「女にだって、知性も野生もある!」
この世界的な感染症と私たちが膝を突き合わせて数ヶ月。やっと映画館が再開した。私は兼ねてより気になっていた映画、「ストーリー・オブ・マイライフ」を鑑賞することができた。
冒頭は劇中の台詞。南北戦争の最中、19世紀に生きる女性がいかに結婚に縛られていたのかを強く感じる。もちろんそれは彼女たちの所為なんかじゃない。
他にも劇中の台詞をいくつか。
「今の時代にヒロインが結婚しない本など売れないよ」
「結婚しない限り女が1人で稼ぐ手段なんてないのよ」
「女の幸せが結婚だけなんて絶対に間違っている」
「あなたにはあなたの幸せがある。私には私の幸せがある。」
当時、女性に相続権は無く、結婚しない限り財を為せなかった中で、貴族の男性との結婚を選択する女性や、貧困ながら愛する人と結婚することを選んだ女性、仕事に情熱を注ぎ自立して生きる女性、全ての女性の生き方を肯定するラストに涙が止まらなかった。
各国に深く深ーく根付いてきた男尊女卑や、「女は3歩下がって、、、」のような古すぎる価値観に今、大きな風穴が開けられていると感じます。
性別を理由に蔑まれる必要など無いし、性別を理由に諦める必要など無いのだと、この映画が教えてくれた。
それを証明するように、私の友人にはかっこよくて逞しく、自分の足でしっかりと立つ魅力的な子が沢山居る。そしてそれは性別やジェンダーに関係無く。
「私は私であなたはあなた、それ以上でもそれ以下でもなく、私たちを比較する必要など何一つない。」
そんな新しい価値観と、柔軟な思想を持ったクールな人々が増えている今、安易に性別で出来ることを区切る時代に終わりが近づいてるように感じるのだ。これはまさしく希望の光だと思う。
かつて女性に参政権がなかった時代に女性の権利を主張してきた人々や、性別に限らない平等を求め命をかけた人々、沢山の先人たちが身を削って勝ち取ってきた権利がやっと今、実結ぼうとしているのだと思うと、胸が熱くなる。私が今、当たり前に手にしている選挙権さえ、かつての人々の紛れもない努力の結果なのだと。
そして、それは女性だけに限った話ではなかった。性差別、人種差別、ジェンダー差別、体型や障がいに対する差別や、出身地への差別。私たちが歩んできた2020年の間に(もしかしたら紀元前から)、様々な差別と戦ってきた人が数え切れないほど存在した。その大抵は歴史に名を残すこともなく、ただひたすらに涙や血を流しながらも、権利を主張し戦ってきたのだと思う。多くの先人たちが、身を削って築いてきた価値観や構造がやっと今、世界に実現しかかっている。
ストーリーオブマイライフでは、終始世間がこう叫ぶ。
「女性の幸せは好条件の男性を見つけ結婚し子供を産む。」
かつての時代にひとつだった女性の幸せのレールは今、何百何千にも枝分かれし至極自由です。
自分の力で得た権利で歩いたって良い。
結婚しても良いし、しなくたって良い。
思想や選択の主体は常に自分であって、そもそもそこにジェンダーは関係なかったのね。
1868年。
おそらく今よりもっと女性の地位が低かった時代に、若草物語の著者であるルイザ・メイ・オルコットが持っていた女性に対する思想や価値観は驚くほど現代的だと感じる。
今、慣れ親しんだ古い価値観を自分の目で疑い、常に模索することが必要だと思う。
性別を理由に挑戦することを辞めたくない。
「女にだって知性も野望もある!」
もちろんそうだ。
そしてそれは女性だけじゃない、
性別に限ることのない目線を。
全ての生き方に尊重の眼差しを。