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4-1 貴女にとって最も危ない男とはこの ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~
マーヤの家。
その家は堅牢な石造りであったが、上級市民の住まいとしては、かなり地味で簡素な外観のやや街はずれの一軒家であった。上級市民の洒落た邸宅というよりは、避暑地の簡素な別荘とか、田舎の裕福な土地持ちの農家の家のような外見だった。庭は広いが、野花と植えた花が混じり合って咲く、地味な庭だった。
ディミトリは、ザレン茶舗の仕事の休みの日に、小遣い稼ぎに庭仕事も請け負ったりするので、この野草が咲き乱れる庭をよくよく観察すれば、珍しい高原の花をわざと植えてあったり、大きくなりすぎる強い雑草だけ抜いて、小さな雑草を芝生がわりにはやしていたりする丁寧な仕事に気づいたかも知れない。
だからこれは「たまたまいい季節で花がいい塩梅に綺麗に咲いた農家の庭先」などではなく、たまに偏屈な趣味人がやる「一番手間のかかる自然風の丁寧な庭」であった。
門を過ぎて、庭に馬を停めながら、ディミトリは少しホッとした。
(美しい家だが…簡素な庭と簡素な家だ。良かった)
あまりに豪華な家だったら、自分との釣り合いの取れなさに縮こまってしまいそうだったのだ。
「さ、どうぞ」
だが、ディミトリは小さな家に一歩入った瞬間に完全に打ちのめされた。
外側は地味な建物だったのに反して、内装は東洋と西洋の折衷スタイルのとんでもなく豪奢なものだったのだ。
一種の隠家風というか、粋な金持ちの趣味人がやりそうな、地味派手な造りだ。
家の中は、確かにぱっと見はごてごてした感じはしない。しかし、ぴかぴかに磨き立てられ、上級市民というより、裕福な貴族の館か小さな美術館と見まごうばかりの調度品がさりげなく見え隠れしているのだ。
家具はほとんどが猫足の流線型の丁寧な彫刻が施されたチークで出来たもので、貴重なガラスまで嵌められたチークの飾り棚には、東洋の紙のように繊細な光が透けそうな薄造りの茶器、髪の毛より細い線で手の込んだ絵の描かれた、当時の西洋では到底作ることができない、最高級の茶器がいくつか並んでいる。
真新しい真っ白の漆喰が塗られた壁には、金持ちの間で流行の東洋趣味の、扇がぽつぽつ飾られているが扇の中に描かれた絵の細かさ繊細さはディミトリがどこの金持ちの家で見た物とも格段に違っていた。
そういう東洋の品物が、西洋の美しい金色のからくり時計であるとか、流線型の家具とかの合間合間にまじりあいながら上品な効果を出している。
革張りのソファーの上には東南アジアのとてつもなく細かな文様が織られた手織りの絹の飾り布が無造作に置かれている。ソファーの下の床には温かそうな深紅の毛足の長いペルシアの絨毯が敷かれている。台所の造りは最新式で機能的なもので、ぴかぴかの薬缶が置いてある。
しかもそれでいて、そうした宝物のような品はどれもあくどい成金趣味の匂いは皆無で、本当に気に入った上品な品物だけを数少なく厳選し、空間をとってぽつりぽつりと置いてあるのだ。
何代もの間、代々金持ちを続けた贅沢に飽きた偏屈な趣味人が、隠れ屋の別荘なんかを飾り立てる時によくやるスタイルである。
(つり合いが取れねえにもほどがある...!)
背中を変な汗が伝ったのをディミトリは感じた。
「...俺は、茶の配達や雑用なんかで、いろんな金持ちの家に行くことがあるが...マーヤ様の家は...趣味といい、機能性といい、なんかこう...隅から隅までどうも...とんでもねえ...一番びびった」
「何を仰るの...ああ、東洋の輸入品が多いってこと?こっちでは高級品扱いらしいわね。東洋から亡命して逃げてきたんだから当然じゃない。しかもいまは貿易商人ですからね」
マーヤはこともなげに否定したが、下僕とはいえ、高級茶舗で金持ちを見慣れているディミトリにはここの調度品の全てが、ただ東洋趣味というのではなく、最高級のものだというのははっきりわかった。
「ディミトリさん。お茶を淹れますからそのソファーにでもお掛けになって」
そしてもうひとつディミトリがこれ以上に心底、うろたえたのは、玄関の近くに置いてあったいくつかの箱と書状である。
「もう!また花がある。枯れないようにちょっと活けてもいいかしら?ま、砂糖菓子も。わたくしお菓子はそんなに好きではないのに。召し上がる?」
マーヤは数個の箱を無造作に開けて赤やらピンクの薔薇を取り出して、既に花瓶に活けてあった薔薇を棄てて新しい薔薇に活け替えている。
「それは...?」
「ああ、こないだどうしても出席せざるを得ないパーティがあったから...送られてきたみたいね...もちろん交際はちゃんと断ってますわよ?でもどんなに断ったって、友情の証とかなんとか言われて送られたら、毎回毎回突き返すわけにも行かないし」
「...上級市民の...男たち...?」
マーヤはハッとして慌ててディミトリに謝った。
「ごめんなさい!いくら何でもディミトリ様に無礼ですわね!棄てますわ!」
マーヤは慌てて開けたばかりのピンクの薔薇の大きな束をゴミ箱に突っ込んだ。
「や!や!勿体ないです」
「いえ、あまりにも無礼でしたわ!ごめんなさい...ちょっと待ってて?せっかくだから庭で花を切ってきますわ」
マーヤは突然外に出て行った。ディミトリは花の入っていた空き箱を眺めた。
(これ...街で一番高い花屋の箱じゃねえか...!こっちのも相当な高級店だ...そして有名菓子屋の砂糖菓子。...4箱。今日だけで、最低4人の男が贈り物を送ってきたってことかよ...!しっかし、どうなってんだ、ますます解らねえ、この状況でどうしてマーヤ様は、美男子でもない、金持ちでもない、猿面の下僕身分の俺なんかにこんなに情けをかけて下さるのか)
マーヤが庭の花を切って戻ってきたときには、ディミトリはゴミ箱から薔薇を引っ張り出して花瓶に活けなおしていた。
「痛んじまったのは取り除いたが...こんなもんですかね?」
「どうして」
「マーヤ様...正直...そりゃあ妬けますよ...でもね...俺は。俺のせいでマーヤ様にくだらねえ我慢なんかしてもらいたくはねえんだ。俺と一緒になったせいで、しなくていい我慢ばっかりして、マーヤ様が不幸になるんでは俺はいやです」
「えッ?あの、それはどういう」
マーヤはすっかりうろたえて、不安げにおびえた瞳でディミトリを見上げた。
ディミトリは薔薇を活けながらこの薔薇を送ってきた見えない男たちに対する怒りにも似た感情がみぞおちに熱く湧き上がってくるのを感じながら、マーヤではなく、薔薇を射るように見つめた後、マーヤに振り向いて言った。
「自信はないが...自信はないけれども...ただ、こうなったらもう、マーヤ様には悪いが、いまさら身を引く気はねえぜ。俺なりに気張りますんでどうか、チャンスを下さい」
「はっ?チャンスも何も、私はディミトリさんがいいって申してるじゃありませんか...あの、なんだかお顔が...本当に怒ってませんか...?」
「...バカ言わないで下せえ。なんであなたに怒るはずがありますか...」
マーヤはディミトリの腕の裾をそっと触って小さな声で言った。
「あの、わたくしを…見捨てないで…どうか...!」
ディミトリはそっとマーヤを抱きしめた。
「…それはこっちの台詞ですよ…」
マーヤは目を固く閉じて抱きしめられていた。
そのあとマーヤは薔薇は部屋の一番隅っこに飾って、庭から切ってきた白い花を一番いい花瓶に活けてソファテーブルの真ん中に飾った。
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再びディミトリは応接テーブルの革張りの椅子に座らされていた。
「そういえばご家族...は一人で亡命されてきたからいらっしゃらないのか。にしても、使用人の方にご挨拶を」
「通いの使用人は時々来ますけど、今日は居ませんの」
再びディミトリの背中に変な汗が伝った。
「いま…誰も…居ない?」
マーヤはにこにこしながら言った。
「解ってますわ!もちろん、お爺さんくらいのお年の方でも、わたし1人しかいない時には男性を家にあげたりは決してしてませんわよ?だからディミトリさんしかこんなふたりきりにはなったことはないわよ、大丈夫」
(マーヤ様!貴女はなにを言ってるんだ、貴女の人生で一番危ない男はたったいま、目の前にいる、この俺ですぜ?!)
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マヨコンヌの官能小説『女主人と下僕』
昔々ロシアっぽい架空の国=ゾシア帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…
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