な、な、何と。
「分からなければ聞いて」「迷ったら反対を」 響くフレーズ駆使、最終盤の論戦 大阪都構想 産経新聞の見出しから
大阪都構想に、興味も何も無いので、分からない人な私で、何一つ情報を入れていません。
なので、この事に対して、何も語るつもりは有りません。
いつも、このブログをご覧頂き、心より感謝いたします。
真と心です。
【幸せのおすそ分け お助け無料企画】というのをやっています。
動画をご覧になって、ご興味の有る方、コメント欄にご記入ください。
動画でカードリーディングの結果を、お伝えします。
https://www.youtube.com/watch?v=yxWawwBOxUc
「分からなければ聞いて」「迷ったら反対を」に反応しました。
私のここ数ヶ月のブレーキを踏む理由が、
「自分が何をしたいのか分からない」「誰かに聞けば分かるの?」「分からないから動けない」
そんな状態でした。
でも、でもね、そんな目隠し状態でいいから、動きなさいって、メッセージ的に来ていました。
核になるやりたいことはあります。
弥勒様の事や、弥勒様のお話の内容をお伝えしていくこと。
これ、怪しすぎるでしょ(^^;
でも、これをしたいのです。
どうすればいいの?
相当分かる人でも、伝わらない人もいるし、伝わったかどうか分からないけれど流れの違う人もいるし、
はたまた、分かっているのか興味アリアリ何だけど反応鈍い人とか、
まあ、私の鏡なんですけどね。
だから、
「分からないけど動いてみる」
「迷う前に動く」
留まると、心の声を聞いてしまうので、
動けなくなるのです。
タロットの愚者という、冒険に出る若者の絵のカード状態になりなさいって、感じのメッセージがバンバン来てました。
目的地は有るのに、道がないって感じです。
「分からなければ聞いて」
多少行動したがために、しかも自分でも変でしょって思っている訳だから、変なんですよね。
だから伝わっていないでしょう。
場合によっては、対象者も範囲も違うのか、行き当たってないのでしょう。
「迷ったら反対を」
迷いに迷っているから、動けない。ただ、時間だけが過ぎていってました。
迷っているのは、どこの誰にどんな話をしたら、良い反応に繋がり、共に行動する人になってもらえるのか?
なのだから、迷っているのですが、こんなブログでいいから、伝えていく(具体的なことは口頭でしかつたえません)
やってみる、と、思えるようになった矢先だから、
はぁー。って、反応してしまいました。
大阪都構想云々に、全く関わりなくてすみません。
動くと決めたばかりの私の目の前に、しかも、もともと自分で何でもやろうとする意識があるから、人に聞くというか、頼りにするの苦手だったけれど、動きながら頭を整理しようとしていたから、目にした、過去の自分を表すような言葉。
過去と感じられたくらいだから、進めますし、進みます。
ようわからんと言われながらでも、どうにか伝えられるようにしていきます(核心はネットに晒せないので口頭でしかお伝えしません)
まるで、ネットワークビジネスの常套文句でしょ(^^;
「いいから会おう」みたいなね。
ネットの信頼性の問題です。
肝心なことだから会って話したいのではないです。
ネットで分かってもらって反応してもらえたら、こんな楽なことはない。
トイレの神様と誤解されている、明王様からのお言葉をいただいており、
私は「しんりをはなしなさい」と。
釈尊が託した、日月神示が待っている弥勒様の事についてのお話なので、
私と同じで、興味のある人や、しんりや核心に触れるような話に興味の有る方はいると信じています。
私が、弥勒様との繋がりができて、随分経って、
待ち合わせをしていた方がいます。
その待ち合わせの前に、
カードリーディングをしていたのが長引いて、
待ち合わせをしている人が、遠目から私の様子を見られていました。
カードリーディングを終えて、
待ち合わせをしていた方とお会いした時に、
「真と心さんの顔が弥勒様に見えました。」
とのこと。
私は、顔つきの事を言われているのかと思って話していたら、
弥勒様が降りてこられていると。
私には実感値が有りませんし、
分からないのです。
ただ、見える人なので、見えるのでしょう。
私が喋っているのは、私の頭に浮かんだことですが、
私の頭と口を通して、弥勒様がお伝えになっておられるという感じのお話です。
私には、恐れ多くて、頭の中にイメージしたことを喋っているだけなのですが、
私に分かる必要なく、必要な時に降りられている事もあるのでしょう。
だから、私の言葉が弥勒様の言葉ですって、私は言うつもりなど、全く有りません。
そのようなタイミングで、それを感じる事の出来る方がおられたら、そうなのでしょう。
ただし、その方の感覚は、私もとても、認めている、尊敬できる方です。
仮に、降りてこられて、私を通してお話があったとしても、私にわからないのですから、
私がどうのこうのではなくて、私が知っていることを伝えていきます。
私がよく書いている師匠には、神憑きと言われています。
それを師匠でもなく、天ぷら屋時代に、全く別のタイミングで、お客様に神様が降りてこられたことが有ります。
お客様が突然、何か頭の中に、言葉が聞こえてきて、こんな事を話してくれと、というような事を、男性のお客様が話されたのが1つ。
全く別の日に、違うお客様が、同じような事を。こちらは、女性。
私は、恥ずかしながら、そうやって教えて貰える人が来ます。
疑う余地がないのです。
そんな人間なのですが、本気でやるのかって、試されていたようなこの数ヶ月で、
やると決断したのかと、こんな風に見せられ、「やる」と決めたことを意識させられます。
街でさまよい歩く私を見たら、私のように、分かる人を探していると思ってください。