドキュメンタリー的描写へと繋げていく。
我々は、特に「何者か」としての肩書きを持っていると全く新しい領域に挑戦するのに尻込みしてしまうことがある。しかし、しぐれういさんの場合は「できること」「できないこと」に線を引かないことで、様々なことに挑戦し豊かな人生を掴み、その楽しさを多くの方へお裾分けする。
彼女なりの人生讃歌として『Paint it delight!』はキラキラと輝いているのだ。
なお、Instrumental版では跳ねるような可愛らしいリズムが特徴的となっている。
06. 二人模様 作詞・作曲・編曲:MIMI
『fiction』は、ネタ曲からアイドルミュージックなどと大きく曲調が異なる楽曲がまるでおもちゃ箱のように敷き詰められている。脳裏のイメージを具現化しながら様々な世界を生み出すイラストレーターとしての「しぐれうい」、物理的空間/仮想的空間を横断しながら創作をしていくVTuberとしての「しぐれうい」を象徴するように音楽ジャンルの幅が広いのが『fiction』の特徴であろう。
さて、『二人模様』はボカロを意識した楽曲になっている。『フィオーレ』や『消えない温度』などとピアノをメインとした旋律の美しさに特化したMIMI氏が手がけた本楽曲は、イラストレーター/VTuber「しぐれうい」の二重性をピアノの旋律で表現している。メロディAに対しメロディBが追いかけてくる楽曲の骨格を最初に提示する。そこへ、しぐれういさんの通常より高めの声が乗る。その音は初音ミクを彷彿とさせるものがある。
注目すべきは、上記のリリックが終わると間髪入れることなく、次のリリック「反射した」が歌われることにあるだろう。透明感のある楽曲、『fiction』のジャケットのように水たまりという鏡面に反射した像を意識したように、反射的にリリックが挿入されることで、旋律だけでなくヴォイスレベルで「しぐれうい」の二重性が表現されている。一見、男女もしくは女子友達2人の関係性を謳っているように思えるが、サビを踏まえると雨がもたらす鏡面に映るもうひとりの自己を二人目と定義しているといえる。それに伴う二重性は、イラストレーター/VTuber「しぐれうい」以外にもある。感情を捉え、未来を二人で歩もうとするリリックから推察するに、自己に秘めた他者性も意識されているであろう。
『インサイド・ヘッド』を思い浮かべればピンとくると思うが、我々は自己の中に幾つもの思考の型が他者のような振る舞いをして存在している。まるで他者と対話しているように、内なる葛藤と向き合い実際の行動へと繋がっていく。決して、ひとつの感情や感覚だけが独裁政権となり我々を動かしているわけではないのだ。だから「見知らぬ未来も2人でさ 背中合わせの鼓動で」歩むのである。
なお、MIMI氏の紡ぐ旋律は耳に優しいものがあるので、Instrumental版は作業BGMにオススメである。中盤にかけて、世界が広がっていくような豊かな音へと膨らむところが気に入っている。
07. ういこうせん 作詞:にゃるら 作曲・編曲:Aiobahn +81
『fiction』は、個々の楽曲が基本的に独立しているのだが、『ういこうせん』は『うい麦畑でつかまえて』同様、文学からの引用(こちらは小林多喜二「蟹工船」)で繋がっているので類似と差異から楽しめる内容となっている。実際に、歌詞では「黄金のうい麦畑」が登場する。
まず、「蟹工船」との関連性について分析しよう。「蟹工船」は、オホーツク海へ繰り出すたらば蟹の加工船である。労働者たちは劣悪な環境の中、たらば蟹を缶詰にする。やがて劣悪な環境に耐えきれずストライキを起こすも、国家と資本家による狡猾さによって粉砕されてしまう。
現代社会も、国際レベルで国家と資本家によりシステマティックに労働者は低賃金で酷使される。労働者同士に分断がもたらされ、デモなどといった団結も暖簾に腕押しであったりする。
そんな中、敬虔な宗教大国とは距離がある日本において、アイドルはイコンとして存在し、抑圧される労働者たちの傷を癒し、束の間の休息を与える。
『ういこうせん』はアイドル、あるいは象徴(=イコン)として「しぐれうい」が率先し、彼女を推す者たち(オタク)のオアシス(=黄金のうい麦畑)へと誘導し、くたびれた労働者の背中を押す。
楽曲を聴くまでは、「ういビーム」を引用したネタ曲だと思っていたのだが、プロレタリア文学として洗練されており、噛めば噛むほど旨い堅あげポテトのように味わい深い。
特に、配信を観るオタク像の言語化に長けている。
疲れ切ったオタクたちは「しぐれうい」の配信へ足を運ぶ、そこでコメント、スパチャというボトルメールを流し、彼女に読み上げられることを薄ら期待しながら夢を見る。
しかし、彼女はある種の形而上学的存在なので直接触ることはできない。だから恋焦がれ官能が高まったとしても絶対不可侵領域が存在する。彼女自身も「残念ね お触りは NO」と明言する。
Instrumental版を聴くと『うい麦畑でつかまえて』とは大きく異なる部分がある。それはEDMに力点を置いているところだ。労働という地獄を耐え忍んだ者は、刹那の休みを乗り越え、再び労働へ勤しまねばならない。労働は嫌だ、しかし行かねばならない。そんなオタクの背中を鼓舞し、押し出す必要があるので、高揚感のあるエレクトロなビートが強調されているのである。ゲームサウンドっぽさを抱いた『うい麦畑でつかまえて』とは異なる質感である。
08. あいしてやまない 作詞・作曲:DECO*27(OTOIRO)編曲:TeddyLoid
先日、詩人の谷川俊太郎と対談したことで話題となったボカロPの大御所DECO*27氏の楽曲。DECO*27氏は、少しでもボカロに触れたことがあれば聞いたことがある名前だろう。
『ゴーストルール』や『ヒバナ』といったYouTubeで数千万回再生されている名曲から『ヴァンパイア』『ラビットホール』などとVTuberの「歌ってみた動画」の課題曲ポジションになる楽曲まで手がけている。
そんな彼が提供した「しぐれうい」オリジナルソングは、囁くように痛みや苦しみを内へと隠す我々の心象世界に入門してくる楽曲である。
VTuberは基本的にがっつりエゴサを行う。我々は、深淵を覗き込んでいるようで深淵もまた我々を見つめている。しぐれういさんも例外ではなく、いつ寝ているのかわからないほどにファンや他のVTuberのXでの投稿へコメントや引用リプを残している。そんな彼女が、仕事や学校などで悩みを抱えている者のそばへしゃがみ込み、傾聴する。いつもは、華麗に辛辣に視聴者の大喜利へツッコミを入れていく彼女が歩み寄る感傷的な語りとなっている。しかし、DECO*27氏は過剰な感傷に陥らないよう、おもちゃのアヒルをぱふぱふさせるような滑稽さで空気感のバランスを取っている。
これはまさしくDECO*27の得意な領域であろう。『ゴーストルール』も『ヒバナ』もそうだが、陰鬱さをロックのテンポで吹き飛ばすような楽曲となっている。『あいしてやまない』は、絶望の淵に立たされた者に対し、推しである「しぐれうい」が手を差し伸べるカタルシスを軽妙に歌った曲である。まるで、ベアトリーチェが永遠の淑女ベアトリーチェの導きによって天へと昇ような気持ちになるLa Divina Commedia、まさしく《神曲》といえよう。
Instrumental版では、ライブにおける最後の楽曲かと思うほどカタルシスに満ち溢れたオープニングから始まる。クライマックスの高揚感に満たされている。
09. 勝手に生きましょ 作詞・作曲・編曲:いよわ
インターネットミームにもなった『きゅうくらりん』で知られているいよわ氏もまた、VTuberに楽曲を提供しているボカロPである。過去には、名取さなさんの『パラレルサーチライト』を手がけている。
いよわ氏の楽曲はこの2曲のイメージが強いので、最初に音を畳み掛けるのかと思っていたのだが、違った。雨上がり、曇天ではあるが晴れの兆しがある。傘を持ちながら思わずスキップして水溜りを飛び越えていきそうな開放的感の中で、「トゥルルルッルルー、タラララッラー」と鼻歌のようにしぐれういさんが歌うイントロで始まるのだ。
そこに『パラレルサーチライト』よりは感覚を空けた音の重ね合わせで、世界を膨らませていく。これは『二人模様』における、ピアノの旋律によるメロディA/Bの並走に近いものがあり、
実際に上記パートでは、カッコの部分が並走の役割を果たす。一方で、『二人模様』とは異なり、3行目では、主文「博物館へ」に追いつく形で「手作りのチケットで」が挿入される面白さがある。
9曲通しで聴くと、バラバラに見えるピースが少しづつ重なってモザイクとして「しぐれうい」を形作っていることがわかるのだ。振り返ると、VTuberとしての側面を歌った『ハッピーヒプノシズム』から『fiction』は始まった。なら、『勝手に生きましょ』はイラストレーターとしての「しぐれうい」が歌われる。背景を描き、データを重ね、一休みしながら世界を作っていく彼女の姿。『ひっひっふー』で描かれた、納期に追い込まれた状況から脱し、肩の荷が降りる直前の開放感の美しさで締めくくっているといえよう。『勝手に生きましょ』はまさしく2ndアルバム『fiction』のクライマックスを飾るマスターピースであった。
『勝手に生きましょ』と連続でInstrumental版を聴くと、ライブが終わる悲しさカタルシスで思わず涙が出てくるものがある。高揚、そして優しさに魂が浄化されるのだ。
最後に
音楽アルバムのレビューはあまりやったことがなく、かなり時間を掛けて聴き込みながら本記事を書いた。残念ながら、仕事の関係でライブ『masterpiece』はリアル参加ができなくて涙しているのだが、有料オンライン配信があるらしいのでそっちで観ようかと思っている。
なお、『masterpiece』はパシフィコ横浜の大舞台で開催されるのだが、しぐれういさんのガチファンであっても抽選に落ちてしまうほどの激戦区だったらしい。配信で相当な経費がかかっていることを語っていたので、大入りとなったことを嬉しく感じている。
YouTubeのチャンネル登録者も2024/9/15の時点で198万人と、200万人の大台が見えている。つよつよクリエーターである。