#映画検定対策 ジャック・ドゥミと左岸派
こんばんは、チェ・ブンブンです。
映画検定の概要を読むと、2級ではヌーヴェル・ヴァーグ周辺のフランス映画に関して問われそうな気がしました。先日、妹から「ジャック・ドゥミについて書いてないの?」と言われたのでここでジャック・ドゥミの側面からまとめていこうと思います。
BIOGRAPHIE:ジャック・ドゥミ
1931年、ジャック・ドゥミはガレージの管理人である父と、美容師である母との間に生まれました。物心ついた頃から、物語ることに興味を示しており、4歳にして人形劇のプロットを考案していました。(このことは妻であるアニエス・ヴァルダによる『ジャック・ドゥミの少年期 (1991)』でも語られています。)
13歳の時には、9.5mmフィルムのパテベビーにハマり、映画を意識するようになりました。そして、アニメ映画を制作したり、ロベール・ブレッソンの『ブローニュ森の貴婦人たち』の製作に携わったりして下積み時代を送ります。
そんな中、彼の右腕美術担当となるベルナール・エヴァンと出会います。ジャック・ドゥミの映画監督への道は明るく、この時代に彼に惹かれた芸術家がこぞって彼を支援します。例えば、彼がナントに滞在中、『花咲ける騎士道(1952)』で有名なクリスチャン=ジャックが、彼をヴォージラールの映画と写真の学校に入学させようとしてきます。また、アニメーターであるポール・グリモーのアシスタントとして、『Le bel indifférent(1957)』に携わります。Festival de Toursで本作を発表するのですが、そこで人生の伴侶であるアニエス・ヴァルダと出会います。彼女は、『ラ・ポワント・クールト(1955)』でデビューした新鋭監督でした。
長い下積み時代を経て、遂に彼は長編デビュー作『ローラ(1960)』を発表します。本作ではまだ映画音楽家としては無名であったミシェル・ルグランが音楽を手がけ、魔性の女により翻弄されていく男を描いた作品であるにも関わらず軽妙な旋律が映画を魅力的なものへと引き立て、後に彼の右腕としてだけではなく、 ジャン=リュック・ゴダール、ルイ・マルといったヌーヴェル・ヴァーグ映画や007シリーズの番外編である『ネバーセイ・ネバーアゲイン(1983)』の作曲を手がけるようになります。
ジャック・ドゥミは、コロンブスの卵のようなミュージカル映画によって輝きます。1964年に『シェルブールの雨傘(1964)』を発表した彼はカンヌ国際映画祭にて最高賞にあたるパルム・ドールを受賞します。
本作は全編歌で進行するミュージカルということで話題となりました。もともとミュージカル映画はオペレッタから派生したジャンルでした。歌で物語が進行し、重厚な内容となっているオペラに対して、対話によるメリハリ、喜劇的で、時には踊りも挿入されるライトなオペレッタという舞台ジャンルがありました。ハリウッドミュージカル映画史は、オペレッタの構成で映画が量産されていったのですが、『シェルブールの雨傘』ではハリウッドミュージカル的な豪華絢爛とした美術を踏襲しつつも、音楽のみで物語り、内容も戦争によって引き裂かれていく男女の切なさを描いたハードな内容となっている。つまり、ミュージカル映画史の原点の原点にある《オペラ》に回帰してみせたのです。監督はオペラ的ミュージカルの語り方を経た上で、ハリウッドミュージカル映画ないし、『錨を上げて(1945)』、『踊る大紐育(1949)』等のジーン・ケリー黄金時代に愛を捧げた『ロシュフォールの恋人たち (1966)』を手がけます。色彩豊かで、喜劇より、さらには観る者をワクワクさせる踊りと歌で構成される本作は、ハリウッドミュージカル映画とは何かを突き詰めた作品と言うことができます。
ここで、決定的に美術の型を作家性に落とし込んだ、ジャック・ドゥミは色彩豊かな寓話を手がけるようになります。中には、中年男が妊娠したこと巻き起こる騒動を描いた『モン・パリ(1973)』や池田理代子による同名の漫画の実写化である『ヴェルサイユのばら(1978)』を手がけます。
そして1990年にAIDSによる合併症で亡くなりました。59歳でした。
左岸派
1951年に創刊された映画雑誌カイエ・デュ・シネマの批評家たちが、スタジオから離れてドキュメンタリータッチ且つ映画という概念を脱構築していくような運動ヌーヴェル・ヴァーグ。当時のフランス映画界を二分にラベリングする為、便宜的に左岸派というグループ分けがされます。これはセーヌ川を起点にカイエ・デュ・シネマが右岸に事務所を構えていたことに由来します。
カイエ派(右岸派)は、ロケ撮影の可能性の拡充、ギャング映画等の通俗ジャンル映画だと思われていた存在の再評価などを行い、実験的作風で強烈な存在感を放っていたのに対し、左岸派は無理にカテゴライズされた感が強くカテゴリの色が見え辛いのですが、それでもカイエ派とはスタイルに違いがあります。
カイエ派はセットという虚構を否定する表現として、ドキュメンタリータッチを採用している。そこから虚なる物語を紡ぎだそうとしていた。
それに対して左岸派は、より一層虚構の強さに身を捧げているように見えます。アラン・レネはゴッホやゴーギャンといった画家のドキュメンタリーからキャリアをスタートさせ、後に記憶の曖昧さを具現化した『二十四時間の情事 (1959)』、『去年マリエンバートで(1961)』や、ミュージカル映画『恋するシャンソン(1997)』、『巴里の恋愛協奏曲(2003)』を撮っている。
アニエス・ヴァルダは『幸福(1965)』で朽ちゆくひまわりと家族の凋落を退避させたり、『カンフー・マスター! (1987)』では『スパルタンX』のモノマネから始まるショタコン映画となっていたり映画的表現の追求が行われている。一方で『落穂拾い(2000)』のような旅を通じて現実を捉えるドキュメンタリーを撮っている。
ジャック・ドゥミはカイエ派とは異なり、セット中心に映画を作る。ハリウッド映画をローカライズした作品を提示することでカイエの対岸を象徴しているように見えます。
ただ、結局のところ、左岸派とはカイエ派以外というカテゴリに過ぎないなというのが所見である。
参考資料
・現代映画用語事典(2012,キネマ旬報社)
・死ぬまでに観たい映画1001本(2011,スティーヴン・ジェイ・シュナイダー)
・Agnès Varda: ‘I am still alive, I am still curious. I am not a piece of rotting flesh’(The Guardian)
・JACQUES DEMY BIOGRAPHIE(Allocine)