Takoyakiと車と公衆トイレと - 黒い森への旅(1) シュトゥットガルト
こちらの続きです
1日目。電車でハイデルベルクからシュトゥットガルトに向かう。鈍行で2時間ほど。特急を使えばもっと速いのだけれど、そんなのは貧乏旅行には無用の贅沢である。ドイツの学生はドイチェバーン(Deutsche Bahn: ドイツ鉄道)から Deutschlandticket という定期券を割引価格で購入することができて、なんと1日 1ユーロで国内の(ほぼ)すべての鈍行とバスが乗り放題になるのだ。とはいえ「ドイチェバーン最高、素晴らしい!!」とも言えない事情があったりはするのだが、それについてはまた後ほど書こうと思う。
さて、シュトゥットガルトに到着すると、もうお昼前だった。いい具合にお腹も空いてきたので、駅の近くのフードコートで昼食を取ることにした。こちらのフードコートの定番は、イタリアン、ケバブ、カリーヴルスト(ソーセージにカレー粉をかけただけのものをドイツ人はご当地グルメだと言い張っている)、そして日本食もかなり人気だ。特に都会では疑わしい„Sushi“ や „Ramen“ を至る所で見かける。
そういう系の「日本食」は基本的にパスするのだが、今日のフードコートにはひとつ、僕の目を捉えて離さない店があった。店先に „Takoyaki“ と書いてあるのだが、売られているものがどうみてもたい焼きなのである。いやいやまさか、いくら外国とはいえ、そんなミスをするはずがあろうか。呆気に取られて近づくと、哀れな「たこ焼き」たちと目が合った。みんなお腹の辺りで真っ二つに切られて半身で売られている。これでは頭とお尻どっちから食べるか論争もできないではないか。一尾残らず日本に連れて帰って故郷の海に返してやりたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて隣のカリーヴルスト屋に並んだ。ごめんよ、たい焼きくんたち。
カロリーたっぷりの食事を終え、荷物を預けるためにホステルに行くことにした。ネットで見つけた一番安い宿を取ったので、どんな過酷な場所かと戦々恐々としていたのだが、思っていた以上に良さげな宿だった。バックパッカーに愛されているホステルのようで、フロントのバーでは昼間から若者たちが BGM の September に合わせて体を揺らしていた(惜しい、今日は 10/1 だ)。受付の人はフレンドリーだったし、部屋も値段にしては十分清潔だった。荷物を置き身軽になって、次の目的地を考えた。
シュトゥットガルトの目玉はなんといってもポルシェ・ミュージアムとメルセデス・ベンツ・ミュージアムだ。僕はすごく車に詳しいというわけではないのだけれど、かっこいい車が沢山見られるなら行かない手はない。メルセデスのほうがかなり大きいらしいので明日に回して、今日はポルシェ・ミュージアムのほうに行くことにした。
噂通り、ポルシェ・ミュージアムの展示はかなりこじんまりとしていた。1時間弱ほどで一通り見物し終わってしまい、時間を持て余して館内をぶらついていると、たまたまポルシェのスタッフのお兄さんが展示の説明をしているのに出くわした。なかなか面白そうな話が聞けそうだったので、彼に付いてもう一周回ることにした。
彼の話の中で特に良かったのが、ポルシェ・ミュージアムに一台だけ展示されているベンツの車両の話だ。(曖昧な記憶なので、間違っていてもご容赦いただきたい。)
創業当初は飛ぶ鳥を落とす勢いだったポルシェだが、1980年代に主戦場であった米国での売り上げが落ち込み、深刻な経営危機に陥ってしまう。そこに手を差し伸べたのが、創業当初からしのぎを削ってきた最大のライバル、ダイムラー・ベンツであった。ベンツは自社工場の生産能力の不足を理由にポルシェに車体の生産を依頼し、それがポルシェを経営破綻から救う命綱となった。このことを記念し、ポルシェ・ミュージアムにはその時生産されたベンツが飾られている ー ただし、他のポルシェの車たちとは逆向きに、お尻を前にして。
いい話を聞けて上機嫌でミュージアムを出ると、まだ外が明るかった。近所の動物園が好評らしいので行ってみと、今日はふだんより1時間早く閉園するらしく、入らせてもらえなかった。それならばと思い、内装がモダンで美しいと評判の市立図書館に行ってみたのだが、来週まで工事中とのことでこちらも中に入れてもらえなかった。諦めて適当な中華料理屋で夕食を食べ、ホステルに帰った。こんなことがあるのも、まあ旅の醍醐味と言えばそうなのかもしれない。
2日目。外から「乾杯!いよっ、天ぷら大盛り!!」という声がして目が覚めた。一瞬頭が混乱したが、朝のシュトゥットガルトからそんな声が聞こえてくるはずがない。空耳だったのか、夢の名残だったのか、真相は闇の中だ。気を取り直して服を着替え、チェックアウトして、朝食を買いに有名なマーケットに向かった。
ところが、道中で由々しい問題が発生した。トイレに行きたくなってしまったのだ。なにが重大な問題だ、コンビニに行けばいいじゃないか、と思ったそこのあなた。甘い、ドイツにはそんなものはない。そもそも、駅やコンビニに行けばどこでも綺麗なトイレが無料で使えるというのは、極東の島国ニッポンが誇るべき奇跡である。こちらにも一応公衆トイレはあるのだが、基本的に有料で、その上逃げ出したくなるほど汚いことも少なくない。お金を払って入ってみたら、流す機械が壊れていて何週間も前のブツが悪臭を発していた、なんてこともあった。つまり、出先でまともなトイレを探すのは至難の技なのだ。
Google Map で公衆トイレを検索すると、少し離れたところに数個見つかった。とりあえず一番近いところに行ってみたが、例に漏れず故障中だった。二つ目のトイレは存在すらしていなかった。祈りながら向かった三つ目のトイレで、やっと用を足すことができた。かなりギリギリの闘いであった。ちなみに、ドイツの公衆トイレは太い柱のように道路に突っ立ていることが多い。道路の真ん中で用を足すというのは決して気分の良いものではないのだが、よくドイツ人が言うように、„besser als nichts“(あるだけマシ)である。
気を取り直して、お目当てのマーケットに向かった。ドイツのマーケットというと屋外の広場に屋台を広げているイメージだが、このマーケットは立派な煉瓦造りの建物の中で行われている。見学に来ていたドイツ人の小学生たちの会話を盗み聞きした限りによると、何世紀も続く伝統あるマーケットのようだ。ドイツを感じさせる様々な食べ物が売りに出されていて、見ているだけでワクワクする。
朝ごはんはあまりに観光地価格だったので、諦めて近くでケバブを食べ、メルセデス・ベンツ・ミュージアムに向かった。
並木道が開けて目の前に巨大なミュージアムの建造物が現れると、その圧倒的な存在感に思わず息を呑んだ。宇宙船を思わせる巨大なボディが開けた広場に聳え立ち、太陽光線を反射してギラギラと光っている。無機質な素材と有機的なデザインの独特な混ざり合いが、建物の異質な存在感を作り出していた。
展示も圧巻だった。白馬の模型から始まり、乗り物が発展してきた道のりが、それを牽引してきたベンツの歴史とともに描かれる。
車両の展示ももちろん素晴らしかったのだが、なによりも僕の興味を引いたのは、ベンツのナチスへの関与についての展示だった。現代のドイツにおいて、ヒトラーの時代の惨劇は、どんな光でも呑み込んでしまう底なしの闇のようなものである。「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉があるが、その闇を真っ向から背負って生きてきたのが現在のドイツという国だ。ベンツにとっても同様に、第三帝国の軍事に関わり強制労働者に過酷な労働を強いた歴史は、これからも社史に永遠に残り続ける汚点である。それを隠すことも誇張することもなく淡々と語る説明文の口調が、逆に問題の途方もない大きさを物語っているようで、なんだか薄ら寒い思いがした。
暗い話になってしまったが、かっこいい車もたくさん見れたしドイツについても色々学べたし、大満足のミュージアムだった。シュトゥットガルトに来ることがあれば、ぜひ足を運んでみてほしい。
シュトゥットガルト観光の締めくくりに、展望台から街を眺められるというテレビ塔に行ってみることにした。高さはスカイツリーの三分の一くらいだが、灰色の建物が地平線の先までひしめいている東京とは違い、赤レンガの屋根と白い壁の家々が緑の丘陵地帯の中に連なっていて、とても絵になる。
景色を眺めていると、欧米人の観光客に写真を撮ってくれと頼まれた。むかしどこかで聞いたところによると、「東アジア人は写真を撮るのがうまい」というウワサが欧米でまことしやかに囁かれているらしい。その時は何人だろうと写真の撮り方なんて一緒じゃないかと思ったのだが、この前ドイツ人がほぼ真上からのアングルで彼女の写真を撮っているのを見かけたから、もしかしたらあながち嘘でもないのかもしれない。まあこういうステレオタイプに囚われてしまうのも考えものではあるが。
寒くなってきたので塔を降り、シュトゥットガルトを後にして次の目的地であるバーデン・バーデンに向かった。