読書メモ:『ライティングの哲学』 - わら半紙と原稿用紙の記憶
自覚的に何かを書くことを覚えたのは小4の時、担任の先生の国語の授業の時だと思う。
わら半紙(粗製の西洋紙。B4サイズだったと記憶している)を4つ折りにして、長辺の折山を切り開く。できた2枚を開いて重ね、真ん中で折って綴じしろを2cmほど取ると、8ページの小冊子になる。これに先生が出したお題について書く。200〜400字かそこらあたりの分量。運動会の思い出とか、学校行事について。あるいは最近の出来事について。
とにかく書かされた。綴方教室。授業の度に書かされていたような気さえする。美術で言うとクロッキーのような感じか。授業時間の制約の中で書くことを要求される。
回収後、いくつか読み上げられるのだけれど、自分の書いたものが読まれると恥ずかしい反面、やはり嬉しかった。それ以来、何かと書くことについては割合真面目に取り組んでいたように思う。
さて掲題の本(*1)、プロフェッショナルな書き手としてその職業柄、あるいはやむにやまれぬ物書きの欲望に駆られて、書き続けておられる4人の書き手による座談会と、ライティングツールおよびその使い方、運用法について。
もう既に沢山の方からレビューが出ているので、今更私ごときが付け加えられることもないのだけれど。
言葉/文章を(あるいは思考/思想を)あるまとまりにして提示する過程は、表象を物質としてハンドリングする過程なのだな、と改めて思った。
アウトライナーなり、ワードプロセッサで扱うのは、ある物理的な実体のまとまり。
区切り、並べて、整形することで、意味がひっぺがされ、あるいは突き合わせられて制約を受ける。
そのことで浮き上がる総体としての意味、ストーリーがある。かたちと意味との往還。
各部分があるいは緊密に結びつき依存し合い、あるいは緩く組み上がって、全体の構造が出来上がる。
中学生になった頃には原稿用紙に書くことを覚えた(多分小学校でもやっているはずだが)。原稿用紙の使い方(段落行頭一マス空け、とか)を体系立てて教わった記憶はないのだけれど、国語の参考書か百科事典か、とにかく何かを見て覚えたのだろう。正しく書けるかと問われると今でも全く自信はない。
読書感想文など書く機会も増えたが、この頃からかな、「5枚2時間30分」が書く時間の目安になる。400字詰め原稿用紙5枚を書き上げるのに、2時間30分。大学の講義でも課題が出るものは、だいたい5枚が目安だったように思う(この辺り記憶曖昧)。
中1の時だったか読書感想文の課題が出て、「海底二万里」(ジュール・ベルヌ、『少年少女世界の名作文学23 -フランス編5』所収、小学館、1965年7月)の感想文(これも5枚程度だったと思う)を提出したら、校内代表に選ばれて県主催のコンクールだかに応募することになった(これは締め切りを間違えて、清書版の提出にしくじってしまったので、幻の代表になってしまったのだが)。どうやらこの辺りで、書くことに関して味をしめてしまったらしい。勘違いも甚だしい。
(就職してからは、ビジネス文書の書き方に四苦八苦し通しだったけど。)
その後、大学の卒論は一旦提出したのを引っ込めて、次年度に再提出(4年次で留年)。
修論はどうにかこうにか期限どおりに提出した。
当時はワープロなんて無いから、原稿用紙を大量に用意して、構成案(目次案)にしたがって、とにかく書けるところから書き、出来た分をマグネットクリップで束ねてスチールラックにぶら下げていった。この時使ったのはB5判400字詰め横書き原稿用紙だった(と思う)。
ある程度までは鉛筆書きで書き進めて校正し(ここが執筆の本体でとても苦しい。少しも書けなかったり、何度も書き直したり)、分量がまとまったらペン書きで浄書、束にしてまとめ、の繰り返しで全体を書く。
ひととおり書き終えたら通しで見直して、誤字脱字があればその原稿用紙1枚を書き直し。最終版が出来たら文具店でコピーを取り、改めて黒表紙で綴じ、教務に提出。
朝日が眩しい(出来のことはどうか訊かないで頂きたい)。
とまぁ、これは分量が原稿用紙100枚程度(論文提出要領では400字詰め原稿用紙90〜100枚、黒表紙紐綴じ)だったから出来たことで、今の学生さんは電子データだろうし、こんな分量ではないだろうから、何らかのツール、そしてその効果的な運用が必須だろう。
『ライティングの哲学』で述べられている著者それぞれのツールの運用法では、ツールが思考をつくり、思考がツールをドライヴする過程が見て取れる。また、時にツール「本来の」使い方とは異なる使い方も厭わない工夫、独自性がある。
この捻り出すような工程が、常に「書く」ことを求め、求められている人たちにとって切実な(というのはしっくりこないが)、まさにキモの部分なのだろう。
私のように責務も〆切も無く、書きたい時に書けることだけ書く、という書き方しかしていない者にとっては、本当にはわかり得ない部分だ。
ともかくも、プロの書き手にとって「書けない」とはこういうレベルのことを言うのだ、ということだけはわかった。
素人の及ぶところではない。
就職してからは、会社で上司に怒られながら文書をまとめる一方で、インターネットに参加できるようになってからは、自分のサイトで思いつきを書き残すように書いてきた(*2)。
基本的に私はお喋りなので、人に話すように書いているような気がする。多分今後もボケるまでこのペースなのだろうと思う。
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