〇碓氷峠廃線ウォークの旅〇 ②:いよいよ立入禁止区間へ
GWの終盤に行った、安中市観光機構さんが主催する、碓氷峠の「廃線ウォーク」のツアーに参加するための日帰り旅行の記録を書いています。前回の記事で、ツアー参加前に訪れためがね橋へのプチドライブなどのことを書きました。今回は、峠の湯までの遊歩道を歩くのに続き、いよいよ本番である、立入禁止箇所へのウォーキングの模様をお伝えします。
(前回の記事はこちら)
■廃線ウォークのコースについて
廃線ウォークのコースは、ざっと書くとこんな感じです。
① 横川から峠の湯までは、アプトの道(遊歩道)を歩く。途中に、重要文化財に指定されている、旧丸山変電所がある。
② 峠の湯からは、1997年に廃止された、碓氷峠の新線の廃線跡(一般者立入禁止)を歩く。途中に熊ノ平駅跡があり、ここまで旧線の廃線跡(アプトの道)の遊歩道で来ることができる。
③ 新線の廃線跡は、旧・下り線と旧・上り線に分かれている。旧・下り線は、途中の旧・熊ノ平駅よりも先は、昔のアプト式のトンネル等をほぼ改良して使っているので、小刻みなトンネルが連続する。旧・上り線は、新たに掘削した路線がほとんどのため長いトンネル等が連続する。
④ 途中の勾配は、熊ノ平駅跡を除き、ほぼ最急勾配 66.7パーミル(1000m進むと66.7m登る)に近い勾配である。
⑤ 立入禁止区間は、ほぼレールや鉄道施設等が廃線当時の形で残っている。トンネルの最長は約1200m、碓氷川を渡る橋は、相当な高低差があるため、橋上からの眺めは格別。
■峠の湯までの遊歩道を歩く
峠の湯までの遊歩道の道。トロッコ列車とすれ違ったりしながら、ゆっくり歩く心地よい道のりです。
丸山変電所跡。急勾配でトンネルが続くアプト式の鉄道に、蒸気機関車が走ることはあまりにも過酷な環境となるため、明治末期(1912年)に他の線区に先駆けて電化されました。この変電所には、国内の電化鉄道の黎明期に建てられた建屋が現存しています。窓からこんな内部の様子を覗くこともできます。
架線柱にカラフルな色の帯が付いていますが、これはガイドさんに教えてもらいましたが、架線の張力を保つための重りの位置が適正な場所にあるかを目視で確認するための目印だそうです。重りの位置が緑だから適正、というような管理上の目安を決めていたそうです。JRの高崎支社やしなの鉄道では、今もこのような管理方法を採用しているそうです。何だか勉強になりました。
■いよいよ、立入禁止区間へ
これから、下り線の線路を歩いていきます。遊歩道の区間は、舗装された道でしたが、これからは軌道敷を歩きます。列車が走って来そうな雰囲気がします。
銘板にもありますが、ここの新しいトンネルの特徴は、側壁が垂直になっている馬蹄形のトンネルだということです。これもガイドさん情報ですが、急勾配のため、点検通路を広く取りたいためにこのような形にしたようです。
ちなみに「50」という標示は、トンネルの覆工コンクリートの巻厚が50cmだということを意味します。
ここで、一度上り線に降りてみましょう。
66.7パーミル(1000m進んだら66.7m登る。)の勾配標がありました。この廃線、しばらく放置している間に、架線や信号などの盗難が相次いだそうで、それが理由で長い間安中市によって立入禁止となっていて、最近になってツアーでの活用等が始まったとのことです。
1.2kmにもわたる長いトンネルに入ります。ガイドツアーでなければ一般人は決して入れないトンネルです。
このあたりは、トンネル坑内で湧水が多く、線路の中央に側溝が設けられています。マクラギで固定されているわけではなく、コンクリートの路盤にレールが直結されるタイプです。
長いトンネルを抜けると、碓氷川の橋に差し掛かります。ツアー前のドライブで歩いためがね橋のある谷です。めがね橋には、散策に訪れる人が何名かいて、普段人がいない廃線橋から手を振って声をかけてご挨拶。何名か手を振り返してくれました。これも廃線ウォークの営業活動だそうです(笑)。
廃線ウォークは、まだここは前半戦です。今回はここまで。次回は中間にある熊ノ平駅跡を通り、さらに軽井沢を目指して歩きます。
■終わりに
立入禁止区間に入り、ツアーの皆さんとガイド音声を聞きながらゆっくりトンネルを歩くのは、とても心地よい時間でした。個人で廃線のトンネルを歩いて踏破するのは、危険も伴い、心細いものですが、ツアーだとそんな場所がエンターテイメント空間に変わる気がしました。鉄道施設やトンネルのことなどをフィールド学習する場としても、とても良いと思いました。
次回も引き続き、まだまだ廃線ウォークの魅力をお伝えしたいと思いますので、お楽しみに(笑)。
(続きは、こちら)