宿題
「よし、じゃあ次までの宿題ね。」
私はお父さんと割と仲良しだと思う。
特段大きな反抗期は無かったし、
実家に帰省すれば2人で1~2時間はお喋りする。
昔からお父さんと私は感覚が似ていた。
funnyもinterestingも引っくるめた面白いことが大好きで、
未知の物事への興味関心が強い。
知らない世界を面白がることが得意分野なのだと思う。
(そんな自分が結構好きでもあるしね。)
そんなお父さんと私のお喋りには暗黙のルールがある。
最近仕入れた「面白い話」を相手に共有するということ。
話が終わった後に相手が目を光らせて言う
「へえ〜」や「なるほど!」が1番の報酬だ。
昔からお父さんと
珍しい苗字について話すのが大好きだったから
その延長線上に、このお喋りがあるのだと思う。
そんなわけで普段、
「お!コレおもしろ!お父さんに話そう!」
と思うくらいには鬼仲な親子です。笑
ーーー
この前だっていつものように始まったお喋り。
私は最近仕入れた「ベネチア観光」の話を意気揚々としてたの。
話が終わって「どうだ!?」とばかりにお父さんの顔を見た。
「ベネチアってどこの国だっけ?」なんて会話をするも
なんだかあまり弾まない。
(どうしたのかな、いつもなら被せ気味に
関連する海外の面白話をぶっ込んでくるのになあ…)
なんて思ってたら、
お父さんは少し間を置いてから静かに言ったの。
「やっぱり今は戦争について話すべきじゃない?」
ーーー
お父さんは世界の情勢や歴史や政治に
特別、明るい訳ではない。
だからお説教染みてるんじゃないのはすぐに分かった。
1人の人間として私の意見を聞きたいのだとそう感じた。
「今の状況をどう思う?何かできることはないかな。」
私は言葉が上手くまとまらなかった。
正直に白状すると、
そこまで強い関心を持てていなかった。
しどろもどろな私にお父さんは朗らかにこう言った。
「よし、じゃあ次までの宿題ね。お父さんも考えてみる。」
ーーー
その日から私はなんだか
体がソワソワして心がザワザワして、
使命感と罪悪感に駆り立てられるみたいに
ニュースがもっと気になるようになった。
(遠い国のために何か出来ることをしたい。)
そのためには、まず正しく現状を知る必要があると思った。
原因、歴史、現状、被害、
現地の人は何に困っているのか。
携帯やテレビやラジオと頭を突き合わせて、
見識者の情報を少しずつ繋ぎ合わせていく。
ぼんやりと見えてきた戦争の輪郭は
あまりにも悲惨だった。
ほんの少しだとしても現状を変えたいと
小さな小さなアクションをした。
その行動の大きさに関わらず私は何をしたいのか、
この先どうすべきなのかを考えた。
一時的な同情で突発的に行動して終わりでは
きっと未来には繋がらない。
わたしたちは大きな犠牲をもって
今の時代に起こる戦争の惨劇と、
それが生む結末をこの目に焼き付け、
深く学ばなければいけないのだと強く思った。
ーーー
同時にハッとしたことがある。
遠く離れた国で苦しむ命に支援しながら、
同じ国で苦しむ命に私は何かできているかな。
灯台下暗しで、
遠い距離や目に見える被害だけに
目を凝らしてはいけないのだと衝撃を受けた。
いつも、ひとつ知ると、ひとつ知らないと知る。
無力さに胸が苦しくなることもあるけれど
知らないで生きるよりも、ずっと良いと思った。
ひとつずつ知って、その度に考えて、
選択肢を選び取って、支援して、
声を上げる他ないのだと感じた。
ーーー
お父さんはもう還暦も近い。
けれど知らないことを
素直に「知りたい」と言うことに抵抗がない。
詳しい人であれば年齢に関係なく
積極的に教えを乞おうとする前向きさがある。
私といつも一緒に考えようという姿勢がある。
私も常にそんな姿勢で在れたら、とここ最近強く思う。
「戦争の話」を大人が嫌煙してしまえば、
子どもには近寄り難く難しいタブーな話として刷り込まれ
いつか関心すら無くなってしまう。
悲劇を繰り返さないためには、
それは絶対に避けるべきことだと思う。
知らなかったらいつからだって知ればいい、
そして自分と、そばにいる人と一緒に話すべきだと思った。
直接的で即時的な支援にはならないかもしれない。
それでも次の世代を生きる人々の
戦争について考えるハードルを下げることをするのが上の世代を生きる者のすべきことなのだと感じた。
「やっぱり今は戦争について話すべきじゃない?」
提案してくれたお父さんありがとう。
26歳になっても尚、お父さんに教わったこと。
ーーー
次実家に帰ったら、
私した小さなアクションの話をしようと思う。
いや、それだけじゃだめだ、
私の宿題はまだ終わらないなあ。