そして私は、おじさんになりました
あれだけ結婚しないと言っていた姉が結婚し、果ては子どもまで授かった。至って健康な、3330グラムの男の子。私と兄は共に叔父となり、父母は祖父と祖母へと名を変える。姉が実家へ帰ってきてから早くも3日が経った。赤子の居る日常が訪れ、日頃活気のない屋内が火を点したように明るくなる。人気の分だけ熱が籠って、冬めく時分に汗をかくほどだ。普段であればジャンクフードやラーメン屋に走る休日が無くなってもまるで苦しくない。家族揃って食卓を囲むのも、ずっと家に居たいと思うのも、本当にいつぶりのことなのだろうか。人肌くらいに温まったミルクをあげて、痺れる手指も気に留めずに寝かし付ける。首も座ってすらいない身体だから、しっかりと抱えていなければと思うと、指先まで優しく力が満ちていく。眠り深くに落ちるまで「どんな色がすき」を繰り返し口ずさんだ。幼稚園の頃、物覚えの悪かった私が唯一振り付けを覚えた曲。身振りはあやふやでも、メロディだけはずっと昔に聞いたような感覚があった。胎教というものもあるくらいだから、もしかすると母親は幼子の私に向かって口ずさんでいたのかもしれない、とふと思う。となれば、たった今私が腕の中の子どもに歌うのは、命と同じくらい重いことなのかもしれない。
じたばたと手足を動かすその先に、作りかけの脳みその傍らで何を思うのだろうか考えた。四肢を均等に動かすことで、未発達な身体を包む温度を保っているのだとか。となるとこの動きこそ、生きるためのもがきと言ったところだろうか。コロナだって、地震だって知る由もない、コンタクトも嵌らぬほどの小さな目が愛らしくて、この辺りで既に目頭が熱くなっていた。
いつかどこかで使うかもしれないと、母から風呂の入れ方を習った。祖母になった母の優しい手付きを眺めていたら、私の育ちを見透かしたような気がして、どっと涙が溢れた。バスタオルに包まれた赤子を姉に預けて、我慢していた分を屋外で放出する。しばらく、涙が止まらなかった。
涙の意味は、よく分からない。悲しみなど以ての外で、感動から来るものかと言われるとそれもまた違うものだった。理由付けのない落涙。今夜このまま、理由は探さないでおこうと思う。
血の繋がった姉と、血の繋がらない旦那から生まれた子なのだから、直接的な血縁はないとしても、何だか赤子の顔は、昔の私に似ている気がした。そしてこの子にはどうか幸せでいて欲しいと願った。心から。
世界では一日に30万人の人間が生まれ、16万人の人間が亡くなっているという。生まれたものを思えば、亡くなるものを思う生活がある。仲睦まじい人を増やす度に、どちらが先に亡くなるのか、悲しみの我慢比べをする気分になるから、私に長生きは難しいかもしれない。しかし生まれ出た命を前にして、その思いもごく僅かに歪む。
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