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ロックスターを気軽に目指したよ
上京の前に、まず今の状況として、札幌にいます。
さて、岐阜県岐阜市出身の私ですが、18歳の時ロックスターを目指して上京しました。もう27年ほど前の話です。高校の時バンドをやっていた私は、調子に乗って上京しようと思っちゃいます。ギターをやっておりましたが、特別うまくもなかったのに!
今思えば、時代の雰囲気もあったと思います。ポスト団塊ジュニア世代という、小学生の頃にバブル期の華やかな大人の世界をドラマやCM、マンガで見せつけられ、東京=オシャレ!ラブストーリー!を刷り込まれてきた世代です。さらに高校時代は音楽もお笑いもファッションも映画も大きな変化の時代でした。
そんな世の中のテンション感に、元々感化されやすかった私は、電車も一人で乗ったこともない、家事手伝いもしたことがない、お金の使い方も知らない、何にも知らないのに、なんかバンドやってるし、ギター弾けるし、東京でロックスターになろう!と一人で軽く決心します。いや、決心というほど決めてもなかったですね・・・。なんか、行こっていう・・・。
正直当時の自分は高校卒業と同時に酒が飲めると思っていたほどアホでしたので、本来不安になるべき、一人暮らしできるのかな?悪い人に騙されないかな?生活費どうしようかな?友達できるかな?といった不安は全くなかったですね。ミスチルの歌みたいに ♪心のまま僕はゆくのさ 誰も知ることのない明日へ〜 とかカッコ良く言えるならいいですが、どちらかというと、少しくらいハミだす、どころか色々ハミだしちゃダメなものが全部ハミだしきっているタイプでした。地元を捨てて自分を変えたくて!とか、俺には自分を表現できるのがギターしかないんだ!とか、ある小説を読んで感化されて!とか、もっと強え〜奴がいるらしいから!とか憧れますよね。
うん・・・、今思い出してみても、本当に全然何にも考えてなかった!
なんか上京した!・・・なんで上京したんだろ・・・。
そんな感じで上京しましたので、当然音楽もすぐ辞めます。
タイトル的には、ここで終了です。
ロックスターを気軽に目指したよ。(3ヶ月)
完。
まぁ、上京して半年で、まず渋谷の音楽専門学校もポップに辞めます。理由は、電車がすごい混むのでギターが邪魔だったから。
高校の時に1年間お金貯めて買った大切なはずのギターだったのに。
まず、一人暮らしのアパートを玉川学園という絶妙な土地を選んでしまったのがセンシティブな私にとっての致命的なミスでした。当時の小田急線は片道1線しかなく、ロマンスカーと急行以外は無駄に時間のかかる路線でした。そして激混みなんです。当時はいまほど他社路線との連絡も良くなかったので。第二のミスは、町田の喧騒が、また上京初心者のセンシティブな私の心を騒がせまして、いーっぱい欲しいものや遊びたいものができちゃったのです。これはもはや東京に住む魔物の仕業です。誰も悪くないです。強いて言えば政治家です。明治時代の考え方にしがみついているあいつらです。政治家にも国家試験を!
それからはもう、反骨精神のみです。地元に帰るという選択肢はなく、本当の意味での自分探しの過酷な旅の幕開けでした。バイトしたり、花束みたいな恋をしたり、引っ越したり、バイトしたり、花束みたいな恋をしたり、引っ越したり・・・。20代前半は東京と横浜をアパートの更新2年ごとに転々としてました。おかげさまで各地に友人もたくさんでき、賢い元カノたちのおかげで水野美紀と水野真紀の違いも分かるくらいに知能も向上し、石で硬い木の実を叩いて割ると、柔らかい中身を食べることができるということも発見しました。これはいずれ学会で発表したいと思います。そんなこんなで、気づけば映像制作会社に就職し、ディレクターを経てプロデューサーになり妻と子もいます。
まぁ、人生なんとかなるもんだ。
そして、4年前に品川区に新築の一軒家を建てました。うーん、ついに東京に根を下ろす時がきたかという瞬間でした。が、子供が私に似て非常にセンシティブな子で、小学3年生の頃に、東京のどこも人が多くて騒々しい環境が辛いと。正直私は、「え?こんな楽しいのに!?」とか内心思ってしまいましたが、妻にそれを気づかれたのか、私不在で家族会議が行われ、知らぬ間に妻の故郷である札幌に移住が決定していました。けっこう気に入ってた住居は2年で売却。まさかの札幌行き。妻の決定には逆らわないという縛りを自らに課すことで、世界を断つ斬撃をノーモーションで繰り出す私としては、最初こそは動揺して一度は領域展開が崩壊しましたが、よく考えたらそれはそれで面白いかもと興が湧き始めました。会社がテレワークでも続けてよって対応してくれたのが、嬉しかったですね。こうして、26年に渡る私の東京生活は幕を閉じます。東京時代を総括すると、「悪くなかった!」です。
さて、振り返ると、東京・横浜 1997-2023の間で住んだ街は、
町田 玉川学園 → 横浜 磯子 → 横浜 蒔田 → 世田谷 三宿
→ 練馬 上石神井 → 中野 東中野 → 目黒 下目黒 → 品川 西大井
と8つの土地で生活させていただきました。けっこう色々住んだな〜と感じますね。一番楽しかった時期は横浜時代ですかね。まぁ横浜も東京みたいなものですし、ある意味東京よりも地元民がセンスいいという意味では、横浜が東京かもしれません。
というわけで、これから上京するぞって若者のためにいつくか伝えたいことを下記に記します。
・目的を忘れてもいい、なんとかなる。
・そもそも目的って何か考えておいた方が良い
・上京の理由なんて必要ない
・東京の空気に浮つくのは2年目まで
・どうせ田舎者しかいないのでビビる必要はなし
・でも東京の地元民も実在する
・人の見極めは大事
・住む場所も大事
・最初から風呂・トイレ別は、いきなりキングは取れねえだろぉよい
と突っ込まれる
・部屋は狭いぞ!
・方言は自己アピールに使える
・東京にいる関西人の圧倒的な存在感に負けるな
・うかつに道を聞くと同じ上京したてのやつもいるから注意
・夜も明るいのでちょっと安心
・デパートや駅構内は人の流れを見極めろ
・エレベーターは待つだけ時間の無駄
時間かけて待っても だいたいいっぱいで乗れない
・夏は路上にゴキブリがいるので注意
・特に夏場の飲食店では壁の隙間や床を見ないように
ゴキブリを見つけてしまうと心が落ち着かなくなる
・六本木の始発の地下鉄は勇気が必要
・初めての渋谷駅は迷宮に見えると思う
・中野ブロードウェイも迷宮
・家賃は高いが、飲食は安めのお店が地方よりも圧倒的に多い
・喫煙者は肩身が狭いが、24時以降は同志が路上に現れ始める
・地元に戻った時にうかつに東京の話はするな
想像以上に自慢話に受け取られる
・最初の帰郷はみんなファッションに気合入りすぎるから注意
・地元に戻るとみんなの移動スピードが非常に遅く感じられるが
自分が早くなりすぎているだけ
そんなネタに尽きない東京ですが、上京すると本当に両親へのありがたみを感じます。離れて分かる大切さですかね。
特に私はおばあちゃん子でして、実家に帰った時は、近くに住んでいた祖母の家に寄るのですが、帰郷するたびに涙ながらに私の心配をしてくれて、「悪いクスリだけはやっちゃダメだよ、悪いことをしちゃダメだよ」と・・俺、おばあちゃんにそこまで頭悪い奴だと思われているのか・・・(汗)と毎回思いつつ、いつも心配してくれる祖母に感謝していました。
祖母の家から帰る時、祖母はいつまでも泣きながら手を振ってくれるんですよね。
どんだけ離れても。
手も疲れるし、もういいよ〜!って大声で言うんですが、
頷きながらもずっと振り続けてて。
分かっているのか、分かっていないのかも分からないのですが、
何度離れて振り返っても、手を振っている祖母の姿に
自分もちょっと涙が出てきちゃうんですよね。
この姿は、いまだに心に焼き付いていますし、祖母がどんな気持ちで私に手を振っていたのかなと思いを巡らすと、目頭が熱くなります。
そのおかげで、悪い誘惑の多い東京でも、人の道を踏み外さず、なんとかまともな仕事で生きていけるようになったのかもしれません。
その代償に、文章は脱線しまくりですけれどね。
上京は本人次第で特別な体験になると思いますが、面白い人生にできるかどうかは結局自分次第。そして、自分にとって大切な人とのつながりに、距離は関係ありませんので、そこは変わらず大事にし続けることをお勧めます。
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