【読書メモ】Jodo Journal vol. 2(浄土複合, 2021)
"Jodo Journal vol.2"(2021 SPRING)が届いた。
簡素だが丁寧な梱包、愛らしい手書きの宛名。何か大切な思いを頂く感じがする。
凝った、というと少し違うけれど、デザインされたレイアウト、構成の本文をめくっているうちに、かつて読んだ『エピステーメー』(*1)(朝日出版社)を思い出した。紙の本としての存在感、手触りが心地よい。
僕は決してビブリオマニアではないけれど、いかにも人の手が掛かった感触のある本はとても好きだ。
まだ全部は読めていないけれど、クロスレビュー「杉本博司の瑠璃の浄土」は現地で其展を鑑賞したこともあり、執筆された御三方それぞれの捉え方に共感するものがあった。
受講生の方々はそれぞれに本業を持ちながら、執筆を継続されているとのこと。素敵で素晴らしい。頭が下がる思いだ。
巻頭言で触れられていた受講生の方の話 ー 自分の脳内が会社の言語で支配されていくかのように感じた ー は僕にも身に覚えのある感覚で、とてもよくわかる。現役で仕事をしていた頃の僕は自分のホームページにある事無い事諸々書き散らしていた。一種の現実逃避行動。
忙しければ忙しいほどに却って書く量も増えていた気がする。忙しい時には脳の活動レベルが上がるということもあるのだろうけれど、会社言語の脳内支配に抗するアクションでもあったのだろう。
僕が言うのもおこがましいが、浄土複合での営みが継続して行われていること、ディレクター池田剛介氏、受講生の皆さんにただただ敬意を表する。来春、vol.3をまた手に取れることを願っている。
【参考】
*1:『エピステーメー』八月臨時増刊号
(朝日出版社、1978)
『エピステーメー』八月臨時増刊号(朝日出版社、1978)
「全頁特集 《新哲学》の地層 フランスの〈知〉の二十年」
とあります。70年代後半における20年ですから、どのあたりかはまぁご存じのとおりです。
昨年法事で里帰りした際に実家の魔窟から発掘してきたものです。
この本の出版当時は学部の3年生だったのですが、『エピステーメー』は訳がわからないまま、新しい思想に出会えるのだ、と無理して(背伸びして)読んでました。今でもわかっていませんが。