小倉の空に
76年前のこの日、小倉の空に煙がかかっていなければ、僕はこうしてここに居なかったかも知れない、ということは一年に一度は思い返すようにしている。
満鉄で働いていた祖父、秘密兵器の製造に関わっていた親類。
労働奉仕に出ていて若くして他界した叔父。
毒ガス兵器の製造基地も亡母の実家からほど近くにあったと聞く。
爆心になるはずだった小倉城の脇、今は綺麗なリバーウォークになってしまった勝山橋の上には、僕が子供の頃にはまだ傷痍軍人が並んでいた。
薄い覆いを剥がせばまだ至る所に記憶は残っているはず。
まだ76年。