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繊細すぎる私の話①

ちょっとのことですぐ凹んでしまう。自分が関わったことで、悪いことが起きたんじゃないか。相手に今これを言ったら嫌われるんじゃないか。
そう思うようになってから、自分らしさを見失ってしまった気がします。

今日は少しだけ、自分の話をさせてください。私が、HSPとわかるまでの話を書いていきたいと思います。

両親によると私は昔から繊細だったそうです。全然眠らず少し目を離すと大泣きし、両親は眠る時間がなかったと口を揃えて言いいます。それを自覚し始めたのは3歳の頃です。電車を待ってる時、父がお手洗いに行こうとした時、私は必死で止めに行きました。電車がもうきちゃうから行っちゃダメ。そう言って泣き続けていました。それ以来夢で、電車を見ると泣いてしまうのが今でも続いています。

皆さんは祖母の家に帰省して、帰る時に泣いた事はありますか?私はしょっちゅう泣きます。タクシーの中で、大泣きして、電車の中でも大泣きして、周りから見られて、泣くなど本当にずっと泣いていました。今はそんな事は、なくなったけど中学生までずっとこれが祖母の家に帰省するたびに、起きていました。

泣き虫というより、私が泣いていたのは、
”どこかに行ってしまったら、もう会えない気がする”そう感じていたからだと思いました。ちょっとのことで、すぐに辛くなるのに、誰にも相談せず1人で抱え込んで病んでいく。そのことになったのは私が中学2年生の時です。

“病む”ということ、を全く知らないまま中学生になり、中学2年生になった時、私にはじめての彼氏ができました。その人は、とても優しかったのです。ですが、あまり感情を、表に出さなかったので何を考えているのかわからなくなりました。”自分が言いたいことを言ったら、悪口を言われるのでは”、そんなネガティブなことばかりを考えていたら体に色々支障が出始めました。起立性低血圧。急に立ち上がると、血圧が一気に30代に落ち目眩におかされます。ひどい時は倒れいる時もあります。当時私はネガティブになりすぎていたので最高血圧が50の時がザラにありました。自分の言いたいことを言わずにひたらすら我慢した結果だと思います。それ以来、人と話すと自分より相手の気持ちを優先してしまうようになり、自分の言いたいことを抱え込むようになりました。もちろんその彼とは、別れました。

ですが私は今でもこの症状に苦しんでいます。血圧は上がったものの、気づいたら倒れてる時が多いです。人と話すのも相手のことを第一に考えてしまうので、自分の言いたいことを伝えられないことが多く、人も信用も出来なくなりました。頼むと悪口が返ってきそう、なんでうちらなの?など、怖くて全部1人で抱え込んでしまいます。辛いのは自分だけでいい、他の人が苦しまなければいい。そう思うようになりました。自分の気持ちを思いっきり表せられる友人、恩師に出会わなかったら私は今ここにはいないと思います。

正直今も辛いけど、少しずつ乗り越えられていければいいと思います。

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