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3-4 女主人、下僕の首輪を撫でまわす ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~
ディミトリはさっきはじめて二人乗りで馬に乗った時も、マーヤの腹を片手でしっかり抱くように支えざるを得ず、狼狽えたが、こんどは通りがかる人のいない場所ではマーヤは時々後ろにそっと寄りかかって自分の首とディミトリの首が絡まるように身体を預けて来るので、ひたすらどぎまぎしていた。
(ですから、ダメですよ、マーヤ様!ひとけがないったっていつ誰かが見ているかもしれねぇ!俺なんかにイチャイチャしているのが見られたら!変な噂が立って御身のご評判に傷がつくってばよ!)
ディミトリは腹の中ではマーヤをたしなめようと何度も思うのだが、それでいて、マーヤが甘い表情で寄りかかってくるのが嬉しくて嬉しくてその一言がいえなかった。
「マーヤ様。さっきの商談室の話ですが。いやその、もともとマーヤ様が俺にそんな...そもそも口説こうなんて、まさか俺にひとかけらでも望みがあるなんて、そんな大それた事は想像もしてませんでしたが...ただね。マトモな男ならあそこで女性を口説くわけありませんや。だからマーヤ様がさっき俺に振られたなんて仰ったがそれは大誤解も良いところです」
「なんでですの?」
「解るでしょう!直前にヨサックから!多淫だの、残虐だの、ぞっとするようないやらしい男だの、あんだけ言われて!あのタイミングで女性を口説けるはずがありますか!しかもヨサックを虐めてるおぞましい姿まで晒した直後ですよ?」
「ま!...ん...言われてみれば...そういう解釈もあり得るかしら...ディミトリさんは本当に紳士だからねぇ...」
「いやいやいやいや」
「そうだわ、ねぇディミトリさん…わたくし、今日もうひとつディミトリさんに伝えたい事があったんですの。誰も聞いている人も居ないしついでだから今言うわ」
「はい」
「こないだもさきほどもご自分から ”多淫で残虐なゾーヤ人” なんで仰ってたけど、あれ、まさか本気で仰ってる訳じゃあないでしょうね?」
「はっ?」
「だってディミトリさんはこどもの頃はゾーヤに住んでいらした訳でしょう?同じ人間ですもの、ゾーヤの人々はちゃんとした人達だったでしょう?」
「えっ…まぁ子供の頃見たゾーヤ人はたしかにランスの人とたいして変わらない気はしますし…俺は少年兵に徴兵されてすぐランスの兵士に捕まったんでゾーヤの兵士の内情なんてほぼ知らねえけれども…しかし、ランスの人々があれだけ噂するんだから、すくなくともゾーヤの兵士は残虐な奴らばかりなんでしょう?」
「ああ…もう!馬鹿な事信じないで下さいな。真っ赤なデマに決まってるじゃない。戦争があるとそりゃあ殺し合いですから、後になって互いに必ず相手の国ことを多淫だとか残虐だとか尾ひれを付けて言い合うものですわ」
ディミトリは一瞬黙って迷うような目をしたが、ディミトリに振り向くようにして目を合わせてくるマーヤを避けるように上を見ながらぼそっと呟いた。
「しかし。正直なところ…言いたかないが…多淫で残虐と言われれば…自分の心の中にはそういうところが人よりある、のかも、知れねえ…」
「まぁ!ほほほ。正直というか、そんな逞しいお姿をなさってるくせにずいぶんお可愛いこと!12か13のこどもみたいな事で悩むのねぇ!それはゾーヤ人のせいではなくて、ただ人間というのは、誰しも、腹の中ではときおりぞっとするような事を考えるものだ、ってことよ」
「な…!?」
自分の決死の告白が一瞬で片付けられてしまって、ディミトリは言葉を無くした。
「私だってそう。亡命したときは、親族郎党を処刑に追い込んだ奴らをどんな残虐な方法で切り刻んでやろうかって考えましたわ...あ...気持ち悪い事を申して...ごめんなさいね...」
「い、いや。当然のことでさあ...俺はそんなこと気持ち悪いなんて思いません!…心中、お察しいたします」
ディミトリはマーヤを馬上から落ちないように支えている腕にぐっと力を入れて、なんとか気持ちを伝えようとした。
「ディミトリさんが、腹の中で時たま何を考えようが、現実の行動として、立場の弱い人にもいつも決して意地悪しないし、どんな身分の低い女性たちにもあれだけ親切で礼儀正しいんだから、貴方は良い方。…こないだだって、怒ったディミトリ様は一見恐ろしいように見えましたけど、ディミトリさんはヨサックさんをたった一回も殴りもしなかったじゃない。本当に、本当に、お見事でしたわ...。」
ディミトリは言葉を失って、馬上で二人乗りで、いかつい敗戦奴隷の自分の腕の中で平気で笑っている童顔のこどもっぽい見た目の女の、流れる髪を見つめた。
(この人は、俺よりもずっと年若い貴婦人なのに、どうも時々まるで大年増の婆さんか、そうでなかったらいっそ...命知らずのチンピラみたいな、大胆な事を仰る...)
「ディミトリさんが本当に残虐な方なら、ああやって自分を抑えることなど出来るわけがない。貴方はとことん優しい人。何年もあなたを見ていたわたくしが保証します」
(前から思うが...マーヤ様の口ぶりは誰かに似てる...そうだ...ザレンの爺様と少し似ているんだ...)
マーヤは続けた。
「あのときディミトリ様が捻り潰したのは、じゃがいもひとつだけ。でしょう?…昔からゾーヤ国といえば、土地は貧しいけれど、とても勇敢で信義に厚い兵士を産するので有名な国ですわ。それは恥じることではなく、誇りになさるべき事よ」
そう言ってマーヤは白いやわらかな片腕をディミトリの腕に伸ばしディミトリの錆びた黒鉄の首輪といかつい首をそっと繰り返し撫でた。
「この錆のにおいのする鉄の首輪は、ディミトリ様にゾーヤ国の男の熱い血が流れている証明みたいなものであり、理不尽な境遇の中で10年間ランスで生き残ったあかしよ。ディミトリ様、お願いよ、くだらない遠慮など今日でさらりとお棄てになってね、貴女を慕っております私のためにも」
「...」
ディミトリは何も言わず、片手で手綱を引いたまま、ただ腕の中のマーヤを抱きしめるようにして、自分の目の前のマーヤの後頭部に、自分の頬をぎゅっと押し付けた。
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マヨコンヌの官能小説『女主人と下僕』
昔々ロシアっぽい架空の国=ゾシア帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…
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