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明日は、いいふうふの日

明日は、いいふうふの日。
私とパートナーは今年の1月1日、なんともおめでたい日に入籍し、晴れてふうふになった。忘れていてもおめでとうと言い合える、なんてナイスな日なのでしょうか。そこら辺がTHEズボラ思考というかなんというか。

ただ、初めて迎えるその日を前に、私はちょっとなんだかニヤニヤしている。ニヤニヤしながら電車に乗ってニヤニヤしながらこの投稿を考えている私は、側から見たら大分、気持ち悪いかもしれない。それはもう否めない。でも明日は紛れもなくいいふうふの日なのだ。
大して何もしないし、普通の日と正直何ら変わらないけれど、
私たちは改めて戸籍上の家族になったことを実感するのだ。


明日を前に、私が今、思うこと。
私はパートナーのことを、主人や旦那さんと呼ぶことに抵抗がある。同じように、奥さんや家内と呼ばれることにもあまり良い気がしない。理由は言葉とその意味ゆえにだ。

例えば彼は私の主では無いし、彼が私に施しを与えてくれている訳でも無い。(旦那とは仏教用語のダーナ=施しを与える人という語源らしい。)
同様に私も、家の内側に居る女性や、家の奥に鎮座している女性ではない。
そんなの言葉遊びだと笑う人もいると思う。

それでも私は常にふうふにおいて、勝手な主従関係を設けたくないし、社会の決めた画一的で性別的な役割をロールプレイしたくないという思いが強くあるのです。

戸籍上は夫と妻だけれど、
それでも私は自分のしたい仕事を選び、
毎日外に出て、1人でも生きれる程度には稼ぎ、
その上で2人で暮らしたいから一緒に居る。
私は私だし、彼は彼で、それ以上でもそれ以下でもない。

世の中にはまだまだ性別に対するフィルター、
当たり前という勝手で無意味な色眼鏡が数多く存在します。
令和の時代においてかなり進歩はしてきたけれど
それでも家事は女がやるもの、力仕事は男がやるもの、
(そしてその大抵は2つの性にしか注目してない)
そんな構図はまだまだ見受けられます。

人気なTV番組や有名なタレントさん、
世の中への影響力が大きい著名人が
性別に対する(恐らく無意識な)蔑視や区別をしていて
びっくりとがっかりすることがあります。

みんなで少しずつそのフィルターを外してさ
性別ではなく、その人自身を見ませんか。
ふうふ間においても、
そろそろ性別で括らない新しい呼び方を作りませんか。
パートナーって良い言葉だと思うの。
伴侶も良いね。

明日は、いいふうふの日。
多様なカタチの全てのふうふに、幸せな1日でありますように。

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