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★横浜・神奈川まちあるき★①東神奈川駅から臨港部を目指す

横浜といえば、山下公園や赤レンガ倉庫など、古い港町をおしゃれに再生させた観光スポットも多く、街歩きをするには楽しい場所だと思います。今回訪れたのは、横浜の中でも、横浜と呼ぶと実は叱られるかもしれない場所、

神奈川

という地域です。神奈川といえば、今でも県の名前として知られていて、現在は横浜市神奈川区という行政区域となっていますが、元々は旧東海道の宿場町でした。神奈川は、横浜市のHPにもある通り、江戸時代末期に最初に開港された港、とされていますが、実際は、江戸幕府は、江戸に近い神奈川の港ではなく、少し離れた横浜に港を構えたとのことです。

つまり、神奈川は江戸時代は、横浜より栄えていた街だったのです。今回は、この神奈川周辺を歩いてみたいと思います。

ウォーキングの最初は、東神奈川駅。横浜線ユーザーにとっては、おなじみの場所。

東神奈川駅からウォーキングをスタート。八王子在住の身にとっては、横浜から帰り道に東神奈川始発の横浜線にいそいそと乗り換えるおなじみの場所です(笑)。ということで、昔から東神奈川は横浜線の始発駅であり、また、20世紀の北関東や八王子からの輸出に向けての玄関口だった場所とも言えます。
その、東神奈川駅周辺を歩いてみます。

東神奈川駅。ペデストリアンデッキでつながっているのは・・
京急東神奈川駅・・という名前より、
昔の名前である、仲木戸駅のほうが呼びやすい

東神奈川駅のすぐとなりにあり、ペデストリアンデッキで直結しているのが、京急東神奈川駅。つい最近までは「仲木戸駅」と呼ばれていました。横浜線ユーザーは、羽田空港に行くときはここから京急に乗り換えるのが結構便利です。

その仲木戸駅を見てみましょう。

不思議な形の石積みが見えます。昔のホームの階段跡でしょうか。

結構古そうな石積みの高架駅。少し奥にはガードのようなものが見えます。

駅の歴史の説明板。「京急最初の高架駅」だそうです。

駅の歴史が書かれた説明板がありました。「仲木戸」とは、神奈川宿に木戸があったことに由来する古い地名です。初めての高架駅となった理由は・・、

このガードに由来します。このガード、実は・・・

仲木戸駅の東側にあるガード、実はこれは昔の線路跡で、この線路を乗り越える目的の高架だったようです。

横浜線は今では東神奈川が始発駅ですが、横浜線が開業した時代(横浜鉄道という私鉄でした)には、ここから港まで線路が伸びていました。絹の道に変わって敷設された鉄道。八王子やその後背地にある生糸を輸出するために、横浜港までを結んだ鉄道です。港に伸びているということは、生糸貿易の拠点だったのでしょう。

ここに神奈川港に向かう貨物線が通っていました。

仲木戸駅が高架になったのは、京急線が開業した後のことですが、横浜鉄道が港まで線路を伸ばす際に、当時路面電車であった京急線は、支障するので立体交差させることが要求されたので、今の高架になったとのことです。

煉瓦造りの橋台が印象的。
今昔マップで見た東神奈川付近。確かに線路がガードを越えています。
廃線の線路は、今は道路となって海へ。

線路跡の道路を海側へ歩いてみましょう。

現れるのは、第一京浜と首都高。

ほどなく第一京浜(国道15号線)と首都高速道路に行き当たります。

国道15号を渡る歩道橋。東神奈川駅を越える道は、「高さ2.8m制限」の標示が。

国道15号を越えて、さらに海側に進んでみます。

首都高の東神奈川ランプ。

首都高速道路の東神奈川ランプもここにあります。

村雨橋と言う名前の橋。ここから先は明治以降の埋め立て地。
村雨橋。なかなか古くていい雰囲気を出している橋です。
昭和31年3月竣工

道路に架かる橋は、村雨橋。昭和31年にできた橋です。今昔マップで見る通り、昭和31年より古い時代には、ここには東神奈川駅から伸びる線路があったはずなので、線路跡はそれより前の時代に廃止されたことになるようです。

電柱には、NTTの路線名として「日清前」と記載。

電柱にある、2枚のプレート。こういう街歩きの時、ここを見ているととても貴重な発見をする場合があります。上はNTT、下は東京電力のプレート。どちらも電話線や電線の路線名称を示しています。電話や電気が引かれた時の名称そのままの場合が珍しくありません。ここでは、
 NTT:「日清前」 東電:「星野」という名前の路線です。
それを見て歩くと・・、

やはりあった、日清オイリオグループの工場。

日清オイリオの工場がやはりありました(笑)。こうして歩くととても楽しいです。

その向かい側には、

神奈川水再生センター。横浜市の下水インフラの拠点です。

神奈川水再生センターという、横浜市内の下水を処理する施設がありました。

次の橋は、千鳥橋。
古い港湾地区と再開発地区が隣り合わせの街です。
タワーマンション付近に、昔の神奈川台場がありました。
やはりこの橋も、昭和31年の完成。

続いて、千鳥橋を渡ります。同じく昭和31年にできた橋。風景は、昔ながらの港湾の風景と、タワーマンションが建つ場所が混在する地域。神奈川砲台は、幕末の開港時期に外敵から江戸を守るために築かれた砲台です。今は貨物ヤードなどの下に埋まっているとか。

明治迅速図に残る、神奈川砲台。(右の地図の線路沿いの〇印の位置)
桜は間もなく満開近し、という感じでした。
JR高島線(貨物線)の千鳥橋踏切。
今も現役の貨物線です。

そして現れるのが、JRの高島線という貨物線。この貨物線は、横浜港の発展とともに発達した貨物鉄道網の根幹をなすものです。

高島線の隣には、旧財閥の紋章が残る、三井倉庫。
横浜港発展の歴史を静かに物語っているようです。

貨物線の周りには、様々な業務施設が今も立地しています。すぐお隣は、三井倉庫。格調高さを感じる倉庫でした。

ここの電柱には・・・、

NTTは、「日塩前支線」という名前

「日塩前」との標示がありましたが・・・、三井の倉庫の向かいに、

やはり今も、「日塩倉庫」がありました。

日塩倉庫という倉庫がありました。日塩とは、戦前に鈴木商店という、昭和の世界恐慌の時に破綻した商社に関連する、塩を売る会社だったようです。この地区も、そうした意味では、名門企業が軒を連ねて栄えていた場所、と考えられます。

さらに先に進むと、大きな橋が現れます。

そして、現れた瑞穂橋。橋の上に「立入禁止」と記されています。

見えてきたのは、瑞穂橋。橋の向こうは、一般人は入れないようです。その先に広がるのは、米軍基地です。

この場所にある極めつけの施設が、こちら。

瑞穂埠頭の米軍施設に向かう専用線。線路は列車が走る状態になっている
ようにも見えますが、踏切等は封鎖されていて、普段は列車は走らない様子です。
いい雰囲気の鉄道橋が今も残っています。
至近距離から鉄道橋が観察できます。

瑞穂橋の向こう側につながる、米軍の鉄道引き込み線の大きな橋です。
この橋、日本初の溶接鉄道橋という、日本初の溶接橋だそうです。

米軍基地に伸びていく線路。踏切は撤去されています。
途中の桁橋もなかなか味わい深いです。
古い橋もいいですが、古い石積みも何だかいい感じです。
1957年改造の文字が。

米軍の引き込み線は、特に線路が剝がされたりしていないので、今も列車が走れる状態だと思われます。とはいえ、踏切の遮断機等は外されているので、普段は列車が走っていないようです。構造物の建造年代は、1957年改とあるので、元々の構造物を昭和32年に改良しているということのようです。昭和30年代初頭に、元々の構造物から新しく様々な構造物が作られるような整備が行われていたようです。

なお、この引き込み線は、実はもう使われなくなったので、米軍から2021年に返還を受けたようです。返還後は、そのうちこの構造物は撤去されるようですので、今の溶接橋も近いうちに見られなくなってしまうかもしれません。

【終わりに】
東神奈川駅から始まった今回のウォーキング、臨海部に一歩足を踏み入れると、とても興味深い構造物等が多数見られました。次回以降は、陸側に戻り、旧東海道など、神奈川周辺の魅力を探っていきたいと思います。(つづく)

(つづきはこちら)


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