【2】『太平洋の防波堤』のあらすじ&レビュー デュラスの隠れた最高傑作
前回
今回は「太平洋の防波堤」よ。
こちらの方は
読む人はかなり少ないと思うので、
ネタバレあらすじまでガッツリ書きますね。
時は戦前、植民地時代のインドシナ。
宗主国フランス白人のくせに破産して全財産失った愚かなシングルマザー家族がいて。
本来、植民地では特権階級のはずの宗主国白人のくせに、【あべこべ】にも極限の貧困に落ちている白人家族。
どう馬鹿かといいますと、そのお母さんは、愚かにも一生かけて貯めた金で、海水漬けの不毛な農地を掴まされて、破産してしまったの。
手に入れた農地は海水漬けの不毛な土地。
家は抵当に取られ、くり返し役人がやってきて立ち退きを要求するし、お金が無さすぎて
ついには屋根が腐って天井から無数の虫が降ってくる。
貧困はホラーめいた様相を呈していく。
完 全 に 詰 ん だ
一家無理心中するしかないかなこりゃ、みたいな状況なのよ。
そんな中、そのお家の極貧の白人少女は、
細身で華奢で中性的な容姿ですべすべした肌の富豪の華僑つまり非白人の青年と知り合う。
少女の兄はその男を『クラボー(ガマガエル、ゴミ、といった意味のフランス語のスラング)』と繰り返し蔑む。
(この『太平洋の防波堤』では彼の中性的な容姿はあくまで「醜さ」として描かれているが『ラマン』の中ではむしろ魅力のように描かれているという矛盾がある。わたくしとしては実際の中国人青年は『ラマン』に出てくるような、少なくともデュラスの個人的好み的には魅力的な男だったと想像するわ。だって、著者デュラスは東洋人との初体験をこじらせちゃったのか、フランスに渡った後も繰り返し東洋人の男との情事を題材にしたし、人生最期の愛人も東洋人と、つまり実際はなんともアジア男フェチなこじらせ人生を送ったわけだし。つまり『太平洋の防波堤』で富豪青年が酷い書かれ方をしていたのは、執筆時のまだ若いデュラス自身も、そこに出てくる小説の中の若いデュラスも、兄も『デュラスが金持ちの非白人と愛人関係になり金を恵んでもらう』という状況があまりにもやるせなすぎて必要以上に青年の容姿を悪い方向に『八つ当たり中傷』していたんじゃないかなと思う。)
って書いてたら本人と言われている大富豪の若い頃の写真、あったYO…。
白黒過ぎてよくわからんけども品のいい上品な優男ですね。
少なくとも醜い男ではないよね。
決してガマガエル系ではない。
検索すると彼のとんでもない大豪邸な生家なども出てまいりますよ。
とにかくその上品な物腰と服装の、
運転手付きの黒いリムジンに乗り
中性的な非白人青年は
猛烈に少女に惹かれる。
青年が必死で白人少女に恋してる姿を
周囲の宗主国白人社会も、
現地ベトナム人たちも、
そして植民地を裏で支配する中国人華僑社会も、
そんな二人を「唾棄すべき恥知らずな二人」としてまた秩序を破壊する悪として冷笑と非難の目で侮蔑する。
しかも青年は最終的には親の決めた相手と結婚しなければならない運命。青年にはそれをはねのけるガッツもパワーもない。だって青年には商才はなく彼のお父さんが富豪なだけで、実権のすべてはお父さんが握ってるから。だから貧しい少女と華僑の御曹司青年は絶対に結婚は出来ないの。
そして
少女は有色人種のその青年に自分の白人でありとびきり若い少女である肉体を売ることを決意する。
しかも、白人少女は、こんなエッチナ女の子なのにメチャクチャ成績優秀なんですよ!だからフランスに留学する資金さえあれば全部が解決するんですよ!
(実際のデュラスもインドシナの高校卒業直後即フランス留学し、名門・国立パリ大学の法学部に合格した。卒業後は、インドシナの言語まで流ちょうに操れることを買われ、フランス政府『植民地省』に女性の身でサクッと入省(戦前の時代の女性官僚ですよ!)してそこでさらに大臣にすさまじい文才を見いだされて執筆活動を始めるとか完全にスーパーキャリアウーマン。しかもその留学の生活費の出どころは10代にして富豪の青年を狂わせて出させたお金って…ハードル高いな~。)
少女はただ自分の一糸まとわぬ肉体を風呂場でくり返し見せることによって金品を得た…と『太平洋の防波堤』ではぼかして書いてるけれど。
それはきっと嘘。
後年書いた『ラマン』によると、こっそり借りた逢引部屋で繰返し繰り返し繰り返ししゃかりきに性行為に及ぶことで…
少女は青年から金品を巻き上げる。
(「ラマン」の中でも主人公少女がフランスに留学してパリで生活するための大金を少女が青年に払わせるねと母に告げて母が「あら、そう、パリに住むにはそれくらいいるだろうからね」と平然としているという場面がある)(二つの小説はいろいろ違うわけだけど母親は娘の不品行を蔑み非難しつつも富豪との交際を止めず金を欲しているという点は共通している)
この絶望の美しき熱帯生き地獄・インドシナから逃れ、親の借金からも逃れ、なんとか宗主国フランスに生きて辿り着くために。
ここでも白人が身体を売り有色人種が買うという【逆転】が起っている。
娘の母親はもちろん女性だし、白人でありながら当時としてはすごくベトナム人に思いやりがあったり社会運動じみた福祉活動までしたりもしている。
お母さんは毒親である反面、インドシナの貧しい現地民には結構やさしかったりして、植民地下ではおそらく【大変珍しい】開けた思想の持ち主ではあるの。
だけど、15歳の自分の娘が有色人種と寝たかもしれないことにはもの凄い拒否反応をおこして…おこして…その結果…
くり返しくり返し15歳の娘をシッチャカメッチャカに殴りまくる。
い、い、いやちょっと待って、そこ怒るなら中国人青年の方にも怒れよ、
もしくは、いい歳してマトモな仕事出来てなくてちっとも家に金を入れない無能なごくつぶしの息子の方にも怒れよ、
そもそも極貧に堕ちたからって娘に売春やらせてる自分自身に怒れよ、
って話だけど、
母親はごくつぶしの無職息子に対しては何をしても溺愛、溺愛、
でも娘には稼いでも稼がなくてもとりあえず殴っちゃう。
これも【逆転】。
しかも母親は娘が体を張って稼いだダイヤ(家1-2件分の価値)をあろうことか娘から即座に取り上げ、
母親はそのダイヤモンドを指には一度もはめることなく、絶対に誰かに強奪されないように指輪に粗末な紐を通して首にかけて服の中に肌身離さず隠し持つ。
しかもそのダイヤを、娘が塩漬け土地から脱出するためのフランスへの渡航費用ではなく、
『塩水に漬かりきった土地に再び防波堤を建てたら土地を太平洋から救い出せ自分もベトナム農民どもも富を得ることができる…かも?』という
すでに一回失敗した実現可能性が低すぎる妄想じみた計画のための実行資金にして溶かそうとする。
いやだからやめてくれやお母さん!
その金そもそも自分の娘が身体を張って稼いだ金なんですよ?!
しかもよ太平洋の海を、防波堤でせき止めて、無から農地をつくりだそうとか、太平洋に逆らって勝てると思ってやがる誇大妄想狂はたいがいにしてくださいよ。
普通は家族の中で1番リスクを取りたがらず、一歩下がって家族の幸せを願う自己犠牲的な役を演じがちな「お母さん」なる存在が、
やたらリスキーな夢や革命を語る誇大妄想狂のお父さんみたいな迷惑な存在になり果てて荒れ狂う。
ここにも【逆転現象】が起こっている。
そんで結局お母さん、兄が換金してくれたせっかくのダイヤの金を『塩に漬かった土地の『利息』にほぼ全額払ってしまう!
自分の娘が処女(令和のどうでもいい処女なんかじゃなくて100年前の植民地時代の処女よ)と人生を棄てて稼いだ、家2件分の金が、数時間ですっかり溶け消え去った。
やーーめーーてーーくーーれーー!
しかもそんな家2件程度の利息払いでは、既に莫大な利子が積み上がっている土地の権利は戻ってくるわけもなく!
娘を身売りした大金をぶっこんでみたが、やっぱり、破産状態は一ミリも変化しなかったのであった!
そのためお母さんやけくそで過眠症になり病みがちに!
いや待てや現実逃避すんなよ!
自分で蒔いた種やろがいそれ!
やはり一家無理心中しか残された道はないのか!
そのとき、兄が、ポケットからなんと売ったはずのダイヤを取り出した!
ハア?!
手品か?!
実は兄は、
歯は盛大にガタガタだわ、
文字は書けないわ、
ごくつぶしの飲んだくれだわ、
フランス語の女教師の息子で100%純フランス人のくせにマトモなフランス語すら喋れないわの、
発達障害のとんでもプータロー男なのだが、
なーーーーんか女を惹きつけちゃう魅力ある美青年なのである!
そんで歯っ欠け超絶セクシー美青年は、盛り場で気のいい金持ち夫婦をナンパし、かなりひどいアル中な旦那が酔っぱらって前後不覚のあいだに、その美人熟女人妻と毎晩
1週間ほど禁断のえちえち三昧
した後でふと「実はおれ、ダイヤモンドを換金する相手を探してるんだよね…」の件を美人熟女人妻に告げたのだ、
そしたら、エロ人妻、言い値の札束2万フランをポンと払って呉れた挙句に、兄の上着のポケットにそのダイヤをこっそりしのばせるように返却してくれたのだった。
要するに面子を潰さないようにしつつタダでお金を恵んでくれたんですねーーー。
しかも実際のダイヤの相場の2倍の金額=およそ民家2軒分の大金を。
かくして歯っ欠け美青年兄が自分がムラムラしたから提供しただけの肉体の方が、
15歳の美しい妹が人生捨てて周囲の冷笑を買いマトモな結婚の道を棄ててまでしてガマカエル系?中国人青年に捧げた処女よりも3倍高く売れたのであった。。。
なんぞそれ。。。
なんぞそれ。。。
でもま、そーゆーことってあるよねーーー。
これも【逆転】(ここは多分フィクションだけどネ)
そうこうしているうちに心労&病気で母は死にます(史実では本当は死んでないけどネ)。
兄も妹も愛する母の死を深く深く悲しみつつも
家庭内の1番の毒であった毒母の死によって
どうやら自分達が間一髪で生命の危機を逃れたことをなんとなく感じます。
なんか ほっ としたへんな空気が流れます…
兄妹はふつうにもう一回ダイヤを換金しました。
適正価格=1万フランで売れました。
これで兄も、妹も、海水に漬かった不毛の土地から出ていく事ができる。
母の柩を見ながらふたりは決意を新たにするのでした。
機は熟した、金はある、やっと逃げれるぞ!!!!!
生き延びてやる!!!
そのためにとにかくここからは出て行くんだ!
何がなんでも直ちに!!!!
と、長い要約読ましてお疲れさまでした。
ええっとまあヒドイ話です。
差別と非差別の逆転
私がこの小説のどこにグッと来たのかなあと考えると。
いちいちいろんな差別と非差別が【逆転】してる錯綜したところかな。
植民地なのに破産してるのが白人側で富豪側が有色人種で、有色人種が白人の肉体を買っていたりとか、
お父さんではなくお母さんが家で1番のキレキレギャンブラーでドチャクソ癒されないとか、
少女、命懸けで近所中の恥さらしとあげつらわれながら処女の身体を武器に売春を企てるも、結局1番高く売れたのは歯っ欠け兄の肉体だったとか、
読者はいちいちふつう想定されるあべこべをガツンとぶちかまされるんだけど、それでいて
『あぁ…確かに…だよねえ…。うん、そういうことが実際に自分の身にも遭ったよ…』
ってなる。で
「女=搾取される側=みんな不幸なんです!悪いのは男です!」
「お母さん=絶対にこどもの味方です!例外はないッ!」
みたいなTwitterで回ってくるわかりやすいグチやベタな世間的な常識の図式からことごとく外れているために、
自分の中で縛られているたくさんの固定観念から自然に解き放たれていくような不思議な解放感があるんですね。
いやさっきみたいな図式が「この世に存在しない」と言いたいわけではないよ?
そうではなくて
搾取者ー被搾取者
虐待者ー被虐待者
の図式がこれでもかとシャッフルされていて、それでいて『さもありなん』と思わせるこの物語を読んでいくと。
搾取する何者かに騙されて
もしくは
自分自身がそれを正視したくなさ過ぎて
『自分の人生にとってより重要なメインの問題』ではなく『自分の人生にとってはあんまり大事じゃない違う世間的にありがちな問題』に気づかず注意を逸らされて必死で怒っているのに実は現実逃避させられているだけ、永遠に物事を解決できないあれ、あの感じからこの小説は目を覚まさせてくれる気がする。
しかも自分にとって大事な問題から目を逸らさせられた結果注目したあまり重要でない違う問題の方は解決できるのか?というと『日本の政策が悪い』『男性全般が悪い』みたいな抽象化された大きな仮想敵が浮かび上がるだけだったり、ピントのずれた相手に怒りをぶつけて収拾がつかなくなるだけでむしろ却ってまったく対処のしようがなくなってしまうあの感じ、解決策の見えない不思議な迷路に迷い込んでしまい、永遠に、陰に隠れた敵を叩けず、敵が操る操り人形だけを無駄にいつまでも一生懸命叩き続けているような感じ、そういう人生のありがちな誤謬から目を覚まさせてくれるような感覚を受けたの。
この本のテーマが思ってたのと違う件について
たとえば。
この小説ってぱっと見は『売春の是非』とか『男女格差』『ロリータ・コンプレックス』みたいなテーマに見えるけど、読んでみると全然違う。
著者は(エロいおフランス作家なイメージあると思いますが)こう見えて若い頃一時期ガチでレジスタンスとか社会主義革命に打ち込んだ人で。1人目の夫はナチの強制収容所にぶち込まれたという経緯もあるから、小説には『植民地の矛盾』『経済格差』『人種差別』みたいなものもぽつぽつ織り込まれているし実際に根っこの部分ではそういう社会構造の大きな矛盾が少女を苦しめたって話でもあるんだけど、それもちょっと違う。
白人少女は貧困の被害者でもあるけど植民地政策の加害者でもあるの。
さっきあらすじで見たように『植民地の腐敗』『経済格差』『人種差別』『性差別』みたいなものは小説の中にてんこ盛りに盛り込まれているんだけどそこには加害者と被害者がぐっちゃぐちゃに錯綜してしまっており
簡単な搾取の図式を常に超越しているのよ。
だいいち、この少女が乗り越えるべき本物の1番の少女の敵は、実は、中国人の青年ではないと思わない?
じゃあ敵は誰?
それはたとえば
少女が身体を売るように追い詰めて仕向けた人間だよね。
その人間とは、未婚の娘たるもの男に決して身体を許すな、世間の恥晒しにはけっしてなるな、だが男から金を巻き上げて、それを自分の事業資金として提供しろと、ふつうに売春するよりも困難で無茶なことを、実の娘に強要してる人間だよね。
しかもそういう行為をやるように仕向けた挙げ句に、少女を家族の恥さらしだとジャッジして「寝ていない」と言い張る少女をそれでも繰り返しメチャクチャに殴りつづけた人間だよね。
そして、少女が身体を張って手に入れた金を少女の人生のためではなく、実現不可能なとんでもないメチャクチャな事業の利子として全部溶かしてしまった人間だよね。
つまりこの少女の敵とは
若い娘をかどわかす『ずるい非白人の男』
よりもむしろ、
この場合、
少女の『実母』なんですよ。
でも血を分けた大切な親が全く話の通じない怪物となり果てているというその衝撃の事実はこどもたちにはあまりにも残酷な現実すぎて
明らか過ぎる程明らかに見えているのに
でも見えなくなってしまう。
少女も兄もそこから目を背けているからいつまでも母親に逆らうことが出来ない。
目を背けているせいで
目を背けなければ本当は対処できるのに背けているせいで対策が取れず長年なすがままになっている。
逆らわないと事態は悪化するばかりなのに。
自分達どころか母親本人すら破滅なのに。
その間にも母親はどんどん怪物化していく。
その、『実の母、完全にヤバい』という『現実』があまりにも正視不可能レベルにつらすぎてこどもたちはそこから目を背け、
そして目を背けるために兄も妹も必要以上に仮想敵を探し、
互いに罵りあったり八つ当たりしたりしている。
だから
少女は中国人富豪青年を
必要以上に
醜い、と罵り、
侮蔑し、
ぞんざいに扱い、
さんざん酷い扱いをした挙げ句に
青年を捨てたような形をとってフランスに去ったのね。
本当は肉体的にも精神的にもその青年に惹かれていたのに自分のその気持ちを打ち消す為にもわざと繰り返し繰り返し青年に無礼な振る舞いをしたりこき下ろしたりしたの。
彼は少女に『母から逃れてフランスパリ大学法学部で学んで学位を取るための留学費用やら渡航費用』を払ってくれた。視点を変えれば少女に生き延びる為の金を渡して救ってくれた唯一の救いの神であり、生涯最高の快楽を与えてくれた男でもあった。さんざん贅沢もさせてくれた。
そもそも、15-19歳の小娘一人 VS 27-31歳の富豪の男なんだから、そんな金の力や年の功を使っていいように言いくるめたり留学資金なんか援助してやらずに身体だけ手に入れて騙すことも出来ただろうに、しかも彼は『この金を払えば少女が自分から永遠に去ってしまう』と解っていながらもその大金を少女に渡したのよね。
少女が、毒親とそして富豪青年本人から解放されて、新しい人生を歩むための金を。
でも少女は大金を払って自分を手放すまでして自分の幸福への道筋を作ってくれた男をこの小説でとことん否定せずにはいられなかった。
少女の本当の敵は別の人だったのに、それだけは認めたくなかったから。。だって自分の本当の敵はお母さんだなんてそれは売春した事なんかよりもよほど認めがたいあまりにもつらすぎる事実だから。。
だからデュラスはこの『太平洋の防波堤』の中で
あんな中国人青年などとは自分は身体を重ねてはいない、風呂場で一糸纏わぬ裸体を見せはしたが、口づけすら一度たりともしていないわ、そんな事をするわけがないでしょう、彼はガマカエルのような醜いひ弱な男なんだもの、という嘘を書いた。
きっとそれは、母親に向かって、実際に100回も繰り返し唱えた吐いた嘘。
嘘で自分の潰れそうな心を守るために、
嘘で母親をなだめるために、
自分が若くしてこんな不品行の道に堕ちたのは『男』なるものが悪いのだわ、全部あの中国人が悪いのよ、あの男はとても醜い、うちの家族の破産は全部金持ち達のせいに違いない、すべては社会が悪いのよ、政府の腐敗が悪いんだ、華僑が悪いんだ、お母さんは何も悪くない、お母さんは何も間違ってない、お母さんは絶対に永遠に私の味方、
という大嘘を少女は一生懸命に唱え続けた。
でも少女が、もしも上記の嘘を本気で信じて、本当に中国人青年を拒否し愛人関係に踏み出さなかったり、本当に母の命令に盲従してすべての金を防波堤再建に注ぎ込んだりといった行動を、仮に実際に取ったとしたら、少女の命はもちろん、一家全員の命もなかったのよ。
(史実では少女がフランスに留学する時期の2-3年後、それまでずっと10年間も『開墾義務を怠っているから貴女のモノではありません』という宙ぶらりん状態だった支払い済みの耕作不能の農地は10年間の謎の待期期間の後でなぜか唐突に母名義になる(当時は違法な転売を防ぐため農地を購入後ちゃんとそこを開墾して耕作した証明をしないと土地の権利を取り上げられた)、そしてやはり同時期に、女学校の校長先生を定年退職した母は自宅の敷地で生徒数100人程度の学校を開設して75歳まで働き続ける…。
極貧の中、パリで娘が何年も生活する留学費用と学費、
10年の長い不許可と訴訟のあとで唐突に母名義になった広大な農地、
唐突に始まった母を女校長とする学校の設立費用。
女学校の校長だったとはいえ、土地問題で破産寸前だったはずのシングルマザーが唐突に上記の3つを一気に解決した資金源は一体全体どこから来たんだろう…?と考えるとやはりそこにはかなりデュラスの愛人の出した資金が絡んでいるように思われる。またそもそも母が定年後に自宅に学校を開いて15年経営できたのは、名門パリ大学の法学部に一発入学しフランス植民地省に入省したデュラスという娘を育てた先生の建てた学校なら…っていうデュラスの威光もあるかもしれない)
だから私はこの『ラマン』『太平洋の防波堤』という小説は2冊合わせて
『毒親を自分の中でどう処理していくか、そして毒親と少女自身の両方に色濃く存在する、発達障害感のある過剰なパワーを帯びた血、互いが互いのの分身ともいうべき過剰な才能と過剰な無能が混在する稀有なバランスの悪さ、狂気じみた才能、みたいなものをどうコントロールして乗りこなしていくか』、つまり
狂った親をどうやって愛し、
どうやって狂った親から別れ、
そしてどうやって同じ血を受け継いだ己の狂気を飼いならし、
そして親が自分を慈しんでくれなかったことを乗り越えてどうやって自分を、他者を、慈しむか、
つまり、どうやって生き延びるか。
みたいな話なのだと思ってる。
毒親への愛と別れ
少女は本当は心の奥底の奥底の部分では母を信じてはいけないことも自分がどう行動すればいいかも全部知っていたのね。だけどそれを表層の意識で認めるのは心が耐えられなかった。
だから少女は心を二つに引き裂かれるようにしながらも、心の表層で考えていることと全く違う、何か大きな、自分の奥底に潜む、自分を本当に守ってくれる本物の判断力につき動かされるようにしながら、危うい綱渡りを渡り切って、そして生き延びた。
(『ラマン』によると)15歳にしてなぜか母親に買い与えられた、夜のパーティ用の金ラメのハイヒール&紫檀色の男物のソフト帽という、どう考えてもど貧乏の堅気の女学校の女校長の娘が履くはずはない、なにやら倒錯的な娼婦のような服装で常日頃から真昼間に歩き回り、富豪の青年を見いだす。
そして15歳の少女は、恋と不安におびえて手までぶるぶる震わせている富豪の青年を狙いを付けたように落ち着き払ってじいっと見据えた挙句に、堂々とまっすぐに青年に歩み寄ったの。
そう、近づいたのは、少女の方なのよ。
そして渡航費用を稼いだ小娘は、毒母から離れ…生き延びた。
そして。
もし貧富の差というものが無かったら。
もし人種差別が無かったら。
もし母親の破産とそれに伴うは母親から娘への実質的な売春指示(お前は女学校の女校長先生の娘なんだぞ、絶対に品行方正であれ、名を汚すな、だがしかしなんかうまいことやって金持ちの男から大金をせしめて来い!)がなかったら
2人の恋はただの純愛でハッピーエンドストーリーだった、かもしれない。
(い、いや。やっぱダメかな…。なんかこう、富豪青年…なんつうかこう…小娘に気魄負けしてるかなぁ…12年の歳の差まであるのになんだか『赤ちゃん女狼 VS 富豪のひよわなヒツジ青年』という感じですねえ)
『太平洋の防波堤』から『ラマン』へ
今度は前記事の『ラマン』に戻り
小説の最後の、情事から50年以上たった後で、老いた中国人富豪が、旅行先のパリで、突然老いたデュラスに一本の電話を掛けたエピソードに戻るわね。
老いた中国人富豪は、デュラスがフランスで有名な小説家になったことを知っていてそれを頼りに電話番号を見つけたのだから
電話を掛けるその日よりも30年も前に書かれた『太平洋の防波堤』を読んだことは、もちろんあるはずに違いないわ。
だからそこに自分のことを『醜いガマガエル』とこき下ろしてあることを、自分と彼女が寝る事は無かったかのような『嘘』を書いてあることも、
なにもかも全部知っているはず。
しかも彼が電話を掛けるのはまだ『ラマン』が書かれる前よ。
でも。
それでも情事から五十数年後、『太平洋の防波堤』の自分のヒドイ書かれ方を読んだ上で、デュラスが70歳近く、その男は80近くかしら、そんな歳になった時に、その男は、前記事でも書いたように、
デュラスに1本の電話を掛けたの。
ただ一言声を聞きたかった。貴方のことをいままでもこれからも永遠に忘れる事はできないだろう。愛しています。
と。
きっと、小説の中の自分の描かれ方がどんなにひどい姿であろうが、そんなことなど、男は気にもならなかったのだわ。
男には解りすぎる程に解っていたの。
確信があったのよ。
だってあの時、繰り返し、繰り返し、肌を重ね合った時の、あの記憶があったからどんなに昔の事であっても、それは確信だったのよ。
自分自身が生涯2度とないほど溺れ切ったあの白人少女との情交に、
少女の方も、心の底から、本気で、溺れ切ってくれていたという確信が。
前の話↓
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