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★大山街道(柏尾道)を歩く②:戸田の渡しから厚木市内を歩く

柏尾道大山街道という、横浜市戸塚区から西へ向かい、相模川を渡り、厚木市、伊勢原市を進んで大山阿夫利神社に向かう古い街道を、友人の大貫さんと一緒に歩く街歩き。前回は海老名市のJR相模線門沢橋駅から、相模川まで歩いてきたところです。今回はその続きの、厚木市内を歩きたいと思います。
(前回の記事はこちら)

と説明しても、おそらく「それって何処か全く分からん!」という方が大半なくらいマニアックな場所と思いますので(笑)、少し地図(今昔マップ)で最初に解説を入れたいと思います。

今回のルート地図。新東名高速の厚木ICの少し南にある、戸沢橋付近から西に進みます。

今回のルートは、今の新東名高速道路 厚木南インターのすぐ南側を走る、戸沢橋から西に向かう道路に沿った旧街道が、大山街道になります。相模川を渡る戸沢橋は明治時代にはまだ無く、戸田の渡しという渡し船がありました。古い地図では、戸田の渡しが戸沢橋より少し南の、川幅が少し狭くなった箇所に描かれています。渡し船の場所は、川の流況により、色々と変遷したようで、それに合わせて大山道のルートも時代によって何度かルートが変わっているそうです。今回はそのあたりも含めて見学したいと思います。

戸沢橋。後ろに東電の鉄塔と新東名が。
鉄塔はここでは重要な存在なので、後で説明します。
戸田の渡しがあったのは、写真の中州がある部分の少し下流側でしょうか?
「さがみがわ」と書かれた銘板。「戸沢橋」とは、
厚木市の「戸田」と海老名市の「門沢橋」を結ぶから、2つの地名から取られたのでしょうか?
「戸田の渡し」の説明板。もう少し南に立派なものがあるそうです。

戦前に戸沢橋は木橋が架かっていましたが、何度か流出しました。先代の橋は、沈下橋(増水すると沈んでしまう橋)で、今も一部残っているそうです。戸沢橋から少し南側の、戸田の渡しの石碑があるところまで行ってみましょう。

戸田の渡しを説明する石碑。確かに立派です。
歌川広重の浮世絵の舞台になりました。
刀を持って大山詣でが当時のスタイル。
見えにくいですが、少し南側に東海道新幹線が高速で通過しているのが見えます。
厚木市のマンホール。「あ」の字に見える市章です。
「あ」は鮎三匹に見えるデザインなんだそうです。市の木:紅葉もデザインされています。

戸沢橋に戻り、西に進みます。このあたりは、同行している大貫さんの御実家の近所。いろいろと詳しくご説明いただいています。

戸沢橋のすぐ脇に残る、「右 大山道」を示す道標。
戸田の渡しの前には、川止めの時用に宿場もあったそう。
今も「しまや」という屋号がアパートに残っているそうです。
木製の電柱が現役でした。
上戸田歩道橋を渡り、県道の北側に移動します。
歩道橋の上から故郷の町を眺める同行者:大貫さん(笑)。
今では、車通りの多い郊外の道路の風景になりました。
子易神社に寄り道。1986年に大きな送電鉄塔の倒壊で直撃を受けた神社です。

子易神社。この神社は、戸田の町に古くからある神社ですが、1986年(昭和61年)の3月25日に関東地方を襲った季節外れの強風雪で倒壊しました。着雪災害という、比較的温度が高い状態で大雪が降り、電線にビッシリ雪がくっついて重くなった状態で強風が吹き、鉄塔が6本倒壊したという被害が発生した場所です。大貫さんの地元の小学校のすぐ近所で起きた大災害。翌日は卒業式というタイミングで起きて、とても大変だったそうです。当時の被災状況を示すサイトがあります。

倒壊した鉄塔と神社。最近新東名の工事で鉄塔が移設された箇所も。
神社の境内に、関東大震災で地区が壊滅的被害を受けた記念碑が。
昭和61年12月に、電気工事業者の名前で再建された石灯篭。
大山道と書かれた道標も。色々な災禍を経て残っています。

少し西に向かって歩き、上津古久地区へ。厚木南IC付近は、交通量も多く、大型車も多い道を歩きます。

交通量のとても多い道路です。
旧・相川村役場跡を示す石碑です。
この石碑も昭和61年3月に建っています。鉄塔が倒れる直前に立ったのでしょうか?
この付近は古くからの梨の産地です。今もナシ園があります。
国道129号線と交わる交差点。右に曲がると厚木南ICです。
とても交通量が多い場所です。
そんな一角にも、古い道祖神が祀られています。
旧街道に残る面影は大切にされています。
上津古久にある、天宗寺の前に、大山道の道標と、古くからある道標。
「右 戸田舟渡 左 ほしのや観音道」とあります。

天宗寺の住職さんに、昔の大山道の様子をヒアリングしました。こういうことができるのも、ここを地元に持つ大貫さんとご一緒しているからだと思います。昔の大山道は、今の幹線道路と比べると、ずいぶん蛇行していたようです。大山道に関連する古い街道の情報などをいろいろといただきました。

船に乗った仏様。戸田の渡しをイメージしているのでしょうか。

少し南側に寄り道しながら、歩くことを続けます。

田園地帯の中にも、小さな祠が建っています。
近くにある御霊神社。
庚申塔と、富士講を記念する石碑でしょうか。
そしてこちらは、「御霊神社再建記念之碑」
石碑の裏側。昭和62年再建。東電の鉄塔倒壊事故があった後で、
被害を受けた地元に東電が多大な寄附をしたので、そのお金を原資に
社殿を再建したことを記念する石碑です。

この地域にとっては、昭和61年の鉄塔の倒壊が大きな契機となり、神社の社殿の再建などを行ったようです。石碑を眺めると、そういう地域の歴史を垣間見ることができます。

のどかな田園風景を歩きます。
お昼ご飯は、ラーメン通でもある大貫さんのおすすめの店、
ラーメン研究所で、しばし研究させていただきました(笑)。
味の選べるお店、歩いてのラーメンは美味しかったです!
味が選べても、「濃いめ・固め」ばっかり食べてしまう私は
まだ研究所ではひよっこレベルなのでしょうか(苦笑)

厚木市の南側を歩く街歩き、今回はここまで。次回は厚木市から伊勢原市に入り、さらに西に進んでいきます。

■終わりに
厚木市の旧・相川村周辺を歩いた今回の区間。戸田の渡しがあった頃はとてものどかだったのでしょうが、今は新東名のインターチェンジや、国道129号などが通り、とても車通りが多い道路となり、大山道などあるのか気になるところですが、きちんと残るものは残っているという印象です。昭和61年の鉄塔倒壊の影響が、地元にとっても大きなものだったことを教えてもらいました。
引き続き、伊勢原市に入っていきますが、次回もお楽しみに!
(続きは、こちら)


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