見出し画像

ビバ・10代。/創作

私の初体験は、高校の4階のトイレを舞台に、大して好きでもない女を相手に捧げられた。大人という言葉と不可分な要素を持った一生に一度しか訪れない大切な瞬間を、狭い狭い個室の中で極めて雑に処理した。
入学後、まだまだ初々しさの残る高1生と、受験で血眼になった高3生に挟まれる形で、高校2年生はいつだって宙ぶらりんだった。何かをしたくともバイト禁制の身であるために金がなく、渇望するもの全てに金がかかるとなると、何かを求めることさえ馬鹿らしく思えた。大学を除いた12年間におよぶモラトリアムのうち、最も自我を持っていて尚且つ最も時間を持て余すのはこの頃だったと思う。期末テストを終えてしまえば勉強することなど意味を持たなくなる。試験のために抱えていた大量のテキストをこの時初めて手放し、量を減らしたカバンに倣って足取りも軽くなりつつある。私もその一員になるはずだった。いや、迷いなくそうしておくべきだった。ふたり残された教室の中で机の列を這うようにしてこちらへ向かってきた彼女が、私の耳元で何やら呟くよりも先に、どこからか飛んできた自衛隊機の轟音が聴覚を拐った。この時私に何を語り掛けたのか、今となっては思い出すことすら難しい。けれどもそれから直ぐに居場所を移したことから考えても、何らかの仕掛けや示し合わせはあったのだろうと考えられる。

開放感に満ち溢れた男子生徒の談笑が遠くなってゆくのを、西校舎の端にあるトイレの中で聞いていた。日頃見慣れているパステルブルーは何処へ行ったのやら、パステルピンクの壁面が目の前に拡がっている。壁の色が違うだけで、どうも胸が騒いでしょうがない。
校舎のすぐ脇にはサイクリングロードがあって、利根川の外縁を這うように作られている。防護柵の外にはソメイヨシノが所狭しと植えられていて、春先に望む景色は圧巻そのものだ。
僅かしか開かない窓の隙間から、青々とした木立が見える。ある蝉が鳴き終えるとまた別の蝉が鳴き始めて、ぬるい風が押しては引いてを繰り返す。人の声がパタリと消えた校舎内に、アルトホルンの低い音がくぐもって響くのを聴きながら、互いの制服のジッパーを下ろし始めた。ベルトのバックルがカチャカチャと音を立てる度に、緊張感と罪悪感が綯い交ぜになる。経験がなくたって、こんな場所ですべきことでは無いということをよく理解していた。アダルトビデオで見た光景を反芻し、紛いものの行為で何かを確かめ合う間中ずっと、窓際の席の女子の顔を思い出していた。
色素の薄い肌に長い睫毛、大きな目。おまけにブラウスの胸元にある緩やかな膨らみと、腰にかけて続くなだらかな稜線。名前を雪ちゃんと言った。名前の通り真雪のような人で、そんな彼女のことが好きだった。結果を確認するまでもないと思うから、闘う気すらも起きなかった。" 触れてしまえば消えてしまう " くらいに思っていた。ただ、他の人よりも少しばかり近くにいることを選んだ。月に一度、席替えの時分になると、視力が悪いので…とできる限り前列を所望する彼女を追って、前の方の席を希望する。彼女に対して愛情を抱く者は他にもいただろうが、位置的な利便性の悪さとを天秤にかければ、それに太刀打ちできなかったのだろう。幸いにも、卒業直前まで競争相手が現れることはなかった。

「体制、変えていい?」という声に反応して、無言のまま体を捌く。いくら押しこくっても寸法の変わらない直方体の空間で身体を動かすことに、いつの間にか慣れていた。ここに愛なんてものはちりほども存在しないし、私たちの間にあるのは思春期特有の正欲だけである。というかそもそも、愛なんてものはよく分からない。理解しないまま時は移ろい、時計がマスをひとつ進める事に、壁に張り付く手形が増えていった。
気が付いたらトイレを飛び出していたし、終始一貫して気持ちよさなどは皆無で、相手の背中に滲んだ黒子の数を確かめる余裕があるくらい、ずっと正気のままだった。


何事も見えすぎない方がいいような気がしている。相手の衣服の中身など、際まで開陳してはならないものだと思うし、衣服を身に付けたままの方がよっぽど興奮した。その " 際 " というのはまさしく相手に対する愛を確認した瞬間であり、それを待たずに服をはだけてしまったら最後、何を追求する気にもならなくなる。

互いにすっきりした後、もう一度互いに触れることもせず、形ばかりの接吻を済ませて戸外へ逸走した。行為中のことはあまり記憶になく、気持ち良さとは明らかにかけ離れていた。背中に滲んだ黒子の数を確かめるほどの余裕があったくらいである。普段から器用な面も一切見えない彼女が外されたゴムをテキパキと縛り上げて、ゴム膜に包まれた液だまりを目の前で揺らして見せる。その手つきはかなり手馴れていて、この手の状況に慣れているようだった。残骸は3周ほど回したペーパーに包み、東校舎のゴミ箱に奥まで手を入れて捨てた。大人にバレてしまうのではないか、そう声を震わせていた私に対して 「大丈夫だよ〜」 と彼女は楽観的だった。口許は最大値にはね上げられながらも、目が笑っていない。その顔から推察するに、初犯では無いらしかった。人の出入りを始めとしたあらゆるタイミングを綿密に計算して迎え入れられたのかもしれない。ゴミ箱の中身を覗いてみると、何処から眺めても死角になるよう、自然に隠されていた。顔を上げると、まだ笑っている。猟奇的殺人を楽しむサイコキラーってこんな感じなんだろうか、そんなことを思った。

ゴミ袋。彼女のことを皆がそう呼んでいたことを、だいぶ後になって知った。そのあだ名というのも、全校生徒数千人レベルのマンモス校内でもそこそこ有名になるほど、年間通して見境なく男を食い漁っていたことに由来する。同級生の多くがほんの僅かな期間で兄弟になり、誰もがその事実に関して口を閉ざした。未だに入り用で同じような作りのトイレに寄る度、かつて体を掠めていた熱波と似たような空気感を覚えては逃げ出したくなる。 あの瞬間からボタンの掛け違いが起こり、それらが数百に連なって最終的には引き返せなくなった。私には普通の恋愛ができない。何をしていても、ジッパータイプのチェックスカートが脳内をくすぐるのだ。もう何も、上手くいっていない。

「肌を重ね合わせなくても愛は紡げる」

そう真っ直ぐに語る雪ちゃんのことが好きだったけれど、そんな彼女は常に財布にコンドームを数個ばかり忍ばせていたこと、そして私が好きでもない女とトイレという場所で初体験を捨てたことを知っていた、という事実を数年越しに飲みの場で友人から聞いた時、あーあ。と思った。ただ漠然と、あーあ。と思うしか無かったのだ。

初体験の相手や状況は、その後の性生活に影響を及ぼすそうである。好きな人間すら定まらないということ。別に、みんな好きなんだけどさ…という薄っぺらな博愛主義は誰も幸せにしてこなかった上に、現に私も幸せになっていない。本当に好きな人と結ばれないから、そんな理由で形が一向に似てこない人物と逢瀬を重ねるのはこの世界で私だけなんじゃないか、ふとそう思うことがある。

初体験を捧げた女がパパ活に手を出し、身体を売ることで日銭を稼いでいる話を人伝いに聞いた。ばっかじゃねぇの、と呟いた直後に今度はそいつにも相手がいると言うことを聞かされる。社会的な身分を変えてもなお、うだつの上がらない生活を続けている私と取っかえ引っ変えであるとしても、一抹の愛を紡いでいるそいつのどちらが正しいのか、部屋の明かりを落として考えていたら、私の方が馬鹿なのではないかと思えてならなかった。

いいなと思ったら応援しよう!