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高円寺

もし地球が無くなってしまうとして、代わりの惑星への移住を提示されたとしても私はきっと、最後までそれを断り続けると思う。そこまでして生きていたくない、という思いもあれば、私が心から愛している何かをたったひとつでも置いていくことになるくらいなら、滅亡と同じタイミングで寿命を迎えてしまう方がマシな気がするから、私はそうする。まぁ、死んでしまった暁にはそれさえも分からないのだろうけど。

駅前のロータリーに植えてある花はどれも枯れていて、旬の時期だというのに皆下を向いていた。傍らではテイラーのアコギを持った若者が喉を潰しながら歌い、その聴衆はというと、石畳につまみを拡げて一杯やっている。路上喫煙が禁じられているはずの杉並区も、その面影は一切無かった。始めこそ遠慮していた私も、遂に根負けすると懐からガラムを取り出して何となく吸い続ける。こうして街の顔になるであろう駅前が絵に描いたような荒廃を極めていて、開幕三秒で他人が吐いたガムを踏んだ。おろしたてのコンバースのアウトソールを確認すると、凹凸の中にびっちりとガムが挟まっている。比較的綺麗な車止めポールにもたれ掛かりながら、やっとの思いでガムをこそげとった。反射的に貰ってしまった飲食店のポイントカードが、少しだけ堅くて助かった。薄紫色の残骸を脇に追いやっていると、私まで悪いことをしたような気持ちになる。煙草の吸殻くらいなら拾うことは容易いのに、よりによって噛み跡がびっちり着いたガムにおいては、隠すという手段を講ずるしかない。今どきグレープのキシリトールガムを噛む人なんて珍しい、と思いながら、草陰までそれを見送った。
ガムが取れたはいいものの、駅舎から離れる毎に不法に投棄されたものがあちこちに四散していることを、いちいち足の裏が教えてくれる。酩酊する人間のおこぼれを貰うために、鳩が人の周りをよちよち歩いていた。深夜に人が眠らない地域に住む鳥は決まって、塒に戻って眠らない。本来ならば周辺の木立に潜って休むものが、空が白んできてもなお上空を飛び回っている。この街は時間感覚が狂っていて、下手すれば昼間より夜の方が明るいように思えた。

永發を出たのも、何時くらいのことだったか、あんまり覚えていない。同席していた人の名前も少し記憶から遠い。私は酒が飲めないから、ボトルキープされたキンミヤを傾けるだけの仕事をして、割り材の緑茶を空になるまでくすね続けた。かなり赤裸々な話をしてしまったのも確実に場酔い故のもので、大衆居酒屋で粛々と飲んでいたらこんな事にはならない。改めて、田舎暮らしの苦しさを感じて、卓上で冷めきった魯肉飯と一緒に息苦しさを咀嚼した。きっと今しがた地元に戻っても駅前は静かなのだろう。

県境の川を列車が横断している。夜更けの在来線はあっさりと座れた。車体の僅かな足踏みから、レールの隙間が手に取るように分かる。窓の外は暗く、川面に写る光さえ見当たらない。乗降を必要とする人も居なければ、列車は扉も開かずに走り出す。東京の路線のように座っていればどこかへ連れて行ってくれるなんてことはない。このまま乗りつけていると、やがて列車は山の方へと歩みを進めてしまう。終電に飛び乗っても、川を泳いでも、この街からは出られないのだ。

最寄り駅に降り立つと、想像していた通りに静かだった。建物が折り重なることもなく、山の稜線が僅かながら光を発している。ロータリーのことを「ロタ」と呼ぶということを、地元の人間が教えてくれた。その背後で薬物に手を染めた中年が永遠に警官の前でウダウダとしていたのを思い出して、彼が去り際に食べていたカップヌードルと同じものをコンビニで買うことにする。

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