★大山街道(柏尾道)を歩く②:戸田の渡しから厚木市内を歩く
柏尾道大山街道という、横浜市戸塚区から西へ向かい、相模川を渡り、厚木市、伊勢原市を進んで大山阿夫利神社に向かう古い街道を、友人の大貫さんと一緒に歩く街歩き。前回は海老名市のJR相模線門沢橋駅から、相模川まで歩いてきたところです。今回はその続きの、厚木市内を歩きたいと思います。
(前回の記事はこちら)
と説明しても、おそらく「それって何処か全く分からん!」という方が大半なくらいマニアックな場所と思いますので(笑)、少し地図(今昔マップ)で最初に解説を入れたいと思います。
今回のルートは、今の新東名高速道路 厚木南インターのすぐ南側を走る、戸沢橋から西に向かう道路に沿った旧街道が、大山街道になります。相模川を渡る戸沢橋は明治時代にはまだ無く、戸田の渡しという渡し船がありました。古い地図では、戸田の渡しが戸沢橋より少し南の、川幅が少し狭くなった箇所に描かれています。渡し船の場所は、川の流況により、色々と変遷したようで、それに合わせて大山道のルートも時代によって何度かルートが変わっているそうです。今回はそのあたりも含めて見学したいと思います。
戦前に戸沢橋は木橋が架かっていましたが、何度か流出しました。先代の橋は、沈下橋(増水すると沈んでしまう橋)で、今も一部残っているそうです。戸沢橋から少し南側の、戸田の渡しの石碑があるところまで行ってみましょう。
戸沢橋に戻り、西に進みます。このあたりは、同行している大貫さんの御実家の近所。いろいろと詳しくご説明いただいています。
子易神社。この神社は、戸田の町に古くからある神社ですが、1986年(昭和61年)の3月25日に関東地方を襲った季節外れの強風雪で倒壊しました。着雪災害という、比較的温度が高い状態で大雪が降り、電線にビッシリ雪がくっついて重くなった状態で強風が吹き、鉄塔が6本倒壊したという被害が発生した場所です。大貫さんの地元の小学校のすぐ近所で起きた大災害。翌日は卒業式というタイミングで起きて、とても大変だったそうです。当時の被災状況を示すサイトがあります。
少し西に向かって歩き、上津古久地区へ。厚木南IC付近は、交通量も多く、大型車も多い道を歩きます。
天宗寺の住職さんに、昔の大山道の様子をヒアリングしました。こういうことができるのも、ここを地元に持つ大貫さんとご一緒しているからだと思います。昔の大山道は、今の幹線道路と比べると、ずいぶん蛇行していたようです。大山道に関連する古い街道の情報などをいろいろといただきました。
少し南側に寄り道しながら、歩くことを続けます。
この地域にとっては、昭和61年の鉄塔の倒壊が大きな契機となり、神社の社殿の再建などを行ったようです。石碑を眺めると、そういう地域の歴史を垣間見ることができます。
厚木市の南側を歩く街歩き、今回はここまで。次回は厚木市から伊勢原市に入り、さらに西に進んでいきます。
■終わりに
厚木市の旧・相川村周辺を歩いた今回の区間。戸田の渡しがあった頃はとてものどかだったのでしょうが、今は新東名のインターチェンジや、国道129号などが通り、とても車通りが多い道路となり、大山道などあるのか気になるところですが、きちんと残るものは残っているという印象です。昭和61年の鉄塔倒壊の影響が、地元にとっても大きなものだったことを教えてもらいました。
引き続き、伊勢原市に入っていきますが、次回もお楽しみに!
(続きは、こちら)