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バラ色の日々

年末最後の大掃除の最中、職場の壁に落書きを発見した。そこには数人の名前らしい文字が彫り込まれており、そっと触れる指先で僅かな凹凸を感じる。キラキラネームなど知りもしない、至って有り触れた名前の数々。中でも一際深々と刻まれたものがふたつ、綺麗に整列していた。思えば、男女の列びにひたすら高揚を憶えたのは中学時代が最後だったような気がする。
夏から続いた校舎の改装が12月をもって幕を閉じた。滑りの悪い木枠はアルミサッシに役を譲り、黄変したザラザラの壁面はつるりとした白壁で覆われ、まさに新品同様に生まれ変わった。教室棟に隣接する管理棟はその調べから逃れ、壁に刻まれた落書きも同様に息をしている。原爆ドームや、戦時中の遺構のように、年を重ねていけば自然の均しでなくなってしまうようなものが今も残り続けているのを目の当たりにすると「奇跡」に似たものを感じる。誰かの落書きをそこに列べるなんて大袈裟すぎるかもしれないけれど、あらゆる形で残された生命の " 息継ぎ " にはきっと大も小もないはずだ。

昔付き合っていた人に手向けるメッセージとして、たったひとつの記事を貼る。表題は、MOROHA活動休止。一緒に過ごした時間の中で幾度となく聴いた、バラ色の日々。たった数曲しか知らないから、つい日和見になってライブへは訪れないままだった。訪れたいと考えたことはあるけれど、私にとってのMOROHAは広く煌びやかな箱で聴くものではなく、狭く暗い部屋の中で聴くものだったからこそ、解散前に行っておけばよかったなどと月並みなことは言わない。
待てど暮らせど既読にはならないトーク欄を限界まで辿りながら、イヤホンを通して音を拾う。そう時間も経たずしてこと切れると、今度はバックアップしたデータの方を読み返した。幸せな部分と、寂しい部分ではっきりと塗り分けされたトーク履歴。生活の上にあの頃に戻れたら、なんてことを思う日があって、未だに夢に見る日がある。

活休宣言当日にリリース。これも粋なのか。

帰る宛てのない文を綴る時、戻れない日々があることを知る。「綺麗な部分だけが残るからね」という彼女の台詞は何処かMOROHAのリリックを彷彿とさせるものがあった。私が話すありのままも相手にとっては綺麗事なのかと思うだけでもう一度、そこに戻れない日々があることを知る。
ツアー最終日の活動休止宣言は、解散宣言そのものだった。YouTubeに誰やらが挙げた動画にて、アフロがそう言っていた。彼女はそれを知っているんだろうか。リンクを貼り付けてから長い時間が経って、日付を超えても尚既読にならないまま、英字の羅列がネットの海を浮遊する。私が伝えなくとも、何処かで彼女は知るはずだ。その時彼女は何を思うのだろうか。
思うばかりで、この先に続きはない。創作と偽って小説に昇華することも、アラサー手前で終わりへと向かう。たった今彼女は何を思うのだろうか。

寝ているあなたの背中に書いた
振り返れば恥ずかしすぎる手紙の
続きを誰かが書くんだろうか
そのときあなたは幸せでしょうか ?

MOROHA - バラ色の日々


未だにリフは弾けないまま。一瞬の思い出が永劫の希望だった。想う相手であって、憧れだった。




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