そうだ 京都、行こう。
京都ヒストリカ国際映画祭にキリル・セレブレンニコフ監督最新作『チャイコフスキーの妻』が来ると知った時、私はこう思った。
「そうだ 京都、行こう。」
2022/11/5(土)〜2022/11/6(日)にかけて京都に行ってきた。映画を観るだけに京都に行くのはもったいない。折角、世界遺産検定1級を取ったのだから、京都の遺産を見て回りたいと思った私は、東寺、西本願寺、そして龍安寺に行ってきた。
今回はそのレポートとなる。
1.教王護国寺(東寺)
1年半ぶりの新幹線旅だったので、朝からバタバタであった。東京駅につくも、特急券だけでは新幹線に乗れないことが発覚し、出発10分前に乗車券を買うミッションが発生。券売機で買おうとするも、似たようなボタンが多く困る事態に。駅員さんに手伝ってもらいなんとか間に合った。いきなり出鼻をくじかれ幸先が悪い。
京都駅に着き、東寺へ向かう。東京とは異なり、道が広々としている。大きな通りを歩いていたら、ドンっ!と重々しい佇まいでそれはあった。教王護国寺である。通称「東寺」と呼ばれるこれは796年、平安時代に建立されたものである。
境内に入ると、様々な建造物がある。まずは、観智院に行ってみることにした。
■道を間違える
「観智院へはこちら」と書かれた看板に従い、閑静な境内を歩く。近くに学校があるらしく、バスケットシューズが体育館に擦れる音と境内の石が響く音が心地よい音色を紡ぎ出す。
このようなASMRの世界に浸っていると、人々がゾロゾロ左折を始める。みんな観智院へ向かっているのだろうか?私もついていくことにした。
ざんねん!
そこには観智院はなかった。学校に漂着してしまったのだ。洛南高等学校・附属中学校は東寺境内の中にある学校。さっき聞こえてきたバスケットシューズの音の正体はこの学校からのものであったのだ。気を取り直して観智院へ向かう。
■観智院
真言宗の勧学院である観智院は1359年頃、杲宝によって創建された場所である。
院内は庭の部分だけ撮影可能である。ししおどしから滴る水の音、豊かな空間、龍安寺の枯山水に匹敵する、波を意識した小石の庭は癒しである。良い環境で勉強すると捗るものだが、そんな環境づくりの片鱗に触れることができる。また、勧学院は部屋を箱として閉ざすことを避けるような作りをしており、ひとつの部屋から幾つもの廊下や小部屋が覗けるような空間造形となっており、こういった場所で映画を撮りたいなと思わずにはいられない。
YouTubeやGoogleMaps等のバーチャルな空間で世界中を回れるから、旅行は廃れるのではないかと思ったが、やはり目の前に擬似的に現出させた「本物らしさ」と実際に行ってみて接する「本物」とでは感動が異なる。日本の世界遺産に興味がないとよく言う私も、実際に行ってみると「素敵な場所だ」と思わずにはいられない。家では得られぬインスピレーションがここに眠っているのだ。
■宝物館
東寺にまつわる資料が集められた宝物館に行ってみた。ここは撮影禁止の場所であるが、階段の配置や部屋と部屋とのフレームを意識した空間造形となっていているだけで高揚感が得られる場所である。
資料を見ていくと、律令制の崩壊や蒙古襲来、応仁の乱などといった様々な激動の時代を迎えつつ、何度も再生してきたことが分かる。未だに、町の雰囲気が完全に入れ替わることなく現存しているところは世界遺産に登録されるのも納得である。
奥には両界曼荼羅図を背に6メートルもの高さを誇る千住観音菩薩が鎮座しており、翳りと光のコントラストがラスボス感溢れるオーラを放っている。
■五重塔
東寺といえば五重塔である。826年、弘法大師によって創建がはじまった五重塔だが、雷火などにより4度焼失している。現在残っているのは、1644年に徳川家光によって再建されたもので、日本の古塔の中で最大の高さ55メートルを誇るものとなっている。七重塔は、よく海老名のTOHOシネマズに行く途中で見かけるが、ある種の陰影礼賛といえよう、翳りに光が差し込むことでその存在感が露わになるこの繊細な質感を観ると違った印象を受ける。すぐに素顔を見せない、光と影によりゆっくりと素顔を表し、観る者に凝視を促す。そんな技巧が東寺の五重塔に秘められているのだと考えられる。
2.怪しげな雑貨屋
東寺を出ると何やら怪しい雑貨屋を見つけた。駐車場には朽ち果てたリラックマのぬいぐるみがあり、禍々しいオーラが漂っている。入ってみることにした。恐る恐る扉を開けると、足の踏み場もないようなVHS、レコード、いにしえの何かがひしめきあう空間が広がっていた。奥からお爺さんが現れて、話しかけてきた。
「どこからきたんだい?」
「仕事は何をしているんだい?」
エンジニアですと答えると、検索の順位を上げる方法を知っていないか?と訊いてきた。最初はなんのことかと思っていたのだが、どうやらこの店にはWebサイトがあるらしく、Google検索で上位に表示されるようにしたいとのこと。魔界に来たと思ったらいきなりSEO対策の話をするとは!狼狽した私は、店を後にした。
3.ランチ:葱や平吉 高瀬川店
昼は、京都に住んでいる有識者(フォロワー)と会うことにした。昼はとろろ飯が美味しい葱や平吉に行った。11時半から並び始めるも、2時間待つことに。とはいえ、有識者との話は尽きることなく、映画や読書、仕事や京都観光の話であっという間に時間は過ぎ去った。また、高瀬川を背に談笑する光景は実に詩的であった。
ここは「とろろ飯」が美味しいとのことだったので、豚角煮とろろ飯にした。卵ととろろに絡めて食べる豚角煮は、口の中でとろけて最高であった。ビールも進む。2時間待っただけのことあった。
4.西本願寺
大坂(大阪の当時の表記)、にある浄土真宗本願寺派の本山が京都に移設された西本願寺には唐門という豪華絢爛な門が存在する。アジア諸国や琉球王国の文化などが混ざり合ったような印象を受ける。明らかにシーサーを思わせる造形があったり、東南アジアの木彫りを彷彿とさせるおじさんの表情が垣間見れたりする体。水のうねりを、複雑な切れ込みで表現する手腕に圧倒された。
境内には、建物の重みを支える天の邪鬼がいる。何百年も建物を支える姿は縁の下の力持ちどころではない。もはや拷問である。渋い顔をしている天の邪鬼たちに哀れみの眼差しを私は向けた。
5.夜呑み:益や酒店
京都文化博物館で『チャイコフスキーの妻』を観た。チャイコフスキーもその妻アントニーナ・ミリューコヴァのことも調べずに観たのだが、これが予想通り面白かった。
後に調べると、一般的にアントニーナ・ミリューコヴァは悪妻として有名なようだ。それを踏まえると、本作はアントニーナ・ミリューコヴァが悪妻にならざる得ない社会像を掘り下げる内容となっていた。男性社会で、女性は奥の存在として追いやられてしまう世界。アントニーナ・ミリューコヴァは貧しく、どうも毒親家庭育ちらしい。そんな家から飛び出すにはどうしたらいいのだろうか?
当時のロシアでは、女性が社会的地位を得ることは困難だった。ではどうするか?著名人の妻になるのである。「チャイコフスキーの妻」というラベルを身につけることでアイデンティティを確立しようとしていたのではとキリル・セレブレンニコフ監督は考察しており、その論を肉付けするギミックの鋭さに圧倒された。日本公開してほしい作品である。
↑詳細の映画評はブログに書いた。
映画に満足した私は、仲間と呑みに繰り出す。有識者から教えていただいた益や酒店は日本酒が有名な店、西日本の日本酒を中心に楽しめる店。仲間とひたすら映画の話をして、余韻に浸ったのであった。
6.龍安寺
翌日、ずっと行きたかった龍安寺を目指すことになる。世界遺産検定の勉強をしていて三大行ってみたい日本の世界遺産に端島、韮山反射炉、そして龍安寺があった。枯山水の石で表現する波感を味わいたかったのだ。
まずは、立命館大学を目指す。そこから1kmぐらい山を登ったところに龍安寺がある。
■石庭(枯山水)
龍安寺は、1450年に細川勝元が禅寺として開山した場所。一度、応仁の乱で焼失するも、自らの手で再建した。
枯山水で知られる石庭は朝から大賑わい。フランス人や韓国人観光客がたくさん訪れていた。
長方形のキャンバスの中に、4、5ヶ所点在する岩。この豊穣な空間配置は、情報密度に追われる現代社会が忘れてしまったものを教えてくれるものがある。ぽつんと配置される岩を取り囲むように苔が生い茂り、その側を小石の波紋が取り囲む。観智院のししおどしが描き出したあの波紋を個体で表現する。その様に思わず興奮する。
庭を回ると、苔に覆われた場所を見つけた。ただの苔が生い茂っている場所だが、都心では見かけないような色彩に心現れる。
特別公開されている龍雲図。墨で描かれた躍動感ある龍。光が照らされている中、墨の翳りがダイナミックな動きを魅せる。逆陰影礼賛的情景といえよう。
■池泉回遊式庭園
石庭の外は池泉回遊式庭園となっていて、池をぐるっと回りながら散策することができる。ゴダール映画みたいなショットが撮れて映画好きとして気持ちが高まらないわけがない。
この日は石庭を除けば、あまり人がいなかった。そのため、ゆっくり散策することができた。龍安寺では草木の音と鳥の囀りしか聞こえない。それも遠くでざわめくような音が流れている。都会だと、車や人のノイズにさらされる。そのノイズをかき消すようにiPhoneから音楽を脳髄に送り込む状況である。龍安寺のノイズに身を投げ入れることで、都会の喧騒から心身を解放することができる。私の心は肉体と共に癒えた。
7.最後に
1泊2日の短い旅行であったが楽しかった。
帰りは抹茶ハイボールと共に博多やまや辛子明太子弁当を食べた。お酒を入れてしまったせいか、この後、東京フィルメックスで観たインドネシア映画『ナナ』は退屈な作品だったこともあり割と爆睡してしまった。これは申し訳なかった。