見出し画像

◇八王子さんぽ◇滝山城跡を歩く①~瀧集落と滝山城~

八王子市とタカラッシュがコラボしたリアル宝探しイベントを楽しむために、八王子市内の散歩を続けています。同じイベントで3か所の街歩きをするというのが、このイベントの趣旨で、その場所は、

リアル宝探しイベントのリーフレット。

 ①南大沢
 ②滝山城跡
 ③高尾山
を巡る、というものになります。①は、自身のホームグラウンドであり、いつも歩いているところなので、あっさりステージクリア。イベントの期間終了間際に散策したので、③高尾山と②滝山城跡をはしごするという強行軍になりました(笑)。高尾山を歩いた記録は、こちらから。

今回は、②の滝山城跡を歩いた記録を書きたいと思います。

■滝山城跡とは

滝山城跡は、1521年に大石氏が築城したお城で、その後北条氏照が大石氏の養子となり、北条家が治めた城です。北条氏は小田原を拠点に関東一円を支配し、氏照の滝山城はその統治の一翼を担っていましたが、その後豊臣秀吉が小田原城を包囲し、最終的に開城して北条氏は滅亡したという歴史を辿ります。滝山城は、頑丈な山城の雰囲気を今に残しており、昭和26年に国指定史跡に指定されており、城郭愛好家には有名な名城と言われています。昨年が築城500周年であり、様々な事業が展開されました。(恥ずかしながら八王子市民でないと、このことはほとんど知らなかったと思います(笑)。)

■滝山城の南側入り口付近を歩く

さて、滝山城を歩くこととしましょう。

スタートは、滝山観光駐車場から。

スタート地点は、滝山城の観光駐車場から。駐車場の端に、大きな石碑が建っています。実はここに来るのは2回目ですが、1回目は滝山城とは反対方向に行くために来訪しました。このあたりは八王子市の加住地区で、加住地区の中に、私の今住んでいる南大沢と対をなす、「北大沢」という地名が付く場所があり、そこに過去に訪問しています。(その際の記録はこちら)

今回こそは、滝山城を目指して歩こう!ということで、まずはその玄関口付近を紹介します。

駐車場にある石碑。昭和39年の道路開通記念の石碑。

この石碑は、加住地区を南北に連なる道路が開通した記念碑。この道、昭和39年に開通し、東京オリンピックの自転車ロードレースのコースとして使われました。当時の人たちの熱い思いが伝わりそうな記念碑です。

八王子市のマンホール、車人形のカラーバージョンを発見。
さすがは売り出し中の観光地です。

八王子市のカラーマンホールを発見。市民なので見慣れた図柄ですが、色付きは珍しいです。

滝山城跡の記念碑。これは2021年築城500年を記念した最新のもの。

滝山城の正面入り口は、ここからなのですが、観光駐車場がクローズになる夕刻に来てしまったので、少し移動して、正面ではなく、裏側から滝山城を目指します。

■北側から滝山城を目指す

観光駐車場から、少し北側の市民センターに移動し、ここから北回りで滝山城を目指したいと思います。

昭和39年開通の道路を歩き、加住丘陵を越えます。

先ほどの道路開通記念碑が示す道路を歩き、加住丘陵を越え、北側へ移動します。歩道はほとんどなく、あまり歩きやすい道ではありませんでした。

集落を通る道路と立体交差
滝山下橋という名前が付いています。

加住丘陵を越えた北側に、滝山下橋と言う橋が架かり、集落の道路と立体交差しています。交差する道路のほうに移動します。

滝山下橋を下から眺めたところ。狭い集落の道がありました。
不法投棄が多いため、夜間通行止めにしているようです。
ただ、「建設省」と記載があり、実はかなり古そうな看板に見えます。
ちょっと秘境感のある道に見えてきました。

集落の道を、少し東に歩き、滝山城の入口を探してみましょう。

昔ながらの農村の雰囲気を残す集落内の道。

今昔マップで、この付近のことを見てみましょう。ここは、瀧地区という地名があり、滝山城の山からは崖になってその下に集落がある形です。多摩川には、瀧渡しがあったようです。

昔は瀧地区という地名でした。多摩川には渡船もあったようです。
高月のクワという、樹齢400年の桑の古木。

この地区には、樹齢400年の桑の木があったりと、歴史豊かな場所です。

古いお地蔵さん。今も大切にされています。

地区の中にあるお地蔵さん。今も大切に守り続けられています。

お城に登る道。急勾配の舗装された林道というイメージの道路。

瀧地区から、お城に登る林道のような道を登っていきます。

ということで、滝山公園に到着。
今も本丸、二の丸などの遺構が地形にも残る、貴重なお城です。

林道のような道を登ると、滝山公園に到着しました。

急な石段。これを登ると本丸に着く・・はず。

林道から急な石段が取り付いていました。これを登ると、本丸に着くはずです。

石段の上には、広い平場と、金毘羅社があります。
金毘羅社再建記念碑がありました。

金毘羅社という神社が、本丸のあった平場に建っています。ここは昔の瀧地区の氏神様のようなもの。秋川と多摩川の合流地点に栄えた瀧地区の守り神は、海の航海の神様である金毘羅さん。それだけ多摩川・秋川の渡し船などが貴重な存在だったと思われます。

もう一つの神社 霞神社

もう一つ本丸に神社が。霞神社と言います。ここは、加住地区の戦没者を慰霊する目的もあるようです。いくつか石碑が建っています。「霞」は「加住」とも読めるので、当て字なのでしょうか。

本丸跡地の片隅に、井戸跡があります。

本丸跡地の片隅に、井戸がありました。山のてっぺんに井戸が掘れば出てくるほど、ここは地下水が豊かな場所なようです。「瀧地区」という地名の由来は、やはり昔は滝でもあったのでしょうか。地下水が豊富であることなども生かして、お城が築かれたのでしょうか。

滝山城本丸跡の碑

滝山城本丸跡の碑。碑文を少し転記。

瀧山城本丸址の碑
此の城は、関東の名城といわれ、天文5年(1536年)北条氏康、同21年(1552年)上杉謙信、永禄12年(1569年)武田信玄の諸豪からの猛攻を受けている。大永元年(1521年)始めて大石定重これを築き、定久これを受け、次いで北条氏照の居城となった。
なおこの城の城下町は八王子市の発祥地である。
          八王子市長 野口義造

野口義造は、1957年から1961年までの八王子市長で、東京オリンピックの自転車競技を誘致した人のようです。

史跡 滝山城跡の石碑

史跡 滝山城跡の石碑。昔からここは史跡として大切にされてきたようです。広い滝山公園の敷地内に、本丸以外にいくつかの見どころがありますが、今回はここまで。

■終わりに

滝山城を通常ルートの南側からではなく、北側から歩きました。北側に広がる滝集落。そこは城への北側の玄関口。金毘羅さんを祀るような、舟運で生計を支えた集落がありました。本丸を眺めていても、とても興味深い場所であると思いました。次回は、滝山公園の中をもう少し巡りたいと思います。
(続きはこちら)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?